短編集62(過去作品)
いつも大人しくて、まわりに誰も寄ってこないタイプの女の子だった。男の子が寄ってこないだけならまだ分かるが、女の子も寄ってこない。また、自分から人に近づいていくタイプでもないので、彼女のまわりはいつも風が吹き抜けているようだった。
しかも彼女は目立たない。一人ポツンといれば、結構目立つように思うのだが、目立つこともなく、皆から忘れられているような存在であった。
しかし、一旦気になると、ずっと気になっているもので、
――話しかけたいな――
と思っていても、雰囲気が人を寄せ付けるものではない。却ってそれが私の気持ちに火をつけた。なんとしても話くらいはできるようになりたいと思ったものだ。
話しかけたとしても、言葉が続かないのは分かっていた。それでも話しかけないと後悔してしまうように感じ、思い切って話しかけると、彼女は意外にも気さくなタイプだった。
――案じるより生むが安し――
ということわざがあるが、まさにその通りだった。
そのおかげで、私もまわりから距離を置かれる結果になったが、今まで友達とのみ次回距離だと思っていたことが、彼女と接近することによって、かまり遠かったことに気付かされた。
漠然とした友達関係であれば気付かないことを、彼女と一緒にいれば気付くこともある。ただ、その時がまだ小学生だったので、そんな深いところまで気付かなかった。このことに気付いたのは、かなり後になってからのことだったのだ。
友達との距離を意識することなく彼女と一緒にいる時は楽しかった。しかし、元々人と一緒にいることを嫌う彼女の影が、忍び寄ってきていることに気付かずにいると、いつの間にか、彼女に対して興味が薄れていった。
ある日彼女が髪型を変えてきた。
それまでセミロングの髪型だったのに、ショートカットにしてきたのだ。母親から言われたのでその通りにしたのか、それとも自分の考えなのか分からないが、変わってしまった髪形を見た時、それまで彼女に抱いていた親近感が一気に薄れてしまったのだ。
ふとまわりを見る。
誰も自分のそばに人がいないことに気がついた。彼女はそのことを知っていて、わざと屋根の上に招き入れて、はしごを外したのだ。彼女自身もいつの間にか隣の屋根に飛び移っていて、自分だけが取り残されていた気分だ。
私は彼女を恨んだ。恨む理由などこれっぽちもなかったのかも知れない。だが、それしかその時の自分の状況を理解することができなかった。
隣の屋根からこちらを見て微笑んでいる彼女を感じた。背筋に悪寒が走り、震えが止まらなかった。
それが小学生時代一番深く残ったトラウマだった。
松本と仲良くなったのも、その時の自分を松本に見ているからかも知れない。家族がバラバラになっていて、父親が家にいても、仕事場から出てくる雰囲気がない。母親は父親のものだという感覚があるのか、母親に対しても、松本は心を開くことができないと言っている。
「俺が悪いのかな?」
松本は悩んでいた。
「父親に対して? それとも母親に対して?」
考え込みながら、
「どちらに対してもだね。もっと言えば、俺自身に対してというのを付け加えたいくらいだよ」
自分に対してというのはどういうことだろう?
そういえば私も置き去りにされ、まわり皆を恨みたくなった時、
「俺が悪いのかな」
と自分に対して言い聞かせようとしたことがあった。それは、自分に言い聞かせるというよりも、悩んでいることを正当化しようとする自分に対しての戒めのようなものだった。もちろん、それも後になって分かったことであって、案外、松本と話をしている時に我に返ったのかも知れない。
松本が母親を見る視線に、怪しいものを感じた。また、私が母親を見ている時に感じる松本の視線に殺気のようなものさえ感じることもあった。
――松本は母親に母親以上のものを感じている――
女としての魅力が十分で、しかも偏屈で変わり者である父親のものだと思うと、思春期の少年にとって、これほど辛いものはないに違いない。
ポエムを書くようになった時、
「ポエムといえば、どこか女性っぽいところが感じられるだろう?」
と松本は言ったが、今まで感じていた松本に対しての女性っぽさとは若干の違いを感じていた。
最初に松本が手がけていたポエムは、情景を思い浮かべてサラリと書く雰囲気が多かった。だが、途中から、明らかに変わってきた。人間の気持ちの奥底に潜むものが現れるようなポエムになっていった。それは、私以外の人が見ても感じたに違いない。
「力強さを感じるようになってきたね」
と話したが、それは男の力強さではない。どちらかというと、一人の孤独な女性に宿る一本筋の通ったもののような気がして仕方がない。その思いは小学生時代に好きだった女の子のイメージを想像させる。
「女っぽさを描くって、本当に難しいんじゃないか? 俺はそう思うけどな」
私がそういうと、
「そうなんだろうね。何が女っぽくて、男っぽいかっていうのも分からないからね」
松本の瞳に義母が映っているように思えてならなかった。
気がつけば松本に嫉妬していた。
私は、松本の義母に寄せる思いは、誰にも負けないとまで思っていたが、さすがに夫である松本の父親には叶わないと思っていた。だからこそ、彼の父親と顔を合わせた時、まともに顔が見れないと思い、顔を合わせないことがありがたかったのだが、松本までが母親に気があるのだとすると、松本とこれからどのように接していいのか分からなかった。
松本個人に対しては、奇妙な信頼感があった。親友と呼べるのが彼だけだというのも事実で、自分が変わっているからだと思っていた。
松本もどこか変わっていて、そこが惹き合うところなのかも知れない。芸術家の家庭に本当は最初から興味があった。だが、どうしても超えられない一線があることも自覚している。
そんな松本が義母を母親以上の目で見ているとしても不思議ではなかった。義母が松本にどのように接しているのかも興味があった。
――松本の優しい母親になりたい――
と思っているのか、それとも、
――可愛い男の子の視線を浴びて、自分なりに快感に浸っているのか――
などと、淫靡な考えが頭をよぎる。
私としては、後の方であって欲しかった。優しい母親の顔よりも、淫靡なお姐さんの方が似合っているように見えたからだ。自分でも歪んだ目で見てしまっていることを感じている。健全な視線でないことも分かっている。
――思春期だから仕方がない――
こんな考えでごまかしてしまっている自分を悪いとは思わなかった。逆に、
――思春期の俺や松本を惑わす淫靡な美しさが悪いんだ――
と思っていたくらいだ。
「淫靡」などという言葉を知ったのは、松本と知り合ってからだった。興味本位から読んだ松本の父親が描くもの、その中に「淫靡」という言葉があった。父親の漫画にはまったくふさわしくない言葉である。それだけに印象に残ってしまった。漫画の中では「タブーの言葉」として描かれている。どんなことを意味しているのか興味を示したのも無理のないことだろう。
作品名:短編集62(過去作品) 作家名:森本晃次