影惑い 探偵奇談19
「本当にそれだけ?」
まっすぐに見つけてくる瞳。目を逸らした。このまっすぐな視線に嘘をつくことに対して、恐ろしいくらいの罪悪感が浮かんでくる。裏切者だ、自分は。どんなときにも誠実な彼に対して、嘘で取り繕うなんて。
「本当のこと言って…」
郁の両肩に手を置いて、彼は途方に暮れたように項垂れる。弱弱しいその声色に、郁は胸を打たれた。
「…だってあたし、本当のこと言ったら、嫌われちゃうもん…ドン引きされて絶交されちゃう…」
涙も、溢れてくる感情も、郁にはもう止められなかった。瑞が驚いたように目を見開く。
「須丸くんに嫌われたら、もう生きていけないもん…」
嫌うわけないだろ、と半ば怒ったような声で瑞が郁を見つめてくる。
「言ってよ一之瀬…頼むから」
好き。大好き。好きで好きで、もうどうしていいかわからない。
須丸くんもあたしを好きになって。お願い。そしてもう、他の女の子に優しくしないで。笑ったりしないで。ずっとずっとそばにいて。
こんなこと、絶対に言えない。
「言えないんだよ…」
その瞬間、肩に置かれた瑞の手に力がこもるのがわかった。そのまま遠慮がちに引き寄せられて、郁の頭が瑞の胸に収まる。大好きな香水の匂いに包まれる。瑞はもう何も言わなかった。そのまま、時間だけが流れていく。ざわざわしていた心が、静かに静かに凪いでいく感覚。体がぽかぽかしてくる。高ぶっていた気持ちが落ち着き、どろどろしたものが浄化されていくのがわかる。嫉妬やエゴが消えて、ただ単純に、彼に対して大好きだという純粋な思いだけが沸き上がってくる。
(…そうだ、こういう感じだった。好きっていうの)
焦ってばかりで、少し遠ざかっていたのかもしれない。このひとをただ純粋に好きだと思う気持ち。独り占めしたいとか、自分のものにしたいとか、そういう感情ばかりが先行していたけれど。心の中にまずあるのは、こういう温かい思いだったはずなのだ。郁はそれを久しぶりに感じた。
作品名:影惑い 探偵奇談19 作家名:ひなた眞白