感情の正体
お酒を呑んだことがないわけではない正樹だったが、誰かと呑みにいくというのもほとんどなかっただけに、それだけでも緊張だった。何事も初めてに感じられ、新鮮だったのだが、呑み屋では完全に自分が飲まれてしまっている感覚に陥っていた。
軽く呑んだことで、身体が火照ってくるのが分かった。これからどこに行くのか確定しているだけに、その緊張は最高潮に達した。
「本当はここで、風俗に行こうと誘うのが一番の喜びなのだろうが、二人はまだ童貞ということもあって、緊張感を和らげる必要もあるので、最初から目的地を決めておいたんだ」
と言って、話してくれた。
一口に、
――夜の繁華街――
と言っても、呑み屋街と風俗街とが別々のエリアにあるということすら知らなかった正樹は、まるでオノボリさんのごとく、まわりをキョロキョロと見渡した。
すでに酔っぱらっているので、まわりからどんな目で見られても、あまり気にしなくなっていた。それが感覚がマヒしたという状況であるということを分かるほど、意識がハッキリとしていたわけではないが、なぜか後から思い出すと、この時のことは思い出せてしまうのだった。
時間的には、もう普段なら寝ていてもおかしくない時間だった。それなのに、その日は一向に眠気が指してくることはなかった。
「風営法があるので、最終は二十四時まで二なってしまうので、入店はその逆算になるんだ。だから、午後九時過ぎには店に入ることにしよう」
と先輩から言われていたので、時計を見ると、そろそろ九時過ぎだった。
「いつもなら寝ている時間かも?」
と、正樹がいうと、
「そんなに早く寝るのかい?」
と聞かれたので、
「ああ、どうせやることもないしな」
と友達に答えると、先輩は頷きながらこちらに寄せる視線に、哀れみを感じてしまったが、その目が、しばらく忘れられなかった正樹だった。
「今日はせっかくの先輩のお誘いなんだ。細かいことは気にせずに、楽しもうじゃないか」
と、急に友達のテンションが上がり、普段とは違った雰囲気が出ていた。
元々、心配性の友達は、あまり弾けるようなことはしない。かといって石橋を叩いて渡るような注意深い人間でもない。要するに中途半端な性格なのだ。
だから、彼は他にも友達が多かった。付き合っていると気が楽になるのか、友達の方から話しかけるというよりも、彼の場合は話しかけられる方が多かった。
ただ彼にはお調子者のところがあった。話しかけられるとすぐに相手を自分のペースに引き込んでしまうところがあった。普段はおとなしいやつなのに、相手が乗ってくると、まるで自分のステージでもあるかのように、主役を奪いに行くのだ。
本人にその気があるのかどうか分からないが、スイッチが入った時の友達は、歯止めがきかないと言ってもいい。それでも人に迷惑をかけることはないので、平和な乗りと言ってもいいだろう。
彼は、一種の二重人格である。乗りのいい時と、真面目な時とでまったく性格が変わってくる。正樹の前では真面目な自分を曝け出し、弾けるようなことはない。
最初はそんな彼に対し、
――俺に対して本当の自分を見せようとしないんだ――
と、まるで他人行儀な態度に、彼と一線を画していたが、真面目な彼の真剣な表情も、紛れもなく彼の性格だと思うと、今度は、
――他の人の知らない彼を、俺だけが知っているんだ――
と、まったく正反対のことを思うようになった。
そんな彼に、いろいろ指南してくれる先輩がいることを知ったのは、最近になってのことだった。先輩の前では従順な態度を取っていたが、先輩の兄貴分的な性格を引き出すには、彼のような従順な性格の人間が一番よかった。だからと言って、彼は先輩の言いなりになっているというわけではなく、お互いにいいところは尊重しあっているようだった。
先輩と彼は似た者同士で、三人で歩いている時など、二人を先に歩かせて、正樹は一歩後ろから見つめていると、その性格がよく分かってくるような気がしてきた。
ただ、まるで柔道部にでも所属しているのではないかと思うほどの恰幅のいい先輩と、どちらかというと細身の友達とでは、後ろから見ていると、まるで凸凹コンビの様相を呈していた。
正樹は二人から比べると、いや、世間一般の人と比べても、平均的な体格と言えるだろう。背も高いわけではないが、決して低い方でもない。中肉中背、逆に言えば、一番目立たない体格であった。
顔も自分では平均的だと思っている。一見真面目に見られるが、内面も弾けているわけでもなく、真面目な方だ。こちらも平均的と言ってもいい。そういう意味では、
――面白くもなんともない人間――
と言ってもいいだろう。
誰かに相談されるような頼られる性格でもなく、悲壮感のあるようなタイプでもない。どこにでもいるようなありきたりな人間と言ってしまえばそれまでだが、今まで彼女ができなかったのも、そう考えれば納得がいく。
納得がいくと言っても、それは、
――彼女ができない原因――
ということに対して感じることであって、彼女ができないことを納得しているわけではない。
正樹はそんなに簡単に自分を納得させられるだけの素直な性格ではない。むしろ捻くれた性格だと言っていいだろう。
そんな正樹に大学に入って最初に近づいてきたその友達も、あまり目立つ方ではなかった。それなのに、先輩との間では妙にウマが合っていて、いかにもいいコンビに見えていた。
「俺は先輩のことをよく分かっているつもりだし、先輩も一番俺のことを分かってくれているような気がするんだ。これって相性なのかな?」
と友達は言っていたが、その表情はまんざらでもなかった。
その話を聞いた時は、まだ先輩と面識のない時だったので、
――いったい、こいつとウマが合う先輩って、どんな人なんだろう?
と興味津々だった。
会ってみると、友達との間で、
――どこにウマが合うところがあるというのだろう?
と感じさせられた。
会ってみた先輩の雰囲気は、そのがたいの良さから見て、まるでガキ大将の雰囲気を感じさせる人だったことから、やはり友達との間の相性に疑問が生じたとしても、それは当然のことであった。
友達も彼女がおらず、自分と同じ童貞だったが、この日のように、なぜもっと早く先輩から風俗に連れていってもらわなかったのかと疑問に思っていた。
そのことを友達に聞いてみると、
「俺一人だと気が引けるんだよ。いくら先輩が連れていってくれると言っても、一人だと緊張でまともに身体が反応しないような気がしてね。でも君が一緒だと僕には心強い味方がいるような気がして、普段から先輩に誘われても断ってきたんだけど、今日はお前を連れていきたいと俺の方から言い出したんだ。お前も一人だと気が引けるだろう?」
という友達の顔には、ぬけぬけと言い切るだけの何かがあった。
普通なら言い訳に聞こえそうな言い分なのだが、その時、正樹には言い訳に聞こえなかったのは、どこかに根拠の有無は別にして、何か自信めいたものがあったような気がしたのだ。
「お前は、風俗で童貞を捨てるということに抵抗はないのかい?」
と、正樹は聞いた。