感情の正体
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
受け身
最近の世の中は、相変わらず暗いニュースばかりが新聞や雑誌を賑わせていた。政治の世界しかり、社会問題もしかり、コメンテーターは引っ張りだこだった。
世の中というのは、何がどうなって成り立っているのか、誰もそんなことを考えたりはしないだろう。有識者だったり、大学の偉い先生は考えたりはするのだろうが、
――どうせ結論なんかでやしない――
と思うのか、インタビュアーの聞き手も忖度してなかなか聞くことをしない。
それでもたまに聞く空気の読めないアナウンサーもいて、答えに苦慮する先生を見ていると、どこか滑稽に思えてくる。
まだまだ寒さの残る三月下旬、世の中は四月の新学期に向けて、ゆっくりと準備が進んでいるかのように見えた。そういえば、暦の三月が四月になっただけで、急に暖かく感じられるのはどうしてなのだろう?
朝の通勤電車も、三月までは車内はまばらだったのに、急に四月になると、人が増えてくる。しかも若い人が増えたような気がする。若い連中はまわりの雰囲気を感じることなく、車内を我が者顔で、奇声を上げるかのように大声で話をしている。だが、そんな風景も最初の三日ほどで、その次からは、いつものような電車内の風景が戻ってきた。
それまで騒いでいた連中も、ウソのように黙りこくり、おのおのでスマホや携帯の画面を食い入るように眺めている。
――あれが昨日までの騒がしかった連中なのか?
と思うほどで、その雰囲気は一気に年を取ったかのようで、すでに三十歳を超えているくらいに見えていた。
今年、三十五歳になる工藤正樹は、そんな新入社員の時期を何度となく見てきた。そのほとんどはあまり変わってしないのだろうが、やはりスマホに目を落としている人がほとんどであるのは、何度見ても閉口してしまう。
騒がしい時期も少しずつ短くなっていた。
正樹が新入社員の頃は、一週間くらいは電車の中が騒がしかったものだが、今ではその半分くらいである。
――それにしても、よくここまで変貌できるな――
と思うほど、それまで騒がしかった連中が完全におとなしくなるのだから、スマホの威力というのはかなりなものなのだろう。
正樹は自分ではスマホを持っていない。会社で使うことはあったが、自分で持っている意味がないと思ったからだ。それも毎日のようにスマホに目を落としている連中を集団で見ていると、自分も同じ仲間だということを認めたくない気持ちになるのも無理もないことだろう。
スマホを見ない習慣は、まわりに影響されたくないという思いが一番強い。実際には面倒臭がり屋だというのも理由にはあるが、それよりも、
――皆と同じでは嫌だ――
と思う方は強く、自分が天邪鬼だとも思っていた。
子供の頃から友達は少なく、友達がいた時代は大学時代だけだった。しかも友達と言っても、挨拶を交わすくらいのもので、こちらが思っているよりも、相手は何も思っていなかったに違いない。
実際に何か困ったことがあって、相談に乗ってもらったが、それが金銭的なことだと相手が察した時、急に冷たくなった。
それでも、何とかしがみつこうと、
「友達じゃないか」
というと、相手は黙って一度顔を下げると、何かを考えていたが、急に顔を上げると今度は上から目線になり、何も言わずに威嚇された。
「何だよ」
というと、
「友達だって思ってるのは、お前だけだ」
と言って、その場をすぐに立ち去った。
さすがにショックだったが、ショックよりも腹が立った。何に腹が立ったと言って、言われたことに腹が立ったわけではなく、実際には友達だなんてこっちだって思っているわけではなかったのに、その気持ちを押し殺して、
「友達じゃないか」
と言ったのに、それを相手に簡単にいなされてしまったことだ。
――こんな気持ちになるのなら、言わなければよかった――
という思いに至った自分に腹が立ったのだ。
それ以来、正樹は友達を作ろうとは思わなかった。就職活動をしている時も、仲間ができたが、あくまでも就職活動という目的のためだけにつるんでいるだけで、友達という枠に囚われないようにしていた。
――そもそも友達って何なんだ?
