星の流れに(第二部 南方戦線)
他の東南アジアの国々のように植民地化すると言う程度では収まらないのではないか、それこそ日本を分割統治し、二度と立ち上がれないように締め付け続けるだろう。
加えて人種差別の問題もある、欧米の白人にとって日本人を始めとする黄色人種は『イエローモンキー』に過ぎない、そもそも台頭する日本を潰しにかかるのは、黄色人種に大きな顔をさせたくないと言う感情が絡んでいるのも間違いないだろう。
戦争となれば白人青年に血を流させる黄色人種は憎悪の対象となり『皆殺しにせよ』と言う世論が湧き上がる可能性すらある。
そこまでは博幸も茂も同じ見解だ。
だが、二人には決定的な違いがあった。
博幸は日本と言う国が生き残って行くためにはどうしたら良いか、を考えていた。
当然戦争は望まない、ぎりぎりまで外交努力を続けなければならないと考えてはいた、だが戦争に突入することになれば戦う外はないと考えていた、そこにあるのは『守りたい』と言う強い思いだ。
皇国の存亡、正直なところ博幸にはその意識は希薄だ、はっきりと意識するのは生まれ育った東京を、両国を、顔なじみの町内を、家を、両親や妹を守りたい、そして長い時を経て培ってきた社会を、文化を守りたいと言う思い……それらは自分の一部でもあるのだから。
それに対して、茂は日本を解体する好機だと捉えていた。
共産化革命を実現するには、まず現体制を根本からひっくり返さねばならない。
戦うにせよ屈するにせよ現体制は倒れるだろうと茂は考えていた、問題はその後いかにして共産国家を樹立するかと言う一点にあった、分割統治を受けるとしてもどこかに隙はないか、日本の内側にありながら連合国側に与することによって漁夫の利を得ることはできないか……茂にとっては現在の日本と言う単位などどうでも良かった、一地方にだけでも共産主義国家を樹立する、そこの指導者の一員になる、それだけが望みだったのだ。
口では農民や労働者の味方を唱えていても、茂の腹の底は自分の思想の実現と権力の側に立つこと、それが見えた時、博幸は茂と決別した。
幸子は兄から現在の日本が置かれている状況やこの先日本が辿るだろう道筋について、かなり詳しく聞かされていた。
いや、きっかけは兄からだったが、幸子の方から質問攻めにして詳しい話を引き出したのだ。
戦火が近付いてきているのはわかっていた、だがその理由は漠然としか認識していなかった、アメリカがずいぶんな要求を突き付けて来ている、と言う程度に思っていたのだ。
だが兄の話を聞けば日本が存続して行くことができないほどの要求だとわかる、戦争になれば徹底的に日本を叩き潰しに来るだろうと言うことも……そしてそこに人種差別意識が働いていること、それは漫然とは知っていたが、人間として認めていないほどだとまでは思わなかった。
だが、東南アジアの状況を聞くにつけ、兄の見解は正しいと思わざるを得ない。
戦っても闘わなくても日本と言う国はなくなる、白人の支配下に置かれる、特に日清、日露戦争に勝利した日本が警戒されていることを鑑みれば二度と立ち上がれないだろう。
(戦争になったら嫌だな)と漠然と考えていたが、おそらく避けられないことも理解した。
そして、それ以上にショックだったのは日本とアメリカの国力の差だった、清もロシアも大国だ、そこに勝利した日本軍は強い、アメリカと言えども対等に戦えるように思っていたのだが、兄の話では本来なら太刀打ちできないほどの強大な相手のようだ、物資量の差は大和魂では埋められないと思える、そして兄は『日本の戦況が不利と見れば清とロシアも参戦して来るだろう』とも言う、アメリカだけでも厳しいのに清とロシアまで相手にしなくてはならないとしたら……。
そして、開戦となれば目の前の兄は徴兵されるであろうことは容易に想像できる、極めて勝ち目の薄い戦いに……。
暗澹たる思いだったが、兄は『いざ戦争となったら、俺は戦うよ、日本を守るなんて大きなことは考えちゃいない、生まれ育ったこの両国を、そして家族を守りたいからね』と言う。
そしてその時、幸子も心に決めた……自分は看護婦になろうと。
勝ち目がどんなに薄くとも戦わずして屈服するのは承服できない、兄も戦うと言っている、ならば自分も戦わなくてはいけない、女が戦いの場で役に立てること、それは看護婦を置いて他にないと……。
そして昭和十六年、幸子は高等女学校を卒業して看護学校へ入学。
翌昭和十七年の暮れ真珠湾攻撃と共に開戦。
昭和十八年に博幸は応集し、戦いへと身を投じて行った。
作品名:星の流れに(第二部 南方戦線) 作家名:ST