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感情の正体

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 時間というのは、あればあるほど、あっという間に過ぎてしまうものだ。先輩が指定した時間は結構あるように思えたが、行為が進んでいくうちに、次第に終わりに近づいてきていることを正樹は悟っていた。
――他の人はどうなんだろう?
 正樹は、ポジティブな方ではない。楽しい時間をゆっくりと過ごせるようなことはない。
 気が付けば時間が経っていて、もうすぐ楽しい時間を終えなければいけないという感情に至った時、どうしようもないやるせなさに襲われることを知っていた。だから、時間が経過するとともに、終わりが近づく感覚を誰よりも知っているような気がして、その頃になると、すでに楽しめる感覚ではなくなっていた。
 昭和の時代から平成の今でも続いている長寿アニメがあるが、その番組は日曜日の夕方六時過ぎから放送されている。
 正樹は実際に使ったことはなかったが、親からそのアニメを見ている時に聞いた話として、
「この番組が始まると、もう明日の学校のことを意識しなくてはならなくなって、せっかくのアニメも楽しめなかった気がするわ」
 と言っていたのを思い出した。
 まだ小学生だった正樹もまったくの同意見で、何も言わずにただ頷いていたのを思い出していた。
 また、夕日を見るとお腹が減ってくるというような感覚もその頃からあり、一種の条件反射が身体に身についてしまっていたのだ。
 ただ、正樹はその条件反射を嫌な思い出として記憶しているわけではない。子供の頃に感じた懐かしい思い出として、嫌な思い出というよりも、むしろほろ苦い思い出というイメージで記憶していた。それでも楽しい思い出ではない以上、ネガティブだとは言わないが、
「ポジティブに考えることはできない」
 という表現になるのだろう。
 時間が過ぎることに、最近では子供のころほど意識しなくなっていた。しかし、時間が過ぎていく感覚は子供の頃よりもむしろ今の方が感じるようになっていた。
――ひょっとして、冷静にモノを見ることができるようになったという証拠なのかな?
 とも考えたが、それよりも、
――まるで冷静というよりも、他人事のように考えているようで、何かはぐらされているような気がする――
 と思うようになった。
 何にはぐらかされているのかなど分かるはずないが、何にはぐらかされているかということよりも、はぐらかされているという感覚に陥る自分の感性の方が、正樹には興味があった。
 最初の方は、
――慣れてくれば自分の方からもいろいろなことができる――
 と思っていたが、慣れてくる頃の時間になると、すでに終わりの時間が見えてくるようになった。
 そうなってしまうと、これからは期待というよりも、
――この時間をいかに収束させようか――
 ということの方が大切になってくる。
 楽しみに身を任せてしまうと、時間の感覚を失ってしまい、突然訪れた終了時間に戸惑いしか残せず、そこに残った戸惑いは、後悔に結びついてくる。
――ああしていればよかった。こうしていればよかった――
 という思いが頭をよぎる。
 そうなってしまうと、次に考えることは、
――取り返しのつかない――
 という思いだった。
 最初から時間の感覚を持っていれば、もっとやりようがあっただろうに、後悔だけが残ってしまうのは、愚の骨頂にしか思えないのだ。
 突然訪れた終了という「儀式」に、それまでせっかく積み重ねてきた慣れであったり、感情も、終了が突然訪れたことで、すべてを忘れてしまうことになる。楽しかったはずの時間が、まるでまったくなかったことになってしまうことが、一番辛いことだった。
 思い出そうと思えば、思い出せることだった。思い出すのもそんなに難しいことではないだろう。だが、思い出すことを正樹は嫌った。突然訪れた終了のために、一度失った培われた意識を取り戻すということは、自分のミスをなかったことにすることになる。それは正樹としては自分で自分を許せないことの一つとなっていた。
 ただ、正樹は今までに何度となく、
――突然の終了――
 を迎え入れることになった。
 たとえば小学校時代、一番好きだった遠足という行事である。
 遠足が決まってから、実際の遠足の日までの数日間は、正樹にとっては夢のような時間であった。
「早く遠足の日が来ないかな?」
 とずっと考えていて、他の子供にも言えることだが、
「遠足の前日、嬉しくて眠れなかったよ」
 という気持ちを誰よりも分かっているのが、正樹だった。
 だが、日曜日の夕方のアニメが、急に月曜日からの学校を思わせてしまうのと同じで、遠足の前日から当日目が覚めるまでの間、
「眠れなかった」
 という夜を通り過ぎると、急に遠足の終わりを意識してしまう時間があった。
 ただ、遠足の楽しみというのは、遠足が決定してから数日間も温めてきた思いであるため、遠足の終わりを意識しても、まだ頭が冷静になることはなかった。実際に頭が冷静になる時というのは、遠足の間のお弁当タイムを通り過ぎてからになるのではないだろうか?
 それまでは疲れなどほとんど感じなかったのに、お弁当タイムが終了し、いよいよ帰途の時間に差し掛かると、それまで感じていなかった気だるさが襲ってくるのだった。
 その思いは、夏の間に感じる夕方の時間帯に似ている。自分が感じている疲れとは違う種類の疲労が身体に襲い掛かっている。痛いわけではないのに、指先が痺れていて、自分の意志で動かすことができないような感覚に陥るのだった。
「工藤君は、帰りの時間になると、急に元気がなくなってくるのね」
 と、四年生の頃、一人の女の子に指摘されたことがあった。
 彼女がどういう意図でそんなことを口にしたのか分からない。思ったことをただ口にしただけだとも言えなくはないが、その表情が妙にリアルで、真剣みを感じさせるが、その表情には、
「違うとは言わせないわよ」
 という、確信めいたものがあったのが、正樹には怖いと思わせる感覚だった。
 だが、彼女の表情には攻撃的なところがあったわけではない。自分の考え方を正樹に聞いてもらって、それが正しいのかどうか、ただそれだけが知りたかったのかも知れない。小学生時代の正樹は、相手の女の子の真意がどこにあるのか分からずに、何も言い返せなかったのを覚えている。
 ただ、それは大人になった今でも同じことで、
――今、あの時に戻ったとしても、結局俺から何もいうことなどない――
 と考えていた。
 正樹はお弁当タイムの後から、その女の子と一緒に行動した。遠足と言っても、きちんと列さえつくっていれば、別に誰と一緒に歩いたとしても、問題ないという規則だった。
 もちろん普段、学校を出ると、整列や配置は最初から決まっていて。決められた配置に沿っての行動となった。遠足の時はそれが解放されるということで、遠足を楽しみにしている生徒もいただろう。
 だが、ほとんどの生徒の楽しみは、表でお弁当を食べられるということではないだろうか。そうでなければ、ただ学校を離れるのに歩いて出かけるということだけの遠足をそんなに楽しみにするということはないのではないか。これは昔も今も変わりのないことで、そんな数少ない伝統が残っているのも、嬉しく感じさせる思いでもあった。
作品名:感情の正体 作家名:森本晃次