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感情の正体

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 になっていた。
「お母さんに言えないことでも、おばあちゃんになら言えるよね」
 とよく言われた。
「うん」
 と答えたが、その意味は分からずに答えているだけだった。
 弟が生まれて、弟に手がかかるようになったことで、正樹は母親の愛情が薄まったとおばあちゃんは感じたのだろう。
――いや、元々僕を独占したくてウズウズしていたんだけど、お母さんの手前できなかったんじゃないか――
 と中学生くらいになって分かってきた。
 だから、何を言うのでも母親と比較する話が多かったのも理解できるというものだ。
 そのうちに弟は両親が育て、正樹はおばあちゃんにべったりになっていた。おじいちゃんは正樹が生まれる前に死んでいたので、おばあちゃんが正樹を独占したいと思った気持ちも分からなくはないだろう。
 小学生の頃、自分がおばあちゃん子だということを友達に話していた。
「うちのおばあちゃんは、何でも買ってくれるんだよ」
 というと、友達は、
「ふーん」
 と言って、別に何もないかのようなリアクションを示していた。
 だから、言ってはいけないということを口にしているという思いもなく、話題の一つとして口にしていただけなので、まわりに与える影響など考えたこともなかった。
 正樹は小学生の高学年になった頃から、苛められっこになった。なぜ苛められるのか分からなかったが、おばあちゃん子だということが直接に影響しているわけではなかった。むしろ、何も考えずに口にしてしまうことが災いして、次第に相手にストレスを与え、苛めの対象へと育むことになったのだろう。
 そんな正樹をおばあちゃんは真剣に心配していた。両親はそれほど心配している感じに見えなかったのは、おばあちゃんの態度への反発があったのか、そんな両親に対しても正樹は疑問を感じていた。
 ただ、おばあちゃんの何が嫌だと言って、学校が終わってから校門を出ると、そこにはおばあちゃんが待っていて、一緒に帰るという日々が続いたことだった。
 正樹は露骨に、
「嫌だ」
 とは言わなかったが、それは迎えに来てくれているおばあちゃに悪いと思ったからではなく、ここで抗ってしまうと、何でも買ってくれるおばあちゃんを失うという発想から、おばあちゃんに抗うことをしなかった。
 どこかが頭の中でずれていたのだろう。だが、ずれているという意識がないことで、
「もう、迎えに来ないでよ」
 という本当の気持ちを口にすることができない自分への矛盾がどこから来ているのか、分からなかった。
 おばあちゃんが来てくれるのをどうして嫌だと思うのか、その一番の理由は、
「恥ずかしい」
 と感じることだった。
「お前はおばあちゃんが来ないと、一人じゃ帰れないのか?」
 と言って罵られてしまうことを極度に嫌った。
 実査にそう言って罵られた。顔から火が出るのではないかと思うほど恥ずかしく、その思いが自分を孤立させることになるのだと、無意識に感じていたのかも知れない。
 それとも、おばあちゃんの罪のない行動、いや、孫を思う気持ちが、子供の世界では大人を盾にしたかのような卑怯なやり方に見られるようで、さらに苛めがエスカレートしてしまうことを分かっていたかのようだった。
 実際におばあちゃんが来るようになってから、苛めがエスカレートしていったような気がする。
 おばあちゃんが迎えにきてくれる毎日は、二か月ほど続いただろうか。
――もういいや――
 と、開き直った頃になって、今度は急におばあちゃんが校門の前で待っていることがなくなった。
 どうしてなのか分からなかったが、どうやら両親と話をして、喧嘩になったようで、おばあちゃんが校門の前で待つことをやめたようだ。
 後から聞いた話では、
「おばあちゃん、そんな恥ずかしいことはやめてください。私はPTAをやっている手前、そんなことをされると、他の人の手前、やりにくくて仕方がないんですよ」
 と言ったようだ。
 それまでは、おばあちゃんも自分の意見をしっかりと言って、お互いの意見を戦わせていたのだが、その言葉を聞いた瞬間、おばあちゃんは急に言葉を失い、黙って頷いたという。
 正樹は後からその話を聞いて、
――おばあちゃんは、その時に自分のバカさ加減に気が付いたのかも知れない。お母さんが自分のバカさ加減に気付かずに自分を正当化するために言っている、自分だけの都合がいい加減嫌になったのだろう――
 と感じた。
――人のふり見てわがふり治せ――
 とはよく言ったものだ。
 おばあちゃんもそのことにやっと気付いたのだろう。
 おばあちゃんが来なくなってから、苛めもピタリのなくなった。別におばあちゃんが来なくなったから苛めがなくなったわけではない。実際には苛めの対象が別の子に移っただけで、正樹が認められたわけでもなんでもなかった。
 そんなことがあってから正樹は友達を作ろうとしなかった。作ったとしても、直接的な利害関係に発展するような友達を作るつもりはない。アニメやドラマでの親友や友達関係など、現実の世界では理想でしかないと正樹は考えていたのだ。
 それでも思春期になると、正樹は女性を意識するようになった。
――友達はほしいとは思わないが、彼女はほしい――
 と思うようになった。
 ただ、正樹が彼女をほしいと感じた最初の理由は、クラスメイトの男の子が、嬉しそうに女の子と一緒に歩いているのを見て、眩しいと感じたからだ。それは完全な嫉妬心であり、自分の心の奥から、
「彼女がほしい」
 と感じたわけではない。
 正樹にとって彼女というのは、
――まわりに自分の存在をひけらかしたい――
 と感じたところから始まった発想で、彼女ができてからその先という発想は実際にはなかった。
 ある意味、
「謙虚だ」
 とも言えるかも知れないが、それは苛められっこだったために、なるべく出ないようにしようとする態度がそうさせるのかも知れない。
「出る杭は打たれる」
 という言葉が頭をよぎったことだろう。
 だから、
「彼女がほしい」
 と言いながらでも、実際には、
――自分に彼女などできるはずもない――
 という思いが潜んでいたのも事実で、むしろ、これが本音だったとも言えるのではないか。
 彼女ができてしまえば、彼女がほしいと思っている熱も一気に冷めてしまい、目標を達成したことで、何をどうしていいのか分からなくなる自分を、無意識に想像していたのかも知れない。
「目標は持つことが楽しいのであって、達成してしまえば、その後どうしていいのか分からない」
 と、いう話は聞いたことがない。
 考えてみれば、目標を達成してしまうと、その先を考えると、この思いが頭をよぎらないはずもない。それなのに誰も口にしないということは、言ってはならないタブーなのかも知れないと思うのだが、その理由が分からない。
 普通は達成できることを目標にするのものなのだが、達成した人は、どう思っているのだろう。次の目標を新たに設定できればそれでもいいのだろうが、達成するまでの目前の感情を知ってしまうと、すぐに他の目標を立てるなど、できるはずもないような気がする。
作品名:感情の正体 作家名:森本晃次