短編集62(過去作品)
と不思議に思えてくる。何よりも宗教的な発想があり、従業員を洗脳しているのではないかと思えてくるからである。まだ従業員の一人とも顔を合わせていないので、工場長だけの話を鵜呑みにはできない。果たしてこの通路の向こうには何が広がっているのかと、怖い反面、興味深いところだった。
――気をつけないと、俺も洗脳されたりしないようにしないとな――
ジャーナリストとしての自覚もプライドも持っているつもりの柏木なので、めったなことはないと思うが、注意に越したことはない。
矢次工場長は淡々と歩いている。これだけの話をしている時間、なかなか次の扉が見えてこない。
――不思議だ――
と思っていたが、話が途切れると、急に目の前に扉が現れた。
「こちらです」
工場長がノブを回すと、
「ガチャッ」
という乾いた音が響いた。先ほどの耳鳴りとして残っていた音が、この音によって完全に打ち消された。扉の向こうからは冷気が忍び込み、表の寒さを思い出させるものだった。
――これは寒い――
思わず背筋を丸めたが、工場長は平気な顔をしている。歩みを止めた工場長の真横まで歩み寄った柏木は、覗き込むように工場長の顔を垣間見た。
次の瞬間、工場の喧騒とした雰囲気を感じた。機会音がけたたましく響いていて、さらに風の通りも感じることができる。
「ここからは、本当の現場になるんですよ。この音はすさまじいでしょう?」
手でメガホンを作り、柏木の耳に向かって話しかける。
「ええ、確かにこれはすごいですね」
柏木も必死だ。
工場長の後ろからついていって、工場を一通り見て回る。これこそ最初に感じていた工場見学であった。現場での取材は充実している。少なからずの工場見学は今までにも経験している。工場の仕組みなどは分からなくとも、そこで働いている人の顔を見れば、どういう雰囲気なのかは十分に取材できる。柏木の取材も、工場の仕組みではなくヒューマンなところが前面に押し出される内容の雑誌なので、これで十分だった。働いている人の表情は真剣そのもので、そこからいろいろなドラマが生まれることは想像できる。家に帰れば平凡な父親だったり、奥さんと二人でほのぼのとした生活をしているであろう人も想像できる。
「子供も大きくなり、これからは妻と二人の人生だよ」
今までの工場取材で、そんなセリフを何度聞いてきたことだろう。働いている人を見れば、生活が忍ばれるようになっていた。
工場というのは、いろいろな人が働いているものだ。年齢もさまざまで、人生の縮図を見るようだ。ただ、
――何を楽しみに生活しているのだろう――
と思わないでもない。柏木にしても、取材記者から編集、さらにはいずれは独立したいという希望を描いて毎日を暮らしている。何かハッキリとした目標もなく仕事をしている人を見ていると、本当に他人事のように思えて仕方がなかった。
だが、ほのぼのとした生活も捨てがたいと思っている。何も考えずに目先のことだけを考えるくらいの余裕が自分にあれば、どんなに気が楽になれるか分からない。
目標ばかり見ていると、肩肘を張った生活になってしまい、どこかに歪みを感じずにはいられない。目標を達成するためには必ずライバルもいれば、協力者になるべき人もいるだろう。まわりの人とのコミュニケーションや行動にアンテナを張り巡らせておかなければ、必ずどこかで自分の意志が頓挫してしまうことは分かっている。
「俺は石になりたい」
と言っていた工場勤務の人がいた。
「石になりたいとは?」
と訪ねると、
「石というのは、普通にそのあたりに転がっているけど、誰にも気にされることもなく、佇んでいることができる。たまに蹴飛ばされることもあるけど、それでも人から意識されることはないでしょう。そんな生活って面白いと思わないですか?」
確かにその発想は今までにもあった。
「人と違う目線で、こちらがいくら意識しても相手から意識されることはない。きっと、相手の気持ちの隅々まで見通せる魔力を持っているような気がするんだ。あくまでも俺の妄想に過ぎないんだけどね」
彼の話した内容は、柏木も以前に考えたことがあった。それもまったく同じ発想である。石という誰もが見ているけど、誰にも気にされることのないものに対して、まったく同じ発想を持っている人がいるというのはおかしな気がしたが、不思議なことではないように思えた。
柏木が工場取材をしていて一番の醍醐味はそれぞれの人の考えを聞きたいことだった。彼らは機械の一部ではない。機械という操作すれば一つのことしかしないものを忠実に動かすだけだ。歯車のひとつといえばそれまでだろう。
柏木が高校生の時の担任に、
「皆は社会に出れば、それぞれが大きな機械を動かす歯車になるんだよ」
と言われたものだ。
――社会の役に立てるんだ――
と話を聞いた時には納得したが、授業が終わってしまうと、考えが次第に冷めてくる。子供の頃に見たアニメを思い出していた。
あれはロボットアニメだっただろうか。
――機械に支配される世界――
ロボットが人間を支配しているのだが、元々ロボットは人間の役に立つために発明されたもののはずだった。それが突然の落雷と、それによる制御コンピュータの誤作動によって、ロボットが感情を持ったのだ。
ロボットは自分たちが人間に利用されるのではなく、自分たちが人間を利用するということを考えた。人間からすれば、ロボットに支配される世界は地獄である。人間の味方になるサイボーグを人間が開発し、悪の組織であるロボット軍団と戦うというストーリーである。
その中にはサイボーグと人間の恋愛感情であったり、テーマはいくつもあった。元々が人間の開発したもの同士が争うストーリーで、人間を助けてくれるものが「善」、人間を支配しようとするものたちが「悪」として登場する。すべての中心は人間であり、人間の人間のためのアニメを、ロボット支配という妄想の中で生まれた世界である。
これこそ人間の「エゴ」が作り出した世界ではないか。すべてのものは人間が中心という発想から始まっている。
悪のロボットだって、元々は人間が作り出したもの。それを自然現象によって狂ってしまったものを誰が「悪」と位置づけることができるのだろう。子供にとってはアニメの世界で繰り広げられる世界をどこまで理解ができるというのだろう。大人が子供を洗脳していく世界とも言えるシチュエーションに、商業イメージとヒーロー伝説が結びつくことで、一つの作品として出来上がった。
さすがに柏木も子供の頃にはそこまで思いつかず、ただ、何となく理不尽な感覚が芽生えていた。テレビアニメは見ていたが、決して爽快な気分で見ていたわけではない。何かすっきりとしないものが何であるか分からなかったが、大人になるにつれて理不尽な世界を垣間見ることが多くなるにつれて、そのたびにこの話を思い出すようになっていった。
高校の先生に、
「皆は社会に出れば、それぞれが大きな機械を動かす歯車になるんだよ」
と言われた時、アニメのイメージが十分に思い浮かんだ。忘れていたものが頭をよぎり、分からなかった部分の鎖が繋がった感覚だった。
作品名:短編集62(過去作品) 作家名:森本晃次