星の流れに(第二部 南方戦線)
7. 思想と戦火
『戦友』の固い契りを交わした静子と幸子だったが、その後の進路は大きく違って行った。
静子は尋常小学校高等科を卒業すると、父のべっこう細工を扱っていた関係で日本橋にある小間物屋の店員となった。
と言っても縁故就職と言うわけではない、むしろ父を介して静子を見知っていた小間物屋の方から請われてのこと。
元々は和装の小物を主に扱う店だったが、洋装も広まって来るに従い日本人なりの洋装に合う装身具も扱おうとしていた。
それゆえに、すらりとした長身で器量も良く、洋装も似合う静子は店に出ているだけでも看板になると考えたのだ。
接客は静子もやりたかった仕事、てきぱきと良く動く仕事ぶりも気に入られて、すっかり看板娘になって行った。
一方の幸子は高等女学校で勉学に励んではいたが、静子のように平穏ではなかった。
その要因の一つが兄の博幸だ。
博幸は幸子にも増して頭脳明晰、学校の成績も抜群だったが、そこは商人の家、尋常小学校を卒業すると実業学校予科を経て実業学校甲種へと進学した、典型的な商人育成コースだ。
博幸自身も菓子問屋を継ぐことを承知していたので実業学校での勉強はしっかりしていたものの、学問への興味、欲求はそこに留まらなかった。
尋常小学校時代の級友、茂。
大学の助教授を父に持つ彼は、中学校、大学予科を経て大学に進学していた。
尋常小学校時代から勉強ができたが、それを鼻にかけて級友を見下すところがあり、あまり好かれてはいなかった、だが博幸だけは別で、いわば良きライバルとして認め、卒業後も交流を持っていた。
正直、博幸も茂のことはあまり好きではなかったのだが、自分が進めなかった高等教育を受けている茂は学問への窓となる、それゆえに交流を続けていたのだ。
そして大学助教授の息子とあって、その読書量は認めていたし、茂の家には自分が買えない本がほとんど無尽蔵にあったのも大きな魅力だった。
大学予科の頃からその兆しはあったが、大学に進んだ茂はたちまち共産主義の虜となった、そしてその思想は茂から博幸にへと伝わった。
『共産主義』
その思想はたちまち博幸を虜にした。
かねてより感じていた日本社会の不平等や問題点を全て一度に改革するにはこれしかないとすら思った。
茂のことはなんとなく不遜に感じてあまり好きではなかったのだが、共産主義と言う新しい思想を伝えてくれる彼は、自分など及びもつかない知識人であるかのようにも見えた。
そして、茂に勧められた本を読み進むにつれて、博幸はますます共産主義に傾倒して行った。
しかし……。
一通り共産主義を理解すると、それが孕む問題点にも考えが及んで行く。
ひとつには、思想そのものは素晴らしいものに思えるのだが、それを正しく運用して行くことができるのだろうか、と言う疑問。
例えば自分が身を置くことになる問屋と言う職業、政府が一括して収穫や製品を買い上げるのであれば問屋と言う仕事は必要なくなる、まだ若い自分は良い、政府直属の機関に属すれば良いだけのことだ。
だが、父を始めとして、この仕事を長く続けて来た者は? 当然政府機関で働くことになるのだろうが、長い間に培われた商習慣とは全く異なる仕事になることは間違いない。
値切ったり値切られたり、売れ筋を見極めて仕入れの量を調整したり、それらを円滑に進めるために良い人間関係を築いたり……それらの能力は不要となり、決められたことを正確に実行することばかりが求められるようになる……父の世代はそれに適応できるのか?
いや、大きく社会を変えようとするのなら、その過渡期間には適応できない者も出てくるのはやむを得ないのだ、と考え直そうとするが、果たして犠牲を強いることが正しいことなのか……。
経済活動と言うものを科学的にとらえることは有用だと思う、だが、そこまで割り切れるものなのか、文字通りに今いる国民をそれぞれの役目に的確に割り振ることができるのか? 単純に国民全部を合算して割り算すれば、割り切れない「余り」が出て来るのではないか? その「余り」をどうしたら良いのかを書物は教えてくれない。
そして、為政者の問題もある。
共産主義国家においては政府が強い力を持つことになる、全てはそのさじ加減で決まるのだから、政府は絶対的権力と言っても良いくらいの存在になるのではないか? それは武家が全てを支配して来た江戸の昔とどう違うのか?
政府が、為政者が完全無欠な人間ならば良い、だが、一つの国家を完全に手中に収めた為政者が私利私欲に走らないとは誰が言えるだろう? 大きな野心を持つ人間であることは間違いないのだから。
だとすれば『共産党』がかつての『幕府』に取って代わるだけのこと、むしろ歴史は後退することになるのではないか……。
それらの疑問を茂に投げかけてみても、納得できるような答えは返って来なかった。
『そんわけないだろ』の一言で片づけようとする、横暴な武家とは違って新しい思想を掲げて社会を変えて行こうとする者は農民や労働者の味方なのだから、と言うわけだ。
だが、その言葉を裏付けるものはない。
一方で、新しい、優れた考えを持つ者、すなわち共産主義を勉強した者は『指導者』であり、農民や労働者を『導いてやる』と言う言い回しも良く使う、そこには傲慢な態度を感じずにいられない。
『味方になる』と言いつつ『味方につける』と言う感覚が見え隠れする、農民や労働者を扇動して共産化革命を成功させようと……だとすると、理想的な為政者足り得るのか甚だ疑問だ。
全てを一度破壊して共産主義国家を造ろうとする茂、積み上げてきたものを土台にしながら緩やかに制度を変えていくことを是とする博幸、二人の議論は常に平行線を保ち、決して交わることはないように思えた。
共産主義と言う概念とは別に、茂としばしば議論した事柄はもうひとつある。
迫り来る戦火だ。
博幸は二十歳、春が来れば商学校も卒業だ、戦争となれば真っ先に徴兵されることは目に見えている。
茂はまだあと三年は学生、当面徴兵されることはないだろうが、目前に迫って来る戦争は日本にとって困難に満ちたものになるだろうと言う認識は同じだった。
世間では日本を締め付けて来るアメリカやイギリスの圧力に反発し、『やっつけてしまえ』と極論する者も少なくない、日清、日露の戦いに勝利したことで『日本軍は無敵だ』と考える者が多いのだ。
だが、世界の状況を知っている博幸や茂にとっては無謀な戦いになるとしか思えない。
アメリカやイギリスの国力を甘く見過ぎている、と。
そして数年前から日中戦争が続いているので中国も当然敵側に着くだろうし、ソビエトの出方にも注意しなくてはならない。
ドイツ、イタリアとの三国同盟があるにせよ、その二か国はヨーロッパで手いっぱいになるだろう、最も強大な敵国・アメリカと日本が単独で対峙しなくてはならないとしたら、勝ち目は薄い。
だが、アメリカが本気で日本を潰しにかかって来ているのは明らかなのだから、戦争は避けられないと思う、もう外交努力でどうにかなる事態ではない。
作品名:星の流れに(第二部 南方戦線) 作家名:ST