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短編集62(過去作品)

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 考えてみれば投手願望がなかったわけではない。今までにもベンチから相手投手を見ていて何度、
「格好いいな」
 と思ったことか。マウンドさばき、そして、孤独になりがちなシチュエーションの中で胸を張った立ち振る舞いは、
「俺にはできない」
 と早々に諦めるだけの憧れの場所であった。
 マウンドは思ったよりも高かった。それだけにホームベースが近く感じ、キャッチャーミットが大きく見えた。
「これなら何とかなりそうだな」
 短絡的な考えが頭に浮かび、練習球の八球は自分でも信じられないくらいに綺麗に決まった。
 最後の一イニング、打者三人をアウトに取ればいいだけだった。分かっているのだが、実際に、
「プレイボール」
 という声が掛かると、心境は一変する。
 すべての視線が自分に注がれる。ミットを構えるキャッチャー、主審のマスク越しの視線、味方野手の見つめる目、相手ベンチや観客の視線、そんなものを順番に感じてからの相手打者の鋭い眼光。
 普通順番に感じるというのもおかしなもので、
――それだけ落ち着いているのかな――
 と感じたが、それはあくまで気休めに過ぎなかった。足元は震え、額からは汗が滲み出る。汗が暑さからだけのものでないことは一目瞭然である。
 なかなか一球目を投げることができない。振りかぶるまでにそれだけの時間が掛かったことか。
――一球目さえストライクを取れば、後は何とかなるさ――
 と楽天的に考えたが、その考えが却って自分にプレッシャーを掛ける。
――じゃあ、一球目がボールだったら、どうするんだ――
 成功する時というのは、得てしてそんなことは考えないものだ。それを考えてしまったということは、失敗という選択肢を自分で作り出したことになる。つまり、墓穴を掘ってしまったということだ。
 墓穴を掘ってしまっては、その瞬間に大きな後悔に襲われる。
――しまった――
 という心が大きくなり、自分を抑えることができなくなる。
「ボール」
 主審の判定を聞いた時は、すでに一球目が手から離れ、身を挺してキャッチャーが投球を受けていたのだ。
――しまった――
 もう一度考える。
 キャッチャーからの返球を、グラブを外して両手でこねている。
「これってテレビでよく見る光景だよね」
 こういう仕草は本能の成せる業で、有名なプロの選手でも同じような行動を取る時はあるものだ。
 意外と精神的には冷静で客観的に見ることができるのに、身体がついてこない。こんな心境って、追い詰められた時に多いものだ。
――開き直れば勝ちなのかも知れないな――
 と感じたが、身体の震えが収まらない。
――こんなことなら、志願なんてしなければよかった――
 二球目から、四球目まではあっという間で、次の打者がバッターボックスで構えているのを感じた時には、ある程度まわりが見えるようになっていた。
 一塁にランナーを抱えたが、牽制球などという高度な練習はしたことがない。とりあえず次の打者の間に、二回ほどプレートを外して、一塁に軽く投げればいいだろう。
 セットポジションになると、今度はストライクが入った。
――何とかなるかも――
「ストラーイク」
 審判の声が何度か耳に響いた。
「バッターアウト」
 三振である。バットが空を切った瞬間、身体が軽くなるのを感じた。バッターのスイングが自分の呪縛まで振り払ってくれた気がしたからだ。
――ストライクさえ入れば何とかなりそうだ――
 勝手な思い込みであるが、そのままストライクを投げ続け、後の二人も連続三振、マウンドで一人満足感に浸っていた。まわりは相手チームの勝利に沸き立っている。そんな瞬間、自分だけが満足していたのだ。
 ベンチに帰ると、
「なかなかだったぞ、それにしても思ったよりも速い球を投げるな。高校に行けばピッチャーをやっても面白いかも知れないな」
 野球をあまり知らない部長先生の言葉なのであてにはならないが、その気になったのも事実だった。
 高校に入るとさっそく野球部に入った。こちらもそれほど強くないチームで、甲子園はおろか、初戦を勝ち抜ける確率も低かった。
 投手として入部したが、さっそく新人戦にも投げ、それなりの好投だっただろう。将来のエースと呼ばれた。
 この頃から大器の片鱗を見せ始めていた。投げるたびにスピードは増していった。影での努力が報われたに違いない。そのうちに身体もだんだんできてきて、バランスよくなげられるようになってくると、制球力も自然とついてくる。
「谷中も立派な投手になったものだ」
 監督からもお墨付きをもらった。二年生になった頃には、背番号は一番、エースナンバーをしょっていた。
 元々素質があったのだろう。一人での練習から、高校野球での練習を加味することによって、団体競技である野球の中の投手が次第にできあがってくる。
 さすがに甲子園の壁は厚かった。決勝戦まで駒を進めたが、相手は百戦錬磨の甲子園常連高。無我夢中で投げていたが、相手の作戦に嵌ってしまって、気がつけば負けていた。
「冷静に考えれば、完全に俺の負けだ」
 不思議なもので、負けた瞬間、悔しさはなかった。悔しさが襲ってきたのは、夜寝る前だった。何となくムズムズした感覚に襲われて、案の定、夢の中ではまだ試合の続きをしている。目が覚めると、
「何だ、夢だったのか」
 と、ホッとした気分になるが、次の瞬間、今までになかった悔しさがこみ上げてくる。
「決勝戦までいければ、悔いはないさ。別に甲子園に行きたいとまでの欲はない。自分の実力が出せればそれでいいんだ」
 と日頃から言っていたのに、この悔しさはなんだ。
 甲子園にいけなかったこと?
 いや、そうではない。甲子園を夢見てマウンドで投げていたことは一度もないからだ。確かに決勝めで来ると、他の連中には甲子園が見えていただろう。どうして自分には見えなかったのか不思議だった。
 谷中は、欲のない人間ではない。ただ、自分の技量を分かっているだけだった。下手に背伸びをして余計な気を遣ってしまうと、実力が出せないことを知っていたからだ。
 初めての悔しさだった。もし、その時の悔しさがなければ、きっとそのまま野球をやめていただろう。そう思えば悔しさを感じるのも悪いことではない。
 悔しさもそれほど長くは続かなかった。
「これからも野球を続けていこう」
 と思った瞬間に、スーっと溜飲が下がっていった。それどころか、負けた試合を思い出すようになった。悔しさがこみ上げていた時は、
「思い出したくもないのに、どうして思い出すんだ」
 と感じていたのに、今度は正反対である。
 思い出すことが自分を冷静にできることだったからだ。負けた試合を冷静に自分なりに分析していくと、気がつかなかったことが見えてくる。
 そういえば、将棋の世界では、大会があると、後になって対戦の内容を皆で振り返るものがあるというが、負けた試合であれば、これほど苦しいものはないだろう。ある意味精神的にしっかりしていないと耐えられない。それだけに将棋を指す人間は、精神的にしっかりしていないと務まらないのだろう。
作品名:短編集62(過去作品) 作家名:森本晃次