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感情の正体

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 試験が終わってから発表までには一週間近くあったが、待っている間の最初の五日間はあっという間に過ぎたような気がした。
「どうせ合格するさ」
 という、まわりの反応と同じで自分も心配などしていなかったにも関わらず、最後の一日だけは、想像以上に緊張したものだった。
「間違いないと思っているのに」
 と、自分に言い聞かせたが、それが逆にプレッシャーになっていた。
――俺に今回の試験でプレッシャーなんかまったくなかった――
 と試験中も感じていたので、それほど完璧なほど自信があるのだから、よもや心配するなど愚の骨頂とまで思っていた。
 しかし、実際に発表の前の日になると、それまでの毎日とは違った一日が始まったという意識が、目が覚めた時からあった。
――どうしたんだろう?
 自分の中で、不思議な感覚だったが、最初はそれがどこからくるものなのか、まったく分かっていなかった。
 まさか、発表を前にプレッシャーを感じているなど、考えてもみなかったが、考えてみれば、今までプレッシャーというものがどういうものなのか知りもしなかったので、初めて襲ってきたプレッシャーの正体が分からなかったのも無理もないことだ。
 逆に分かっている方がおかしい。そうは思ったが、その時に感じているのがプレッシャーだと自分なりに理解した時、
――この感覚って初めてじゃないような気がするんだよな――
 と感じたのだ。
 まだ勉強などしたいと思っていなかった時に感じたことだったというのは分かっている。勉強が好きになってからの自分は、時系列で大体のことは覚えているので、過去に感じたことであれば、そのまま記憶を遡って、いつごろのことか、分かりそうなものだった。
 それなのに、初めてではないと思ってみても、
――そんな気がする――
 という曖昧なものでしかなかった。
 それは記憶にあったことだとしても、時系列で遡った感覚ではないからだ。
 正樹の記憶には、どこか溝のようなものがあり、その溝は勉強に興味を持つ前と持ってからの間の歪であることは分かっていた。
 正樹は発表の前の日、朝から同じことを繰り返しているような気がしていた。
――昨日と同じことを繰り返している――
 といまさらながら考えていた。
 ただ、考えるまでもなく、毎日というのは、ほとんど前の日の繰り返しであることは誰だって一緒ではないだろうか。朝起きて、顔を洗って歯を磨き、朝食を取る。朝食を摂らないことはあっても、それ以外は毎日の日課だった。そのことを、
「繰り返している」
 という認識にならないのは、それだけ毎日の生活を当たり前のこととして捉えていて、意識していない証拠だろう。
 だが、どうして意識しないのか、正樹は考えたことはなかった。正樹に限らず他の皆もいちいち意識するようなことではないだろう。日課を感じることで、
「毎日を繰り返している」
 と感じたのだとすれば、それはよほど繰り返すということに日頃から意識をしていないかということを再認識させられた証拠ではないだろうか。
 ただ正樹が、
「同じ日を繰り返している」
 と感じたのはその日だけで、翌日の発表の日から、繰り返しているという意識を持つことはなかった。
 合格発表の朝は、目覚めは悪くなかった。すでに心の中では、
「合格間違いない」
 と思って疑わなかった。
 前の日は心の中で、
「もし、合格していなかったらどうしよう」
 というネガティブな思いがずっと支配していた。
 少しの間、ネガティブではなくなったかと思うと、数十分もしないうちにまたネガティブになり、
「合格しなかったら……」
 と、余計なことを考えていた。
 それが頭の中で何かを繰り返しているという発想に繋がり、あとから思い返すと、
「同じ日を繰り返している」
 という発想になったのではないだろうか。
 その日一日は、自分では、
「あんなに長かった一日はなかった」
 という意識を持っていたが、終わってみれば、
「合っという間だった」
 と感じた。
 終わってから、その日に感じた時間の長さを違う感覚で意識してしまうことはなかったわけではないが、その日ほど差があった時は、後にも先にもその日だけだった。
「今日は開き直ったようだ」
 合格発表の日は、前の日にあれだけネガティブになっていた発想はまったく消え去り、合格を信じて疑わない様子だった。
 前の日に、ネガティブという膿を出すことによって、開き直ることができたのだと言えなくもないが、そもそも開き直ることができる性格で、そのために、一度ネガティブに陥る必要があったと考えれば、前の日の一日も説明がつくだろう。
 しかし、逆もありえる。
「ネガティブな性格が自分の本来の性格で、その恩賞として、開き直りが用意されている」
 という発想だ。
 これは、あまりにも自分に都合のいい発想だが、ネガティブな一日を過ごした自分だからこそ、自分に対して都合よく考えてもいいのだと思うと、正樹は自分を納得させるためには都合のいい発想も悪くないと思うようになっていた。
 完全に自信の塊になった正樹は、当然のごとく合格していた。そして、合格発表のその日が自分にとっての新しい出発の日だとして、勝手にその日を自分の中に刻んでいた。
 そこから先は、ずっと有頂天になっていた。
――俺以上の自分に自信を持つ人間はいないんだ――
 という思いであった。
 自信過剰というよりも、自惚れが独り歩きをしようとしているのを、自分で諌めているようなイメージだと言ってもいい。正樹の中で、その時、何かの葛藤が存在していたのだろうが、自信に満ち溢れていた正樹には、そんなことはまったく分かっていなかった。
 実際に合格して見ると、あっけないものだった。
「こんなに簡単なことだったんだ」
 と、それまでの努力を否定しまいそうなほどのあっけなさに、正樹は少なからずの動揺を覚えていた。
 だが、実際に過去を振り返ってみると、
「二年前まで、勉強が嫌いだったことを思えば、その成長ぶりはすごいとしか言いようがない」
 と、自分のことでありながら、自画自賛を恥ずかしいとは思えない。まるで他人事のような思いに、正樹は受験という一つの節目を、本当の終わりのように感じていたということに対して、まったく分かっていなかったのだ。
 中学に入学してみると、まわりは今までと違い、エリートの集団のように思えた。
 集団と言っても、それぞれに個別な存在なのだが、正樹は自分だけが別の存在のように思えて仕方がなかった。なぜそんな風に感じたのか分からなかったが、そのせいか、せっかく頑張って入学した中学だったのに、自分の目的が間違っていたという認識になる。
 だが、考えてみれば当たり前のことだ。
 受験して、一定の成績を収めた人だけが選ばれて入学してきたのだ。正樹と立場は同じである。他の人たちも正樹と同じように、まわりのレベルが今までと違っていることに戸惑っている人もいるはずなのだが、皆が皆、その思いを隠そうとしているようだった。そのせいで、正樹は個別な存在なのに、自分だけが別の存在のように思えてしまったのだということに気付いていなかった。
作品名:感情の正体 作家名:森本晃次