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感情の正体

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 ただ、正樹は最初に歴史小説を読んでから時代小説を読んだ。これは、正樹からしてみれば、
――当然の流れだ――
 と思っているが、
 他の人はほとんど、歴史小説を気にすることなく時代小説を読んでいる。
 それは、あくまでも小説をエンターテイメントとして読んでいる。つまりは架空の話だということをイメージして読んでいるから、楽しいと思っている。正樹はその思いを分からなかった。実際に史実が存在しているのだから、作者はその史実を元に、いかに興味をそそるような架空の話を書けるかをテーマにしているのだから、史実を知ることが必須だと思うのも当然のことである。
 正樹はそういう意味では正統派なのだが、世間一般では正統派ではないのだろう。
 小説を読んでいると、時間が経つのを忘れてしまう。友達がいなくてもそれはそれでいいと思うようにもなり、その頃から、友達がほしいという意識はなくなってきたに違いない。
 ただ、寂しさは人並みにあった。その思いが異性に対しての感情になって行ったのも否めない。特に看護婦さんに優しくされると、
――自分のことを好きなのかも知れない――
 などと、勘違いも甚だしかった。
 病院での入院は退屈ではあったが、それ以上に心細さが伴うものだった。元気であれば、何でもできるという意識があり、ケガの時など、なまじ元気なだけに、病院のベッドで横になっているだけで、どこも悪くないのに、病気になったような気がしてくるのだった。
 今までにも同じようなことがあった。よく小学生の頃からケガをしていたので、よく保健室には行っていた。そこで漂っている薬品の臭いには閉口したのと同時に、体調も悪くないのに、気分が悪くなり、
――熱でもあるんじゃないか?
 と思えるほど、身体がゾクゾクしたりしたものだった。
 中学生になって、入退院を繰り返すようになると、その時の気分がよみがえってくる。臭いなどするはずもない病棟で、急に鼻を突く臭いが感じられることがあった。そんな時は決まって、身体がゾクゾクしてしまい、熱っぽく感じてしまうのだった。
「工藤さん、大丈夫ですか?」
 担当看護婦の女性が、気分悪そうにしている正樹を下から覗きこむようにしてくる。
 その様子がとても可愛らしく、同じ熱っぽさでも、質の違う熱っぽさに変わっていくのだった。
 ゾクゾクしていた寒気から、次第に汗が滲み出てくる。汗が滲み出てくると、熱っぽさは引いてくるのだった。
 普段、ゾクゾクした時には、寒気はしても、汗が滲み出てくることはなかった。熱が身体に籠ってしまい、本当に発熱してしまったのではないかと思うほどに、身体の気だるさが収まることはなかった。
「進藤さん、山口さんの点滴の用意、できていないでしょう?」
「あ、すみません。今からやります」
 進藤というのが、正樹の担当看護婦で、彼女に小言を言っているのは先輩看護婦だった。進藤さんは下の名前を麻衣というようで、入院の長い患者からは、
「麻衣ちゃん」
 と呼ばれていた。
 麻衣は、そう呼ばれることがまんざらでもないようで、くすぐったそうにしながらも、いつもニコニコと受け答えをしていた。
 彼女は正樹が入退院を繰り返すようになってからこの病院に配属になった新人さんだった。
「毎年新人が結構いるんだけど、今年は少なかったので、大切に育てないといけないわね」
 という話を、ナースセンターでしているのを聞いたことがあったが、確かに新人が少ないのは間違いないようだった。
 その中でも麻衣は、天真爛漫というか、天然というか、いつも先輩から文句を言われているが、いつもニコニコしていて、憎めないタイプだった。
「看護婦としてはどうなのか?」
 とは言われるだろうが、いつもネガティブになり、誰にも相談できずに一人で悩みを抱え込むよりもマシではないだろうか。
 少なくとも入院患者のウケはいいようで、新人ナンバーワンの人気を誇っていた。
「人気があるのもどうかしらね?」
 と、先輩ナースは麻衣の人気に苦言を呈していたが、それが先輩としての意識からなのか、それとも彼女のポジティブな性格に対しての嫉妬のようなものがあるのか、まわりから見ている分には分からなかった。
「私、痒いところに手が届くような看護婦さんになりたいの」
 と、麻衣は言っていた。
「それって、気を遣うことができるってことだよね?」
 と聞くと、
「ええ、そう」
 と麻衣は答えた。
 今の麻衣に気を遣うことを要求するのは酷な気がしていたが、それ以上に、麻衣には人に気を遣うことのない状況で、気が付けば自然とその人のためになっているような看護婦であってほしいと思っていた。
 あくまでも正樹の願望ではあるが、願望もまた真実であるということを、正樹は感じていた。
 病院のベッドで横になっていると、いろいろなことを考える。それだけ時間だけはたっぷりあるのだから、何を考えても自由だった。小学生の頃までは、少しでも時間に余裕があると、
――ロクなことを考えない――
 と思い、余裕のある時間を何かに充てようとしていたのを思い出した。
 だが実際に時間に当て嵌める何かがあるわけではなく、自分の気持ちに反して、一人いつも何かを考えていた。
 それも次第に嫌ではなくなっていた。確かにいつも何かを考えているが、気が付いた時には何を考えていたのか、ハッとしてしまったこともあってか、覚えていなかったりするのだ。
――つい今のことなのに――
 と考えるが、思い出せないということはそれだけ、時間の節目があったということなので、無意識に考えていたことが格納されたということを示していた。
 正樹は入院中にも何度も同じようなことがあった。
――さっきまで何を考えていたんだろう?
 と何度感じたことか。
 そのたびに敢えて何を考えていたのかを思い出そうとはせず、
――いずれ、来たるべき時に思い出すんだ――
 と思うようになった。
 麻衣は正樹がそんなことを考えている時に限って、声を掛けてくる。
「工藤さん、いったい何を考えているんですか?」
 正樹が思い出そうとしたのをやめたその時に、図ったようなタイミングで聞いてくる。
「あ、いや、別に何も考えていないよ」
 もし、思い出すことを諦める前であれば、もう少し違った答え方をするのだろうが、いったん諦めようと思った後なので、こんな言い方しかできなかった。
 だが、この言い方が正樹にとっての一番の切り返し方で、これ以上深い回答ができないと分かっていることを切り上げるにはちょうどよかった。
 麻衣は、正樹が考え方を変えようと思ったり、別のことを考えようと頭を切り替えたタイミングで話しかけてくることが多い。
 最初は、
――本当に間が悪い人だ――
 と思ったが、ここまで、
――間が悪い――
 と思った時に限って話しかけてくると、
「逆も真なり」
 という思いがこみ上げてくるのだ。
 マイナスであっても、それを積み重ねて最後にひっくり返せば、大きなプラスを得ることがある。じゃんけんで勝ち続けるのは難しいが。負け続けるのも難しい。心の中で、
「勝ちたい」
 と願っているからであろう。
「負けたい」
作品名:感情の正体 作家名:森本晃次