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感情の正体

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 と考えるようになったのは、持って生まれたものだというよりも、
――成長の過程で身についてきた考え方――
 と言えるのではないだろうか。
 正樹は自分の思春期の中で、
――未来に続く成長――
 という考え方が、
――今までになかったポジティブなものではないか――
 と感じるようになったことが、一番の成長だと思っていた。
 だが、これこそ、他の誰もが感じていることで、正樹独自のものではないということであった。正樹は自分の思春期のどこかに失敗があったとすれば、
――この勘違いが一番の失敗だった――
 と言えるだろう。
 正樹は病院のベッドで寝かされていた。意識が薄れていく中で、何か喧騒とした雰囲気が自分を中心に駆け巡っているという意識はあるものの、意識が遠のいていくことで、それが他人事のように思えてきた。他人事のように思えることで、正樹はそのまま昏睡して完全に意識を失ってしまった。
 そのまま手術を受けたようだ。苦しかったはずの身体が宙に浮いているような気分になり、気が付くと、ベッドの上で寝かされていた。
 正樹はすぐにそれが手術の後であることを看過した。まわりを見渡すがそこには誰もおらず、腕は掛け布団の上にあり、そこに点滴の針が刺さっているのが分かった。
 点滴など、それまでに受けたことがなかった。学校で予防注射をされたことがあったが、点滴などという仰々しいものは自分とは無関係のものだという意識を持っていたのだ。
 痛みはなかった。だが、少しでも動かすと痛みを感じてしまいそうな気がしたので、腕は極力動かさないようにしようと思った。
 ベッドの左側には窓があり、そこから差し込んでくる日差しが少し眩しかった。
 今が朝なのか夕方なのか分からない。そもそもどれだけ自分が眠っていたのかも分からない。誰かが来て説明してくれなければ、正樹は何も分からないのだ。
――分からないんだから、何かを考えることは無駄なことなんだ――
 と、普段は考えないようなことを感じた。
 当たり前のことなのだが、普段はそんな当たり前のことを考えたことはなかった。無駄なことだと考えたその時、急にスーッと気持ちが落ち着いてきたのを感じた。
――まるで他人事のようだ――
 と感じたのだ。
 自分のことなのに、自分ではどうすることもできない状況に陥ってしまうと、焦りが生まれるものだと思っていたが、実際は逆だった。どうすることもできない状況は、自分が作り出したものではない。そう思うと一気に気が楽になっていた。
――焦りを一回通り越したんだろうか?
 と考えた。
 普段から、意味もなく何かに焦っているのを感じていた正樹は、そのことを意識しないようにしていた。だが、意識しないということは却って状況が変化した時、比較対象になるものだ。そのことをその時の正樹はいまさらながらに感じていた。
 中学時代の正樹は、小学生の自分から脱却し、大人になりたいと感じていると思っていた。
 だが、小学生の自分からの脱却とは何を意味するものなのか、分かっていない。ただ単に、
――大人になりたい――
 と思っていたとすれば、漠然としすぎていて、余計に必要以上のことを考えてしまいそうに思えた。
――大人の定義っていったい何なんだ?
 という思いがあるからだ。
 大人になるということがどういうことなのか? そもそも、大人っていくつからなのか?
 そんなことを考えていると、考えが枝分かれしていくことを感じ、その枝分かれした考えが、それぞれに相関関係として矛盾を孕んでいるように思えた。
 大人になるのがいくつからなのかという考えは、ある一点を指して考えることで、それが時間を断面で割ってから判断するものだと思えた。
 つまりは、自分の精神状態がいかにあるとしても、すべてを一刀両断にしてその瞬間から大人になったという考えである。それは危険な考えに思えたが、正樹の中ではすうに否定することはできなかった。
 状況によって、大人になるという時期に差異が生じるとすれば、それは段階を追う形での大人への道である。
 いわゆる、
「大人への階段」
 という言葉で表現されるもので、一足飛びに一瞬にしてすべてが大人になるというわけではないという考えだ。
 この考えは一番しっくりと来る。気持ちにも考え方にも余裕が感じられ、柔軟性もあって、説得力もある。もっとも理解しやすい考え方である。
 だが、正樹はその考えをすべて鵜呑みにできないところがあった。
 正樹には、一足飛びに大人になるという考えが捨てがたかった。それは、大人になるというその人の一大イベントを最大の演出として捉えるからだった。
 自分でも理解できないうちに大人になったというのは、気持ちにも理解するにも余裕があって汎用性のある考え方である。しかし、それではまわりを納得させることはできるかも知れないが。本当に自分を納得させられるだろうか。
 まわりは、見た目で、その人が大人になったと思えればそれでいい。たとえば、人に迷惑を掛けないだとか、見た目自立できているだとか、子供の頃とは明らかに違う判断力を有しているということから、そう感じるのだろう。
 だが、本人は、まわりが納得できることを理解できているのかどうか判断としては難しい。だからこそ、本人が納得するには、まわりには分からない自分にしか理解できない何かを理解する必要がある。
 そのことを正樹は分かっていた。だが、理解できるものが何なのか、ハッキリと自覚できていなかった。
――まわりは自分が大人になってくれたことで安心しているようだが、俺は自分で納得できないことが心配だ――
 と感じていた。
 そのことをカウンセラーの先生に話をしたことがあった。
 正樹は、中学時代の学校にはカウンセラーの先生がいて、その先生にたまにであるが相談していた。
「君のように相談に来てくれる生徒は少なくてね」
 と先生は言っていたが、それは、切羽詰まった生徒の相談は受け付けることがあるが、正樹のように、見た目切羽詰まってもいない生徒が相談に来ることは稀だという。それだけに嬉しいということのようで、先生に喜んでもらえることも、正樹には相談に来る意義があるようで、嬉しかった。
 カウンセラーの先生は、
「大人になるということに対して、自覚を感じている人はたくさんいるが、大人の定義を考える人ってなかなかいないんだよ。定義と言うのは漠然としたものだという意識が皆にはあるんだろうね」
 という先生に、
「先生は他人事のように言いますが、先生はどうなんですか? 定義を漠然と考えたりはしなかったんですか?」
 と聞くと、
「僕も漠然としてしか考えていなかったよ。だから、大人になったという意識は他の皆と同じだった。だから、大人になったと自覚してからその後で、まわりから、『子供じゃないんだから』と何度か言われたことがあったけど、何を示してそんなことを言うのか考えても自分では分からないんだ。そのことを聞き直す勇気なんか出てくるはずもなく、結局そのままスルーしてしまったものだよ」
 と言って笑った。
 正樹は高校生になってから大人になるということを先生に相談してみたりはしたが、中学時代にはそんなことは考えなかった。
作品名:感情の正体 作家名:森本晃次