影惑い 探偵奇談19
宣戦布告
郁が弓道場を訪れたときには、もう瑞が弓を引いていた。大体朝練に一番乗りなのは彼である。邪魔をしないようそっと靴を脱ぎ、射場の後ろに静かに座って彼を眺める。
(すごく贅沢…)
弓を引く後姿を、独り占めしているこの時間。美しい弦音。残心。見慣れた景色がどんどん狭くなり、小さな世界に収まっていく感覚。どんな瑞も大好きだけど、胴着姿の彼はより一層好きだった。
「一之瀬いたのか。おはよ」
「おはよう」
いつも通りに言葉を交わし、郁も稽古の準備に入る。
「おはようございます」
熱心な一年生女子が三人、遠慮がちに入ってきた。
「おはよう。早いね」
「あの、一之瀬先輩、お邪魔じゃなければ射法八節を見てもらっていいですか?」
「もちろんだよ」
早く上手になりたいという気持ちには、先輩として応えたいと思う。誰かに教えるということも、とても勉強になるのだ。だけど。
「打ち起こしは、もっと丁寧に。下からすくいあげるようにして。肩をあげない」
「はい」
瑞が指導している声が背後から聞こえてくるだけで、もう郁は集中出来ない。こんなことでもやきもちを焼いてしまうのだから、自分でも呆れてしまう。なんと心が狭いのだろうか、と。
「副将って、優しいよね」
「うん、最初怖いなって思ってたけど」
「弓もうまいもんね。かっこいい」
朝練を終え弓道場を出るときに聞こえた三人の会話にも、郁はもやもやした思いを隠せない。優しいのは知ってる。怖そうだけど、すごく優しい人。でもそれを知ってるのは、わたしだけでいい。その優しさを受け取るのも、わたしだけでいいのに。
作品名:影惑い 探偵奇談19 作家名:ひなた眞白