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星の流れに(第三部・焦土)

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 体力の回復と梅毒の治療、ガンがなければそれで静子は良くなるはずだ、体力も気力も備わっているのだから……だがガンに効く薬はまだない、手術に頼るほかないのだがレントゲン写真を見ればもう手が付けられる状況にないことは幸子にもわかっている。
 医療の、そして自分の無力を呪うが幸子にはどうにもならない、医師が言った通り、残された時間を有意義に、安楽に送らせてやることしか……。


「幸子さん」
 翌日、幸子は廊下で静枝に呼び止められた。
「今日もお見舞い? 感心ね」
「お姉ちゃんの具合……どうなんですか?」
「……」
 言葉に詰まった、ガンのことは本人にも伝えていない、伝えるとすれば静枝だが受け止められるだろうか……。
「本当のところ、教えてください」
 幸子は静枝の真剣な目をしばしの間真っ直ぐに見つめ、受け止められるだろうと判断した。
「肺炎はもう良くなってる、それは実は梅毒から来てたんだけど、そっちも抗生物質で治療できる」
「それだけじゃないんですね?」
「ええ、一番厄介なのは肝臓ガン、正直なところこれはもう手が付けられないの」
「治らない……そういうことですか?」
「手術すればちょっとの間は改善するかも……でもあの段階まで進んじゃってると転移は避けられない、肝臓のガンも綺麗に取り除くことはできないの、血管が集まっているところだから、それほどの手術に耐えられる体力ももう……」
「あと……どれくらい?」
「二か月かも知れないし一か月かもしれない……」
「……そうですか……」
 静枝が肩を落としたのは見て取れた、しかしその華奢な肩に現実をしっかり受け止める強さもまた見て取れた。

 静子はそれから一月余りを病院で過ごした。
 自分の病状については聞かなかった、聞かなくてもわかっていたのだろう。
 そして、気分が良い日には時折病院の庭に出てお日様に当たっていた、夜の女として生きてきた静子には心地良かったのだろう、そしてそんな時、決まってあの歌を口ずさんでいた。

 ♪星の流れに身を占って 何処をねぐらに今日の宿
  荒む心でいるのじゃないが 泣けて涙も涸れ果てた
  こんな女に誰がした

  煙草ふかして口笛吹いて 当てもない夜のさすらいに
  人は見返る我が身は細る 町の火影の侘しさよ
  こんな女に誰がした

  飢えて今頃妹は何処に ひと目会いたいお母さん
  ルージュ哀しや唇噛めば 闇の夜風も泣いて吹く
  こんな女に誰がした

 (作詞:清水みのる 作曲:利根一郎 歌唱:菊池章子)

 実際の静子はこの歌に出て来る女よりも強く生きて、妹を守り抜いた。
 日本女性の防波堤になる覚悟を決めてRAAに志願した。
 だが、この歌のように涙が枯れ果てるまで泣き、真っ赤なルージュを引いた唇をかみしめることもあったかもしれない、人は気を張ったままでは生きられない、この歌は張り詰めた心をふと緩めてくれる歌だったのだろう。
 そして……『こんな女に誰がした』……静子はどう思っているのだろうか……。

 臨終の時、静子は何も言わずに息を引き取った。
 命を懸けて守り抜いた妹を幸子に託したい、そんな気持ちはあったのだろうが、それも口にはしなかった。
 妹はもう自分で生きて行けると思ったのかもしれない、混乱したままの世の中で幸子の負担になることは言えなかったのかもしれない。
 様々な思いはあったのだろう……だが静子はそれを全て心の中に抱えたまま旅立って行った。
 静枝も姉の臨終に立ち会いながら、涙は流さなかった。
 悲しくないはずもない、しかしここまで自分を支え続けてくれた姉に弱気な姿を見せてはいけないと思ったのだろう……。

 僧侶の読経が静かに流れている。
 葬儀らしいところと言えばそれだけだった。
 火葬場で死出の寝床に横たわる静子の亡骸……。
 僧侶に促されて最後の線香が手向けられると、釜の蓋が開けられ燃え盛る炎が目に飛び込んで来た。
 その時。
「お姉ちゃん!」
 静枝がそう叫んで火の中に飛び込もうとする、幸子はとっさに背後から抱きかかえた。
「離して! あたしもお姉ちゃんと一緒に逝く」
「駄目よ! 静枝ちゃん!」
「離して! 後生だから離して! あたし、もう生きていけない、生きていたくなんかない!」
 その叫びを聞いて、幸子は静枝を引き倒して馬乗りになった。
「馬鹿! 静枝ちゃんの馬鹿! 静子の気持ちがわからないの? 必死であなたを守って、生かして来た気持ちが!」
 それを聞くともがいていた静子の体から力が抜けた。
「いい? 良く聴いて! 聴いてしっかり思い出しなさい! 両国を焼き尽くした空襲の夜、静子はあなたを引っ張って泳いだんでしょう? 地下鉄にあなたを担ぎこんで助けたんでしょう? 河原にバラックを建てて二人で生き延びたんでしょう? 進駐軍に体を売ってまであなたに食べさせたんでしょう? 中学校にも上げたんでしょう? 今あなたが死んだらそれは全部無駄になるの! 静子が歯を噛みしめて、唇を噛んで頑張って来たことが全部無駄になるの!」
 静枝はとめどなく涙を流しながら幸子の顔をじっと見つめていた。
 幸子もその顔を見て語気を緩めた。
「静子は言ってたわ、死んだら負けだって思ったって、あなたを死なせたら負けだって思ったって……静子は負けなかった、そうでしょ? 病には負けてしまったけど、短い生涯だったけど、戦争には、アメリカには負けずに生き抜いたのよ、なのに今、あなたが負けてしまって良いの?」
 静枝はかぶりを振った、しかし……。
「でもあたし、独りぼっちになっちゃった、どうやって生きて行けばいいかわからない……」
「独りぼっちはあたしも同じ、両親の消息も兄の消息も判らない……おそらく駄目でしょうね、どこかで生きていると信じたいけど、正直なところもう信じられない……でもあたしは生きるわよ、生きて看護婦として一人でも多くの人の命を救いたい、フィリピンで死んだ同僚の分まで、それがあたしの戦い、あたしはそう思ってる」
「……あたしも……」
「何?」
「あたしも看護婦さんになりたい……」
「ええ」
「なれるかな……」
「ええ、ええ、なれるわ、きっと……いい? 良く聴いてね、あなたは確かに独りぼっちになっちゃったわ、でもあたしもとっくに独りぼっち……独りぼっちはもう沢山なの、だからこれからは二人で生きましょう、あなた、あたしの妹になって頂戴」
「え?」
「看護婦になるには高等学校に行って、そのあと看護学校で学ばなきゃいけないの、あなた、頑張れるわよね?」
「うん……でもお金が……」
「あなた、あたしの妹になってくれるわよね?」
「……うん……」
「だったらあたしが学校に行かせてあげる、あたしの下宿に一緒に住んで勉強なさい、そして立派な看護婦になりなさい、静子もきっと喜んでくれるわ、それがあなたの戦い、静子の戦いをあなたが引き継ぐの、いい? その覚悟ができる?」
「……はい……」
 静枝がはっきりと頷くのを見て、幸子は静枝を助け起こした。
 そして、静子の亡骸を焼く炎に照らされながら抱き合い、姉妹の契りを結んだ……。

作品名:星の流れに(第三部・焦土) 作家名:ST