影惑い 探偵奇談19
「一之瀬?」
そんなことを考えて立っていた郁の背中に、瑞の声が掛かる。振り返れない。自分がいま、どんな顔をしているか郁はわかる。絶対ブサイクで性格悪い顔。
「先いくね、お疲れさま」
努めて明るい声でそれだけ言って、弓道場を後にする。最悪だ。勝手に嫉妬して勝手に怒って、身勝手な理由で顔も見ずに挨拶して。いつから自分は、こんな人間になってしまったんだろう。
「ちょっと待って」
後ろから肩を引かれ、郁は思わず悲鳴を上げた。草履をひっかけた瑞が、郁の肩を引いて向きを変える。
「なんか一之瀬、怒ってる?」
顔が赤くなるのがわかった。身勝手な自分の感情を見透かされている。
「怒って、ないよ」
「怒ってるだろ。なあ、ちゃんと教えてよ。この頃、俺らなんか変じゃない?前はこんなことなかったろ?もっと楽しかった」
じわ、と目に涙が溜まって来た。泣いたら駄目だ。瑞を困らせてしまう。
「変じゃない、よ。昨日も、普通に、話したじゃん」
「そうだけど。でもたまにあれって思うんだよ。喧嘩してるわけでもないのに、うまく話せないときがある。俺、おまえに何かしたかな。それなら、言って欲しいんだよ。俺そういうの気づけないし無神経なところあるから…だから…」
切実な訴えに、郁は、ますます自己嫌悪に陥る。瑞は何も悪くないのに、こんな風に自分を責めて郁の思いを聞こうとしてくれている。勝手に好きになって、勝手に想いを閉じ込めて、だけど弱さ故にそれも出来なくて、子どもじみた独占欲で怒ったり泣いたりしている。
「ごめんね…」
郁は謝ることしかできない。本当の理由を話すことは出来ない。終わってしまうから。
「須丸くんは、悪くないのに、あたしが…勝手に、焦ってるだけなの。弓、うまくなりたいし、上手な一年生に、抜かれるのが怖いって、それだけだよ…」
それらしい嘘をついて、誤魔化すことしか、もう。
作品名:影惑い 探偵奇談19 作家名:ひなた眞白