と自分に問うてみたが、答えが返ってくるはずもなかった。
分からないものをわざわざ作ることはないだろう。どうせ困った時にも助けてくれるわけでもない。それなら一人の方が気楽というものだ。
学生時代も、大学生になるまでは、友達など一人もいなかった。だが、唯一友達がいたとするならば、小学生の六年生の時だったか、自分からではなく、相手の方から、
「友達になろうよ」
と言ってくれたのだ。
そんなことを言われたのは、今も昔もその時限り、嬉しかったのは正直な気持ちだった。
だが、小学校を卒業すると、その友達とは疎遠になった。同じ中学に進んだのだが、中学に進学した途端、友達は他に友達ができてしまって、正樹のところに来ることはなかった。
――しょせん、友達のできないやつが、俺なら友達になれると思って近づいてくるだけなんだ――
とその時に感じた。
それなのに、大学に進学した途端、急に友達がほしくなったのは、高校時代までの暗かったまわりの雰囲気が一変してしまったことで感じたことだった。柄にもなく、
――今なら友達ができるかも知れない――
と感じ、実際に友達になってくれる人もたくさんいた。
それを、
――俺は大学に入って変わったんだ――
と感じたことで、増えていく友達に違和感を感じることはなかった。
だが、実際には友達は増えていった。自分から声を掛けることもあったし、相手から声を掛けてくることもあった。
――俺の人生、捨てたものでもないな――
と感じた。
その途端、自分の今までの人生が間違っていたかのような錯覚に陥った。大学に入学したことで、そのすべてをリセットできると思ったのだ。
――リセット――
その言葉に正樹は自分の中で考えることへの躊躇が感じられた。
――何か躊躇するエピソードがあったはずなのに、それが何だったのか、思い出せない――
と感じた。
正樹は時々、急に物忘れが激しくなることがあった。
――あれ? さっきまで何かを考えていたはずなのに、何を考えていたんだろう?
という思いである。
正樹は大学に入ってどんどんできる友達に違和感を感じることはなかった。まるで増殖するかのように増えていく友達の数を、まるで当たり前のことのように受け止めていたのだ。
――これが俺の本当の姿なんだ――
と感じることで、ここからが自分の人生、やることなすことに正当性が感じられ、人から何かを言われても、
――すべてこの口が説明してやる――
とまで感じていた。
実際に、大学時代は絶えず何かを考えていたように思う。絶えることなく続く考えに、――そのすべてに辻褄が合っているからだ――
と感じていたのだが、その信憑性は曖昧だった。
大学を卒業し、就職した時も、初々しいスーツでの入社式に臨んだ時の自分を思い出すだけで、ウキウキしてきた。
受け身
最近の世の中は、相変わらず暗いニュースばかりが新聞や雑誌を賑わせていた。政治の世界しかり、社会問題もしかり、コメンテーターは引っ張りだこだった。
世の中というのは、何がどうなって成り立っているのか、誰もそんなことを考えたりはしないだろう。有識者だったり、大学の偉い先生は考えたりはするのだろうが、
――どうせ結論なんかでやしない――
と思うのか、インタビュアーの聞き手も忖度してなかなか聞くことをしない。
それでもたまに聞く空気の読めないアナウンサーもいて、答えに苦慮する先生を見ていると、どこか滑稽に思えてくる。
まだまだ寒さの残る三月下旬、世の中は四月の新学期に向けて、ゆっくりと準備が進んでいるかのように見えた。そういえば、暦の三月が四月になっただけで、急に暖かく感じられるのはどうしてなのだろう?
朝の通勤電車も、三月までは車内はまばらだったのに、急に四月になると、人が増えてくる。しかも若い人が増えたような気がする。若い連中はまわりの雰囲気を感じることなく、車内を我が者顔で、奇声を上げるかのように大声で話をしている。だが、そんな風景も最初の三日ほどで、その次からは、いつものような電車内の風景が戻ってきた。
それまで騒いでいた連中も、ウソのように黙りこくり、おのおのでスマホや携帯の画面を食い入るように眺めている。
――あれが昨日までの騒がしかった連中なのか?
