感情の正体
正樹は子供の頃から、人から言われるままの行動を自分がしていることを自覚していた。そしてそのことが嫌だと思うことも多かった。しかし、それを抗うだけの気持ちはなかった、抗うことが勇気だとも思わない。かといって、抗うことで抗った相手に嫌われることが嫌だったわけでもない。
ハッキリとした理由もないのに、嫌だと思うのは往々にして正樹にはあったことだ。最初は理由が分からないことを、
――気持ち悪い――
と感じていたが、最近では気持ち悪いと思うこともない。
――別にいいか――
と思うようになり、何かを感じても、その理由を深くは感じないようになった。
先輩に連れてきてもらった風俗も、嫌でもなければ、それほど嬉しくもない。ただ後ろに従ってやってきたというだけで、結局は自分の意志ではない。その思いは、
「言い訳じゃないのか?」
と言われても仕方がないが、それでも構わないと思っていた。
小部屋で、そそくさと手際よく準備をしている女の子を漠然と眺めていると、何かを考えているのだろうが、何を考えているのか自分でもよく分からないと思う正樹だった。
――こういう時って、会話しなければいけないんじゃないのかな?
とも思ったが、それも女の子の性格によるもので、別に自分が退屈しているわけではないので、それはぞれでいいのだろう。
「お兄さんは、初めてなんでしょう?」
と言われて、
「ええ、そうですよ」
と平気で答えると、
「こういうお店では、本当は会話を絶やさないようにしなければいけないのかも知れないけど、私にはそんなことできないって思っているの。話したくないことだってあるだろうし、余計なことを口にしたくないと思っている人もいる。でも、お兄さんはそのどちらでもないような気がするわ」
と、面白いことを言っている。
「どういうことなんだい?」
「自分から話をしたくないと思っている人は、目を見れば分かるもの。なるべく目を合わさないようにしようとしたり、こちらが目を逸らすと、待ってましたとばかり、私の身体を舐めまわすように見たりするのよ」
「それって気持ち悪くないですか?」
「普通ならそうよね。でも、私はそうは思わない。その人のそれが正直な姿なんだって思う。だって、男の人は女の子の身体に興味があるでしょう? しかも、これから相手をする人なんだからね」
「それはそうだけど」
正樹は、彼女の言うことが正統派な意見であることは分かっていたが、なぜか彼女が言っていると、その言葉に違和感が含まれているような気がした。その違和感がどこからくるものなのかは分からなかった。
「でも、私はそんな視線を見ると、かわいそうに感じるの。なんていうのか、その人の中にある矛盾を見たというのかね」
「えっ?」
彼女は正樹の感じている違和感を感じとっているのだろうか?
「自分から話をしない人って、控えめな人なのよ。つまりは受け身一辺倒で、自分から責めてこようとはしない人。責められることに終始する人ね。そんな人が私の身体を舐めまわすように見るというのって、何かおかしいとは思わない?」
「確かにそうですね。自分から責めたいと思うのなら、相手の身体を熟知していたいって思うんだろうけど、そうじゃなかったら、じっと見る意味がないような気がするな」
「そうでしょう? でもね、私はそれもありだって思うのよ。私の身体を舐めまわすように見ながら、自分の視線が私の身体にどんな刺激を与えるかを知っているんじゃないかって思うの。自分の視線で相手のやる気が増幅されればそれでいいんじゃないかってね。でも、風俗ではそんなことは通用しないんだけどね」
と言って、彼女は笑った。
正樹は、初めて見る女性の裸体、テカテカと光り輝くきめ細かい肌、そしてしなやかなまるで計算されているかのような動きを気にはしていたが、決して舐めまわすような視線を浴びせているわけではない。
それは、
――相手に失礼だ――
という思いがあるわけではない。
むしろ、見つめてあげる方が、相手にはいいのではないかと思ったほどだ。その思いを看破したかのように彼女は口にした。ただそれだけだったのだ。
用意が整ったのか、彼女が浴室から戻ってきた。
そして正樹を前にして、
「それじゃあ、裸になってくださいね」
と言って、バスタオルを一枚手に持って、正樹の前に鎮座した。
そして、手際よく正樹の身体から衣類を剥ぎ取って行ったが、正樹はその時、彼女の息遣いを感じたことで、さらに彼女の口元に聞き耳を立てるようになった。
「ハァハァ」
という息遣いであったが、それは別にエロチックなものではなかった。
かといって、息切れからくる、
――仕方のない喘ぎ声――
というわけでもなかった。
正樹にはそれが彼女にも気付いていない無意識な息遣いに感じられた。そう思うと急に彼女がいとおしくなってその口元を見つめていた。
彼女は正樹が自分の口元を見つめていることに気付いたようだが、どうして口元を見つめるのか分からなかった。彼女はニコリと微笑んだが、その笑みにはねっとりとした妖艶な雰囲気が感じられた。これが彼女に正樹が感じた一番最初の妖艶さだったのだ。
正樹は衣類を脱がされながら、くすぐったさを感じた。肌をすり抜ける衣類が心地よくて、思わず目を瞑ってしまいそうになるのを感じた。
――俺って、こんなに敏感だったのか?
と思ったが、脱がされているという感覚が、自分の中にある何かを刺激したのではないだろうか。
一糸まとわぬ姿になると、股間にすかさず彼女が先ほどのタオルを掛けてくれた。ここまでが一連の作業で、その手際には一切の無駄はなかったように思う。
――さすがプロ――
と感じたが、感じてしまったことを一瞬後悔した正樹だった。
そのまま手を引かれてお風呂に入った。ここでは彼女のテクニックの一端を見ることができたが、それは正樹が知っている耳年増としての知識にたがわぬもので、特質すべきものはなかった。
初めての経験なので、
――こんなものだ――
と感じればそれでよかったのだ。
ただ、夢のような時間を過ごしていると感じていた。限られた時間の中での恋人気分。人によっては時間を必要以上に気にしてしまって、自分の求めている快感をすべて得ることができない人もいるだろう。そんな人はどうして快感のすべてを得られないか分かっているのだろうか?
正樹はそれでもいいと思っている。百パーセントの満足感を得てしまうと、次に求めるものはどこにあるのかと考えるからだ。
――人は百パーセントを求めるものなのだろうが、百パーセントを得てしまうと、それ以上をどうやって得ようか、どう考えるのだろう?
と他人事のように思っていた。
それは目標を達成した時に似ている。新たな目標を設定できなければ、達成してしまったことで、すべてがリセットされてしまう気がする。
――せっかく得ることができた完璧さも、リセットしてしまうことで感情が高揚しなくなる――
正樹はそんな気がして仕方がなかった。
そういう意味で、風俗に来た意味があることに、その時の正樹は気付かなかった。
浴室では、すべて彼女の言いなりだった。
「どうぞ、こちらへ」