感情の正体
詳しくは覚えていないが、相手の何気ない言葉で傷つくのはデリケートな気持ちの持ち主だということなのだろうが、女性に対してトラウマが残ってしまっては、仕方のないことだろう。
そういう意味では、お店で童貞を捨てるというのもありではないか。素人相手と違って、相手は百戦錬磨、男性にどう接すればいいか、しっかりと分かっているはずだ。
百戦錬磨の相手だからこそ、いくら隠そうとしても、童貞だということはすぐに看破されるだろう。わざわざ隠そうとする必要もないし、最初から言っておく必要もない。筆下りしだって何度も経験済みだろうから、任せておけばいいのではないだろうか。正樹は緊張の中で、いろいろと考えていた。そんな時の時間というのは意外と早く進むもので、気が付けば待合室に最初からいた数人の客は皆いなくなり、完全に入れ替わっていた。いよいよ正樹の呼ばれる番が近づいてきていた。
「お客様、こちらへ」
と、スタッフに呼ばれた。
スタッフは淡々としていた。注意事項を読み上げて、
「カーテンの向こうに女の子が待機しています」
と言って、手招きしてくれた。
正樹がカーテンを開けると、
「こんにちは」
と言って、指名した女の子がニコニコしながら腕を組んでくる。
「行ってらっしゃいませ」
と言って、さっきのスタッフが送り出してくれる。
カーテンが閉められると、そこからは、女の子と二人だけの世界だった。
カーテンから向こうは薄暗い廊下になっていた。まるで子供の頃に入ったお化け屋敷の入り口に似ていた。
女の子が腕を組んでお部屋までエスコートしてくれる。
「どうぞ、こちらへ」
と女の子に言われるまま、部屋に入った。
「ただいま」
正樹はそう答えたが、この言葉は最初から言おうと思っていた言葉だった。
初めてきたところでも、ただいまというのはユースホステルを思い出した。女の子はその言葉を聞いてどう思っただろう?
――また来てくれるという意味の言葉なのかしら?
と勘繰ったかも知れないが、正樹はそれでもいいと思った。
勘違いであっても、相手がいい気分になってくれればそれでいい。せっかく会ったのだから、お互いに心地よい気分になれて、癒しが得られればそれでいいと思ったのだ。
正樹はまだ緊張していた。その証拠に気が付けばお互いに裸になっていて、
「こちらへどうぞ」
と、バスルームへ呼ばれた。
「このお店は初めてなんですか?」
と、女の子に聞かれた。
「ええ、風俗自体初めてなんですよ」
というと、
「ゆっくりしていってくださいね。今日の一日が忘れられない日になってくれれば私は嬉しいわ」
と言ってくれた。
「そうなれば本当に嬉しいんですけどね」
と、正樹はテレながら答えたが、本心からそう思っていたのだ。
女の子のテキパキとした仕草はさすがと思えた。初めてきたので、手順など分かるはずもないのに、次の行動が読めてくるようで、それが安心感に繋がっていた。そう思うと正樹は彼女に身を任せることが安心感に繋がっていると、再認識した。
「もっとわがままになってもいいんですよ」
と、女の子が言った。
「わがまま?」
「ええ、お客様であるあなたは、我がままになれる権利をお持ちなんですよ。もちろん、最低限のモラルというのは存在しますが、それさえ守れば、私ができることは何でもしてあげたいって思うんですの」
と言ってくれた。
「それがわがままだと?」
「ええ、私はわがままという言葉を悪い言葉だって思っていないんですよ。わがままというのは、その人の感情であり、相手に対しての意思表示でもある。わがままを否定すると、相手に何をしてほしいのかということまで封印してしまい、相手も何をしていいのか困惑することになる。結果的には相手を困らせることになるって私は思うの」
「最低限のモラルと、わがままとの線引きは難しくないですか?」
「そんなことはないですよ。私はこれでもたくさんの男性を相手にしてきましたので、このお部屋の中で相手が何を望んでいるかということはある程度分かる気がしています。私だって、相手が癒しを感じてくれると嬉しく思いますからね。それこそ冥利に尽きるという言葉の裏付けになるんですよ」
彼女の話を聞いていると、正樹は自分がわがままでいいのかどうか、分からなくなってきた。
「お前はわがままだからな」
と、よく子供の頃、親や先生から言われてきた。
それは戒めにしか聞こえないことだった。面と向かって言えるのは、親や先生しかいないのだろうが、
――そんなにハッキリと言わなくてもいいのに――
と、言われた言葉にピンとこない正樹は、まるでことわざの、
「ぬかに釘」
という言葉を思い起こさせた。
それからわがままという言葉は、正樹の中で一種のトラウマのように受け取られていた。わがままという言葉に信憑性を感じながら、自分の中にあるわがままな性格を、自分では悪いことだとは思っていないのに、まわりから言われてしまうと、すべてが悪いことになってしまう。それが嫌だったのだ。
わがままという言葉が自分勝手だということと結びついてくる。正樹は子供の頃からわがままを諌められていたので、自分勝手だと言われるのと、わがままだと言われるのは別の意味だと思っていた。
「わがままと自分勝手というのは、どこがどう違うの?」
と、親に聞いたことがあった。
親は困惑して、最初はどう答えていいのか迷っていたが、
「そんなの決まっているじゃない」
と急に言った。
「決まっているとは?」
「同じに決まっているということよ。そんな当たり前のことを聞くんじゃありません」
と言われて、それ以上正樹は何も言い返せなかった。
今から思えば、それは親の開き直りだった。子供が結局言い返せなくなるかどうかまで分かっていたのかどうかは分からないが、最後には決まっているという言葉を使って、親の権限とでもいうのか、子供に言い聞かせるというよりも、強引に言い切ってしまって、話をそこで終わらせようという姑息な手段に過ぎなかったのだ。
――俺って、わがままなんだ――
と思い続けることになるが、その感情が正樹の中でトラウマになっていった。
子供の頃というのは、誰にでも似たようなトラウマは一つや二つはあるだろう。正樹の場合のように、大人の都合でトラウマとされてしまったことも多いだろうが、自分の性格を押し付けられたような思いは、どこまで信憑性があるのか、疑問でしかない。
正樹には二つ違いの弟がいた。正樹は長男ということもあって、弟が生まれるまでは完全に甘やかされて育った。弟が生まれてから少しの間は、弟に手が掛かってしまい、それまでのように自分の相手をしてくれない両親に、まだ三歳でしかない正樹は疑問を抱いていた。
それは両親の態度を見ていて感じたことだが、同じことを言うのでも、前はニコニコして話してくれていたのに、弟が生まれてからは、どこかよそよそしく感じられた。どうしてなのかが分からないだけで、子供というのは、本能でその微妙な違いを察知できるようにできているようだ。
それでも、両親はなるべく分け隔てなく僕たちを育てたようだったが、気が付けば、正樹は、
「おばあちゃん子」