と思うほどで、その雰囲気は一気に年を取ったかのようで、すでに三十歳を超えているくらいに見えていた。
今年、三十五歳になる工藤正樹は、そんな新入社員の時期を何度となく見てきた。そのほとんどはあまり変わってしないのだろうが、やはりスマホに目を落としている人がほとんどであるのは、何度見ても閉口してしまう。
騒がしい時期も少しずつ短くなっていた。
正樹が新入社員の頃は、一週間くらいは電車の中が騒がしかったものだが、今ではその半分くらいである。
――それにしても、よくここまで変貌できるな――
と思うほど、それまで騒がしかった連中が完全におとなしくなるのだから、スマホの威力というのはかなりなものなのだろう。
正樹は自分ではスマホを持っていない。会社で使うことはあったが、自分で持っている意味がないと思ったからだ。それも毎日のようにスマホに目を落としている連中を集団で見ていると、自分も同じ仲間だということを認めたくない気持ちになるのも無理もないことだろう。
スマホを見ない習慣は、まわりに影響されたくないという思いが一番強い。実際には面倒臭がり屋だというのも理由にはあるが、それよりも、
――皆と同じでは嫌だ――
と思う方は強く、自分が天邪鬼だとも思っていた。
子供の頃から友達は少なく、友達がいた時代は大学時代だけだった。しかも友達と言っても、挨拶を交わすくらいのもので、こちらが思っているよりも、相手は何も思っていなかったに違いない。
実際に何か困ったことがあって、相談に乗ってもらったが、それが金銭的なことだと相手が察した時、急に冷たくなった。
それでも、何とかしがみつこうと、
「友達じゃないか」
というと、相手は黙って一度顔を下げると、何かを考えていたが、急に顔を上げると今度は上から目線になり、何も言わずに威嚇された。
「何だよ」
というと、
「友達だって思ってるのは、お前だけだ」
と言って、その場をすぐに立ち去った。
さすがにショックだったが、ショックよりも腹が立った。何に腹が立ったと言って、言われたことに腹が立ったわけではなく、実際には友達だなんてこっちだって思っているわけではなかったのに、その気持ちを押し殺して、
「友達じゃないか」
と言ったのに、それを相手に簡単にいなされてしまったことだ。
――こんな気持ちになるのなら、言わなければよかった――
という思いに至った自分に腹が立ったのだ。
それ以来、正樹は友達を作ろうとは思わなかった。就職活動をしている時も、仲間ができたが、あくまでも就職活動という目的のためだけにつるんでいるだけで、友達という枠に囚われないようにしていた。
――そもそも友達って何なんだ?
と自分に問うてみたが、答えが返ってくるはずもなかった。
分からないものをわざわざ作ることはないだろう。どうせ困った時にも助けてくれるわけでもない。それなら一人の方が気楽というものだ。
学生時代も、大学生になるまでは、友達など一人もいなかった。だが、唯一友達がいたとするならば、小学生の六年生の時だったか、自分からではなく、相手の方から、
「友達になろうよ」
と言ってくれたのだ。
そんなことを言われたのは、今も昔もその時限り、嬉しかったのは正直な気持ちだった。
だが、小学校を卒業すると、その友達とは疎遠になった。同じ中学に進んだのだが、中学に進学した途端、友達は他に友達ができてしまって、正樹のところに来ることはなかった。
――しょせん、友達のできないやつが、俺なら友達になれると思って近づいてくるだけなんだ――
とその時に感じた。
それなのに、大学に進学した途端、急に友達がほしくなったのは、高校時代までの暗かったまわりの雰囲気が一変してしまったことで感じたことだった。柄にもなく、
――今なら友達ができるかも知れない――
と感じ、実際に友達になってくれる人もたくさんいた。
それを、
――俺は大学に入って変わったんだ――
と感じたことで、増えていく友達に違和感を感じることはなかった。
だが、実際には友達は増えていった。自分から声を掛けることもあったし、相手から声を掛けてくることもあった。
――俺の人生、捨てたものでもないな――
と感じた。
その途端、自分の今までの人生が間違っていたかのような錯覚に陥った。大学に入学したことで、そのすべてをリセットできると思ったのだ。
――リセット――
その言葉に正樹は自分の中で考えることへの躊躇が感じられた。
――何か躊躇するエピソードがあったはずなのに、それが何だったのか、思い出せない――
と感じた。
正樹は時々、急に物忘れが激しくなることがあった。
――あれ? さっきまで何かを考えていたはずなのに、何を考えていたんだろう?
という思いである。
正樹は大学に入ってどんどんできる友達に違和感を感じることはなかった。まるで増殖するかのように増えていく友達の数を、まるで当たり前のことのように受け止めていたのだ。
――これが俺の本当の姿なんだ――
と感じることで、ここからが自分の人生、やることなすことに正当性が感じられ、人から何かを言われても、
――すべてこの口が説明してやる――
とまで感じていた。
実際に、大学時代は絶えず何かを考えていたように思う。絶えることなく続く考えに、――そのすべてに辻褄が合っているからだ――
と感じていたのだが、その信憑性は曖昧だった。
大学を卒業し、就職した時も、初々しいスーツでの入社式に臨んだ時の自分を思い出すだけで、ウキウキしてきた。