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感情の正体

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 もちろん、費用を持ってもらえるほどリッチではなかったが、その先輩の行きつけのお店に連れていってくれるということで、サービスに関しては一押しだということだった。
 友達は、
「ありがとうございます。さすが先輩、すっかり大学生してますね」
 と煽てていたが、正樹はまだ真面目な思いが強かったので、心境は複雑だった。
――本当なら彼女を作って、そこで童貞を捨てる予定だったのに、でも、せっかくの先輩のご厚意を無にするわけにもいかない――
 と思い、複雑な気持ちではあったが、先輩に連れて行ってもらうことにした。
「ソープなんて初めてだろう?」
 と言われて、友達と一緒に正樹も頷いたが、嬉しそうな顔をしている友達の横顔を見ていると、実際には相当緊張していることはよく分かった。
――こんなにも緊張するものなんだ――
 自分は、それほどでもないと思っている正樹は、急に自分の立場が強くなったのを感じた。
 これ以降、
――俺は友達なんかいらない――
 と感じた原因の一端は、この時の友達が醸し出している緊張感を見て、
――こいつも大したことはないんだ――
 と急に相手に対して冷めた思いを抱いたことから始まったと言っても過言ではないだろう。
 友達は先輩を崇拝しているようだった。どのあたりを崇拝しているのかは分からなかったが、全幅の信頼に近いものがあったようだ。
 正樹が見る限り、お世辞にも全幅の信頼を寄せられる人には見えないが、それも自分が相手に対してどういう立場にいるのかということをどこまで理解しているかによって変わってくるのではないかと思えた。
 正樹にとっては、先輩はあくまでも他人である。友達が先輩をどこまで親密に思っているのかは分からないが、崇拝している時点で、近寄りがたい存在であることは間違いないようだ。
 だが、その先輩は後輩であろうと、その友達であろうとも、分け隔てをするような人ではなかった。そういう意味では、正樹も先輩を信用していたと言ってもいいのだろうが、まだその日は、先輩のことをハッキリとは分かっていなかった。その日の正樹はあくまでも、
――後輩についてきた、ただの友達――
 としての地位としてしか見られていないと思っていたからだ。
 だが、そんな先輩に対して見方が変わったのは、いざ風俗に行くということが決まるその前に、
「工藤君と言ったね」
 と、先輩が話しかけてくれた。
「はい」
 正樹はビックリして声が裏返っていたようだが、その声を聴いて先輩がニコッと微笑んだのを見て、一瞬、癒しのようなゆったりとした感覚を覚えたのだった。
「君は、まだ童貞なのかい?」
 と聞かれて、一瞬どう答えていいのか迷ったが、ここでウソを言っても、この先輩ならすぐに看破されそうに感じたので、すぐに潔くなって、
「ええ」
 と答えた。
「君は、せっかくの童貞を、これから行くソープで失うことになるんだけど、それでもいいのかい?」
 と諭された。
 友達は、何も言わなかったが、それは逆に最初から友達は
――童貞を捨てるならソープで――
 と思っていたに違いない。
 そう思うと、そんな後輩の友達に対して、一言忠告を入れたというのは、タイミング的にも実によかった。ただ、童貞を捨てるのはソープでは嫌だと思っていたとして、ここまでお膳立てが整っている場面で、断ることが果たしてできるかが問題だった。
 それは先輩に対しての礼儀というよりも、ソープという言葉を聞いて、一瞬でも心がときめいたのであれば、もはや後戻りはできないことを示している。
 友達がどういう心境だったのか分からないが、先輩はそんな後輩に気を遣いながら、さらには後輩についてきた正樹に対しても気を遣ってくれた。
 最初は、
――風俗に通っているような軽い先輩――
 というイメージがあり、軽く見ていた自分が恥ずかしくなった。
――先輩は、ちゃんと相手のことを見ていて、気を遣ってくれているんだ。人を見かけで判断したり、偏見を持ったりしてはいけないんだ――
 とあらためて感じさせられた、
 先輩に対して、そういう思いを抱いたことで、風俗に対しても余計な偏見は無用であると思うようになった。
「大丈夫です。お供させてください」
 となるべく凛々しく答えた。
 ここで躊躇っていると、せっかく気を遣ってくれている先輩のさらに気分を害し、罪悪感を抱かせてしまうようで、それだけは避けたかった。
 いや、それはあくまでも建前。正樹自身が風俗に興味を持ったのだ。
――俺が今まで抱いていたイメージと、どう違うのか、試してみたい――
 と感じたが、それもまだ、どこか自分を飾っている気持ちだった。
「俺に馴染みのお店には、童貞喪失のお手伝いをしたいと言っている嬢が数人いるので、心配することはない。きっと今日のことは二人の思い出として刻まれることになるはずだからね」
 と言ってくれた。
 この一言が、最初の緊張をほぐしてくれた。この状況でなら、風俗に挑むことをいとわないと感じたのだ。
 この時の先輩は、正樹のことを、
――友達なんかいらない――
 と感じるようになることを分かっていたような気がする。
「人に言えないことでも、俺が相談に乗ってやるから、俺の存在を忘れるんじゃないぞ」
 と、友達に聞こえないように呟いてくれた。
 それは、風俗に入る前だったので、風俗嬢から正樹の話を聞いたわけではなかったはずだ。そう思うと、やはり先輩という人は、尊敬に値する人だと、正樹は感じた。
 その人が先輩だったから、尊敬に値する人だと感じたのだろう。同じ人であっても、もしそれが友達だったら、そこまで相手のことを尊敬できたのか分からない。
「本当にいい先輩だろう?」
 と、友達は耳打ちしてくれたが、友達のいう、
――いい先輩――
 という言葉がどこまでを指すのかが分からなかった。
 単純に風俗に連れて行ってくれるということがいい先輩の定義なのか、それとも自分たちそれぞれに気の遣い方を使い分けている姿であったり、それぞれの相手に不快な気分を与えないような気づかいが友達間で見られるようにしているところなのか、正樹には分かりかねていた。
 そういう意味でも、
――友達はまだまだ先輩の域に達していないな――
 と感じさせ、
――それは自分もお互い様だ――
 と思わせたにも関わらず、友達を軽く見てしまうようになるきっかけになるのだから、先輩の存在は本当に自分にとってよかったのかなのだろうが、分かってはいるが、それ以上考えないようにしていた。
 考えてもしょうがない。考えれば考えるほど、友達を軽視してしまいそうになる自分を止めることはできない。結果として、
――友達なんかいらない――
 と感じさせるに至ることになるのだが、まだまだ自分が大人になりきっていないことを認めたくないという思いもそこには込められていたのだろう。
「あまり酔い潰れていくのも失礼にあたるが、まったくの素面というのも、緊張が高まりすぎていい結果にはならないだろう。軽く呑んでから行くことにしようか?」
 と言って、先輩は焼き鳥屋に連れていってくれた。
作品名:感情の正体 作家名:森本晃次