短編集62(過去作品)
ゴーストライター
ゴーストライター
漫画家というのは、結構忙しい。締め切りに追われて、生活も不規則になる。精神的に追い詰められることも多く、
「どうしてここまでしなければいけないんだ」
と感じていた。
友達の松本も今は漫画家として頑張っている。この間、一緒に呑んだ時は、大変な毎日を過ごしていると零していたっけ。それでも目は生き生きしていたので、
――本当に漫画を描くのが好きなんだな――
と感じたものだ。
「俺はオヤジのアシスタントみたいなものだからな」
松本はまだ自分で漫画家としてのデビューを飾っているわけではない。いずれ飾ることになるのだろうが、大手出版社が毎年主催している新人賞のコンテストに応募して、昨年の新人賞奨励賞を受賞している。
彼の描く漫画は、少しエロなところが混ざっている。それは同じ漫画家である父親とは正反対であった。彼の父親の描く漫画はアットホームで家庭的なものや、青春学園ものだったりで、主人公に対しての思い入れが強い読者を呼んでいることで有名だった。
父親は最近テレビに出るようになっていた。漫画家としてというよりも、社会問題のコメンテーターとしての仕事が舞い込んでいるからである。自分の連載している漫画とは他に、社会風刺の漫画を描くことも多く、それは連載というわけではなく、週刊誌の挿絵のような形で描かれている。
「オヤジさんもよく頑張っているよな、いくつになるんだっけ?」
「もうすぐ七十歳さ。もう引退してもいいんだろうが」
松本も私も三十歳代後半である。お互いに結婚はまだで、どちらが先に結婚するかで話をしていたものだ。
松本は、父親の話になると、最初は普通に話をするのだが、あまり話を伸ばすと急に不機嫌になることがある。適当なところでやめておかないと、いきなり怒り出されても困ってしまうのだ。
父親の七光りと言われるのを嫌がる人もいる。松本は昔からそうだった。
松本と私とは、中学時代からの友達で、二十年来の旧知の仲ということになる。酸いも甘いも分かり合っているつもりではいるが、果たして松本はどうだろうか。
中学時代、松本は、
「絶対、オヤジのような仕事はしたくないんだ」
と言っていた。
「じゃあ、何になりたいんだ?」
と聞くと、
「普通のサラリーマンでいいのさ。夢がないかも知れないが、下手に夢を持ってしまうと、それをまわりにも押し付けてしまうんだよな。俺は俺なのに……」
と言って、唇を噛み締めていた。
松本の家がどのような家庭なのか分からないが、芸術家の家庭というのは想像もつかない。想像もつかないということは、庶民の生活しか知らない私にとっては、魅力というよりは、敬遠したい雰囲気に感じられる。それは松本という人間を見ていれば伝わってくるもので、しかも、父親の仕事を嫌悪している姿を見ていると、余計に感じられる。
中学時代というのは、確かに反抗期の時代で、家族に対して嫌悪感を持ったとしても仕方がない。私も同じように父親に対して嫌悪感を持っていた時期があった。父親は普通のサラリーマンである。
今から思えば、私が中学時代の父親は、会社でいえば中間管理職、一番辛い立場にいる人と言えるのではないだろうか。どこか頑固なところのある私の父親は、なるべく家庭に仕事のストレスを持ち帰ることをしたくなかったようだ。
そのために、余計なストレスがたまってしまって、ちょっとしたことでもイライラするようになっていた。母親からは、
「お父さんは会社で頑張って仕事をしてきてくれているのよ。だから私たちも少しはお父さんに気を遣ってあげないとね」
と言われたが、反抗期に何を言われても聞く耳を持てなかった。
家にいることが嫌で、よく友達の家に遊びに行ったものだ。その友達の家の中で一番多かったのは松本の家だったかも知れない。
松本の家は、父親が庭先にアトリエを作っていて、そこで仕事をしていたので、仕事の邪魔になることもなかったのだ。
松本は漫画を描くというよりも、ポエムを作ったりする方が似合っている少年だった。運動などもあまり得意ではなく、体育は苦手だった。特に陸上競技と球技は苦手で、スポーツ漫画を描く上で一番多いジャンルが苦手なのだから、漫画が好きになるはずもなかった。
音楽やポエムは好きだった。音楽もアコースティックギターが得意で、私もギターは小さい頃に父親に習った関係もあって、適度には弾くことができる。ずっと友達でいるためにはどこか共通点がなければならないが、音楽好きなところからの腐れ縁もあっていいのではないだろうか。
中学時代はよくギターを競演したものだったが、高校になると、私の方が音楽よりも文学に興味を持ち始めた。
――小説を書いてみたい――
と思うようになったのだ。
松本は詩を書くことに没頭し始めた。お互いに図書館に行っては、好きなジャンルの本を読み漁ったものだ。
一緒に行くこともあったが、別々のことも多かった。図書館で鉢合わせすることも稀ではなく、帰りに仲良く小説やポエム談義などをしていると、その日一日最初からずっと一緒にいたのではないかと思えてくるくらいだった。
「ポエムといえば、どこか女性っぽいところが感じられるだろう?」
松本が呟いたことがあった。
「そんなことはないと思うぞ。男だって繊細な気持ちを持ったやつがいれば、素晴らしいポエムを作れるものさ。逆に女性の方がリアルさを求めるものかも知れないぞ」
「そんなものかな」
そう言った時の松本の表情は寂しげだった。
松本の家には、高校生になってもよく行っていた。父親と顔を合わせることはほとんどなく、ありがたかった。松本の話の中に出てくる父親は、偏屈で変わり者だというイメージしか抱かせてくれない。
「漫画家って、皆そうなのか?」
と疑いたくなるが、
「そうなんじゃないか」
松本の返事は他人事のようである。
松本の家に行く楽しみは、母親に会うことだった。松本の母親は、まだ若い。話を聞いてみると、本当の母親は松本がまだ小さい頃に離婚して、田舎に帰って暮らしているという。
「お母さんに会いたくないのか?」
と聞くと、
「会いたいとは思わないね。あまり記憶にもないし」
やはり他人事だ。両親がキチンと揃っている私には、松本の気持ちはよく分からないし、分かろうとすること自体、おこがましいと思うようになった。
松本の義母は、まだ二十歳代である。肌のつやはきめ細かく、色白で触ればお餅のように柔らかいだろう。
いつも頬を高潮させているように見えるが、あれは化粧のせいだろうか。そばに寄れば香水の甘い香りが漂ってくる。その匂いを嗅ぎたいと思っているから、松本の家に入り浸っていると言っても過言ではない。
小学生の頃に好きだった女の子がいるが、彼女はいつも頬を真っ赤にしていた。皆からは、
「りんごちゃん」
という愛称で呼ばれていたが、本人はあまり好きではなかったようだ。小学生の頃のあだ名など他愛もないものが多いが、意外と的を得ているものも多かったりする。
作品名:短編集62(過去作品) 作家名:森本晃次