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感情の正体

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 しかし、就職に関しては、希望よりも不安の方がはるかに強かった。アルバイトでは働いたことはあっても、実際に社員として働くのは初めてだからだ。特に上司と呼ばれる人から命令されて、嫌なことでもしなければいけない時もあると聞かされてから、しばらく憂鬱になっていたものだった。
 確かに自分も新入社員として浮かれた気分になっていたのは、最初の数日だったという意識はある。それなのに、あれだけ騒いでいた連中がすぐに冷めてしまったのを見て、こんなに情けない気分になるというのは、
――自分のことではなく他人のことだからではないか?
 と思うようになっていた。
 本来なら反対なのだろうが、何しろ天邪鬼の正樹である。人と反対のことを考えている時の自分が一番自分らしいと思っているので、他人事も自分のことのように思えるのだろう。
 逆に言えばむろ自分のことの方が他人事に見えてくるのかも知れない。正樹は自分の感覚が次第にマヒして行っていることに気付いてはいなかった。
 物忘れが激しいのは、このマヒする感覚のせいなのかも知れない。
 感覚がマヒしてくるのは、身体の感覚がマヒしてくるのと違って、自覚症状が薄いものだ。
 感情の感覚がマヒしてきていると感じる時は、ほとんどの場合、すでに末期になっているのではないかと思う。感じた時には、もうどうすることもできないところまで来ていて、ここまで来ているのであれば、
――感じたりしなければよかった――
 と思うのだが、後の祭りである。
 新入社員としての、いわゆる「五月病」は、正樹には他の人よりも結構早く来たようだ。
五月などまだまだ先だと思うほど早かった。実際には入社から二週間も経たないうちにやってきたのだ。
 先輩社員から、
「苦しいかも知れないけど、一人で切り抜けるしかないからな」
 と言われたが、それはアドバイスなのに、アドバイスに聞こえない時点で、すでに感覚はマヒしていたと言えるのだ。
「俺は、五月になってから五月病に陥る連中には、こんなことは言わない」
 とその先輩社員は言った。
「どうしてですか?」
「それは俺も同じだったからさ。俺も入社してすぐに自分でもどうすることもできない鬱状態に陥ってしまって、どうすればいいのか、途方に暮れていたのさ。俺は五月病なんて言葉自体知らなかったくらいだからな」
 と言って笑った。
 その様子を見る限り、明らかに能天気な人だった。
――そんな先輩と同じくらいに鬱状態になるなんて、じゃあ、俺も能天気な性格なのかな?
 と感じられた。
 その答えは三十五歳になった今でも分からない、だが、五月病を抜けてからの自分が、少し変わったのを自覚していた。
 いや、それまで自分の性格だと思っていたことが、実際には違っていたということに気付いたと言ってもいいだろう。そういう意味では、その時が自分の人生のターニングポイントだとも言えた。
 自分の中で、今までの人生でキーポイントになったのではないかと思える時期はいくつか存在する。しかし、ターニングポイントと言える時期は、それほど多くはない。今考えただけでも、今まで二、三度あったくらいではないだろうか。だが、いくらターニングポイントだと分かったとしても、自分にはどうすることもできない。やり過ごしながら、自分というものをしっかり理解できる時期であるのは間違いない。要するに、
「物は考えよう」
 だということであろう。
 ただ、ついつい余計なことを考えてしまう癖がある正樹だったが、余計なことを考えたとしても、まわりに対してまったく影響を及ぼすことはない。やはり考えないに越したことはないのだ。
 友達ができないというわけではないと、就職するまでは思っていた。中学時代にも自分に話しかけてくれる人はいたが、すぐに自分の方から離れて行った。どうして離れていったのか当時は分からなかったが、
――一人の方が気が楽だ――
 ということの本当の意味を、まだ知らなかったからだと思っていた。
 友達がいない方がいいという考えを、ただの言い訳であったり気休めだと思うようになったのが本当の意識であり、最初からそんな風に思っていたわけではないということに、ずっと気付かないでいた。
 そのことに気付かせてくれたのは、新入社員で五月病になった時、話しかけてくれた先輩がいてくれたおかげではないだろうか、ただ先輩は先輩であり、友達としては見ることができなかったのは、実に残念なことだった。
 三十五歳になった正樹は、その頃のことを一番思い出す。就職するまでは自分の人生を波乱万丈のように感じていたが、就職してからは、毎日を平凡にやり過ごしているだけに思えてならなかった。
 寂しいなんて感じたのは、いつが最後だっただろうか?
 正樹にとって寂しさは負の要素でしかない。寂しいなんて感じるのは、まだ自分が友達を欲しているからだと思うからで、友達なんかいらないと思うようになると気が楽になってくる。
 その思いを大学時代までには持つことができなかった。社会人になってからやっと友達がいなくてもいいんだと思えるようになったことで、それが大人になった証拠だと思うようになった。
 その思いは友達に対してのものだけで、相手が女性であれば別である。
 ただ、女性に対しては寂しいという感情とは少し違っていた。女性がそばにいなくても寂しいとは感じないが、身体がムズムズして我慢できなくなる。精神的なものというよりも生理的なものと言ってもいいのだろう。そう思うと、女性に対しての思いは、風俗で賄えるのではないかと感じてきた。
 高校時代までは彼女がいなかった。ほしいと思う気持ちは人一倍あったと思うのだが、あとから思うと、彼女がほしいと思っている時期が楽しかった。高校が男子校だった正樹には、女子高生の制服が眩しかった。彼女がほしいと思う感情は、制服への感情に近かった。そのせいか、三十五歳になった今でも、女子高生の制服を見ると、ゾクゾク感じるものがあった。
 大学に入学してすぐの頃、友達だと思っていた連中には、
「俺はロリコンだからな」
 と嘯いていた。
 別に隠すことはないと思ったというよりも、正直に話した方が、あとで分かるよりもよほどいいと思ったからで、自分が聞き手の立場なら、当然同じことを考えるだろうと思ったからだ。
 だが、それは大学入学時点で浮かれていた時期だったからであり、時間が経つと、まわりの人も皆熱も冷めてきて、いつの間にかまわりが冷めてしまっているのに、まだ浮かれている正樹は完全に置いて行かれてしまっていたのだ。
 その感情が友達の冷たい態度になり、正樹に、
――友達なんかいらない――
 と感じさせたのだ。
 そう思うと正樹にこう感じさせたのは誰が悪いわけではない。正樹自身が招いたことだったのだ。
 正樹は皆がまだ浮かれていた頃、童貞だった。
――大学に入学したら、彼女を作って、早々に童貞を捨てるんだ――
 と考えていた。
 もちろん、その時には、風俗などという考えは最初からなかった。
 正樹が最初の頃に友達になったやつの先輩が、面倒見のいい人で、
「大学入学祝いに、風俗にでも連れていってやろう」
 と言ってくれた。
作品名:感情の正体 作家名:森本晃次