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星の流れに(第二部 南方戦線)

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8. ルソン島で



 昭和十八年春、幸子は看護学校を卒業した。 戦局の激化を受けて一年前倒しでの卒業だった。
 三年間の看護教育を二年間に短縮するくらいなので医療現場での実地研修期間など望むべくもない、同期生も卒業するとすぐにちりぢりに散って行った。
 ある者は東京の病院に またある者は故郷の医院、病院に。
 そして戦地の病院や病院船への配属を願い出る者も。
 幸子もその一人だった。
 
 その年の九月、病院船に乗り込んで幸子はフィリピンのマニラ港へと向かっていた。
 南方への配属は幸子自身が希望し、その希望は渡りに船とばかりに聞き入れられたのだ。
 激戦地なのは知っているが、兄からの最後の便りは間もなくルソン島へ向かうと言う内容だった、今もこの地で戦っているはずだ。
 偶然会えるなどと言うことは期待していない、と言うより、自分が勤務する病院に兄が運ばれて来るのならば、それは負傷した時と言うことになる、そんな形での再会は望んでいない。
 だが、兄が言うには南方での攻防はこの戦争の肝、微力ながらもそんな最前線で命を懸けて戦ってくれている兵隊さんたちのお役に立てれば……と考えてのことだった。
 
 酷い船酔いに悩まされる者もいる、幸子も出航直後には船酔いしたが、幸い二日目からは慣れたのかすっかり元気を取り戻した。
 マニラ港に着けばすぐさま医療現場に立たなくてはならない、幸子は激務を覚悟していたがそれは自分が望んだ配属だ、むしろ自分も役に立てる時が来たのだと希望すら抱いていた。
「港が見えて来たぞ」
 その知らせに船室にいた看護婦たちは一斉に甲板に出た。
 幸子のようにまだ若い看護婦はもちろん、何度も戦地へ赴いた経験があるベテランも一週間ぶりの陸地にはしゃぐ気持ちを抑えられずにいた。
 初めて見る異国の地、マニラ港は近代的に整備された港だがやはりどこか南国情緒は漂う、そんな景色を見ることは心浮き立つものがある……だが自分はここに旅行に来たのではない、激戦地の病院で働く……それは辛いものであろうことは覚悟している、幸子は浮き立つ心を抑えるように気を引き締めた。

 勤務地となるのはマニラ湾から数キロ先のケソンにある病院、軍用トラックに揺られての移動だった。
 トラックの荷台に乗るのは初めての経験で幸子は面食らったが、日本より文明が遅れている土地柄、こんなものかなと思っただけだった……後々、これほど安全な移動はなかったと回想することになるのだが。
 ケソンの病院はフィリピンより南の医療中継点的な役割を担っていて、フィリピン群島からばかりではなく、ビルマやニューギニアからも負傷者が運び込まれてきた。
 看護学校を卒業したばかりとは言っても見習いにしておく余裕はない。
 手術の助手こそベテランが担当したが、幸子たち新米看護婦も傷口の消毒、包帯の交換、注射、点滴と言った医療行為にてんてこ舞い、シーツの交換や包帯の洗濯、排泄の世話などは現地の娘たちが担当し、幸子はその指示にも忙しい毎日を送った。
 
 しかし、ルソン島における戦況は昭和十九年十月を以て大きくアメリカに傾いた。
 レイテ島での戦いで日本軍が敗れ、ダグラス・マッカーサー大将率いる米軍がレイテ島を手中に収めたのだ。
 それ以降、マニラの制空権は完全に米軍のものとなり、マニラ市街は度重なる空襲を受けることになる。
 病院もその例外ではなかった。

「看護婦が撃たれた!」
 ある日の昼さがり、病院を警備していた兵士の怒号が響いた。
 シーツや包帯を干しに外に出ていた同僚の看護婦や助手の娘たち、敵機が飛来してくるのは見えていたのだが攻撃されるとは思わず作業を続けていたのだ。
「早く! 早く中へ!」
 敵機が高度を下げながら真っ直ぐ向かってくることに気づいた同僚は助手の娘たちを病院内に避難させた、だが彼女自身の避難は間に合わなかった。
 機銃掃射を受けてしまった同僚は踊るようにして倒れ、兵士が急いで屋内へと引きずり込んだが銃弾は頭部を貫通していて、手当ての間もなく息を引き取った。
 その様子を間近で見ていた看護婦たちの間に戦慄が走った、もちろん幸子もその例外ではない。
 病院への攻撃は国際法で禁じられている、幸子も病院は攻撃されないと考えていた、しかし現実はそうではなかったのだ。
 戦争とは兵士と兵士の戦い、空襲とは敵の戦力を削ぐためのもの、そんな認識が甘かったことを痛感した、戦争とは病院でさえも見境なく攻撃する『殺し合い』なのだと。
 
 だが恐れおののいている暇はなかった、海岸線近くの兵站病院が空爆を受けて負傷者があとからあとから運ばれて来たのだ。
 それまでは物資や人手が足りないと言っても、なんとか正常な医療が出来ていた、しかしそこへ大量の負傷者が運ばれて来ればパンクすることは目に見えている。
 手術や投薬もままならず、出来る処置は傷口をできるだけ清潔に保ち粥などを食べさせることくらい、後は患者の体力と気力に頼るほかない。 
 人手も決定的に不足しているから夜も昼もなくコマネズミのように走り回らなければならない。
 そして、兵站病院が空爆を受けたと言うことは、この病院もいつ爆撃を受けるかわからないと言うことでもある、その恐怖とも戦わなくてはならない。
 
「どうして病院まで攻撃されなくちゃならないの? ケガや病気の捕虜だっているのに」
 束の間の食事休憩、同い年の同僚、和子がふとそう漏らした。
 目が回るような忙しさや、充分な看護ができないもどかしさもさることながら、やはり死への恐怖は看護婦たちを捉えて離そうとはしないのだ。
 和子の言う通り、病院には捕虜となった敵兵も収容されていた。
 彼らは日本人をジャップ、イエローモンキーと蔑み、物資がなく人手が足りない中でもより良い待遇を要求する、しばしば怒鳴りつけてやりたいほどの憎悪を抱いたがこらえて看護を続けていた。
 だが、自国兵が収容されているかもしれない病院をアメリカ軍は平気で攻撃した。
「本当にそうね……」
 幸子はそう相槌を打ったが、ふとその理由が頭に浮かび、思わず「あっ」と声を出してしまった。
「なに? どうしてだかわかるの?」
「……うん……」
 自分の考えを信じたくはないのだが、そう考える他つじつまの合う答えはない。
「ねえ、どうして?」
 和子の切羽詰まった顔……はぐらかすことはできない、幸子は自分の考えを口にした。
「生きて病院にいるなんて思ってないのかも……」
「どういうこと?……あっ、そうか……」
 今度は和子が信じたくない理由に声を上げた。
 それはおそらく幸子の頭に浮かんだのと同じ理由だろう。
 兄が無残に撃ち殺される場面が頭に浮かびそうになり、幸子は慌ててそれを振り払った……。

 食事を終えて勤務に戻ると、相変わらずアメリカ兵が横柄な態度をとる。
「ヘイ、肉はないのか? パンはないのか? 毎日こんな米のスープばかりじゃ体が持たねぇ」
 それを聞いた幸子はベッドのわきに仁王立ちになった。
「よくそんなことが言えるわね」
「な、なんだ、このジャップめが」
「一週間前に患者が急に増えたのは知ってるわね?」
「あ、ああ……」
「どこから運び込まれたのかは?」
「知らねぇよ」