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短編集62(過去作品)

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 何よりも人の悲鳴に耳は痛かっただろう。理性のある人間であれば、気になるのは当たり前であった。
 それでも神の命令は絶対である。一家は振り返らずに進んでいたが、そのうちの一人がたまりかねて制止を振り切って後ろを振り返った。
 その時、振り返った人間は一瞬にして石と化した。
 それでも、一家は石になった人を見捨てて進むしかない。彼らの中にある一家としての情けはどうでもいいというのだろうか。
 神という絶対的な存在の前では、人間一人一人の意思はまったく尊重されないことを含んだ話でもある。今の人間から考えれば矛盾しているように思えてならないのではないだろうか。それこそ、
「神も仏もないものだ」
 と本を読んで言いたくなるのも皮肉なものだ。
 聖書の話には一貫した共通点があるように思える。もちろん、神の命令は絶対だということが前提になっているのだから、当然といえるだろう。人間が乱れると、神は人間に戒めを与え、時には滅ぼそうとする。
 バベルの塔の話にしてもそうだ。
 天に近づきたいという一心で大きな塔を建てたニムロデ王、彼は天に向って矢を放つ。神の逆鱗に触れて、塔は途中から真っ二つに割れてしまって、人々は言葉を乱されてしまう。そして、全世界に散っていくという話であるが、これはある意味、今の世界から見て作られた話ではないかとも言えないだろうか。
 ノアの箱舟にしてもそうである。
 洪水によって一度世界を滅ぼして、そこから新しい秩序を持った世界を作るという壮大すぎる大スペクタクルが展開される。聖書ならではの逸話ではないだろうか。
 そんなことが頭をよぎったが、
「まさかな」
 夜のしじまの中でしんしんと降り続く雪景色の中、何が起ころうというのか、後ろを振り返ってみるだけではないか。
 そう思って振り返るが、後ろに広がっているのは真っ黒な闇だった。前を見て歩いている時は白が目立ったのだが、後ろは闇が支配している世界である。真っ白い雪も闇に紛れて自分の足で歩いてきたという感覚がない。
 もちろん、距離感など分かるわけもなく、森が暗闇の中で蠢いている感覚があるだけだった。
 確かに抜けてきた森は気持ちの悪いものだった。闇の中なので、森の大きさまでは分からない。真っ白い雪に覆われていても上に行くほど闇が深くなってくることで、本当の広さは分からなかった。
 後ろを振り向いた後に前を見ると、今度は白さが眩しかった。目が慣れるまでに少し時間が掛かったくらい明るさに差があった。
 目が慣れてくると、目指す工場が近づいてくるのが分かった。すぐ目の前に広がっているようである。壁は白い雪に覆われていて、さらに広く感じてしまいそうだ。
 雪を踏みしめながら歩いていくと今まで感じなかった疲れを一気に感じた。目的地が見えてきたことによって安心してしまったからに違いない。
 先ほど感じた前と後ろの明るさの違いは、工場の明かりのせいではないだろうか。工場から漏れている明かりは近づくにつれて明るさを増しているように思えた。本当であれば目が慣れてくれば明るさにも慣れてきて、次第に暗く感じてくるだろうと思われる。それを感じさせないのは、雪の白さのせいではないかと思う柏木である。
 工場の入り口で傘に積もった雪、ズボンや肩に残った雪を払いのける。一気に身体が軽くなるのを感じ、それだけ雪の量も多かったことを示していた。歩いている時に感じなかったのは、それだけ足元へ注意を集中させていたからかも知れない。
 傘を傘立てに置くと、数本置かれている傘の中で二本ほど雪が解けずに残っているのが見えた。その横に自分の傘も置くことにした。
「こんばんは」
 夜であるにも関わらず、女性事務員が三人ほど働いていた。
「いっらっしゃいませ」
 スリッパに履き替えて事務所に入ると、事務員の女の子が受付をしてくれた。工場は二十四時間営業のため、女性を夜間勤務に付けることもある。急遽の受注にも対応するためのようだ。
「御社の本部よりご紹介いただいた国際出版の柏木と申します」
 営業姿勢で名刺を差し出した。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
 受付から少し入ったところに設けられている簡易の応接室に通された。お茶をご馳走になりながらしばらく待っていると、工場長が現場である倉庫からやってこられたのである。
 作業着が似合う人で、表情は引き締まっていた。家に帰って奥さんや子供には決してこんな顔はしないだろうと思えるほどの表情である。
 立ち上がってお互いに名刺交換をすると、第一印象とは正反対の気さくな態度の工場長は、
「これはこれはわざわざ遠くからいらしてくださって、お疲れになったでしょう」
 名刺には、矢次と書かれている。以前、知り合いにも同じ名前の友達がいたが、珍しい名前である。
「はい、ここまで三十分ほど歩いてまいりました。想像以上の雪の深さに驚いております」
「そうでしょうね。ここの雪は降り始めると、少し厄介なところがありますからね。歩くとなると我々でも辛いですよ」
 熱いお茶も、次第に冷えてくるように感じるのは、すきま風が入ってくるからであろうか。暖房は効いているが、どうしても冷気から逃れることができないほど、まわりが底冷えしているに違いない。
 建物は見た目、あまり新しいわけではないが、それでも補修工事が行き届いているのだろう。内装は綺麗だった。
 白を基調にした内装は、綺麗な時は目立たないが、汚れがしてくると、これほど目立つものはない。それだけに絶えず気にしていないと汚れ目がするだろう。それを加味して室内を見渡した柏木が綺麗に見えるのだから、絶えず綺麗にしていることが伺える。会社の方針なのか、社員一人一人の意識なのか、どちらにしても、取材していて悪い気分を与えられる要素などなさそうな気がした。
 工場長を見ていてもそれは感じる。
 人のよさそうなおじさんで、いかにも田舎のほのぼのとした雰囲気を味合わせてくれる。ずっと都会育ちの柏木にとって、田舎の人の人情に触れるのは嬉しいことだった。
――田舎の人はこうでなくちゃ――
 という自分なりの田舎の人に対するビジョンもあった。
――田舎の人に対しての偏見じゃないだろうか――
 と感じることもあったが、育った環境の違いの大きさを感じるには、少なからずのビジョンがなければいけないだろう。子供の頃に感じること、それが自分にとって長い短いという感覚と同時に大人になるということへの思いも交差する。そのことが柏木の思いに大いに影響しているに違いない。
 田舎の人のイメージというと、おじいさんのイメージだった。
 九州の田舎でおばあさんと二人暮らしをしているおじいさんのところに夏休みになるといつも母親が連れていってくれたものだ。
 夏の九州は暑さが違う。湿気を多く含んでいる感覚があった。もっとも海が近かったことで、潮の香りも強く、
――潮の香りがすれば田舎なのだ――
 と子供心に感じたものだった。
 近くの小学生は皆活発だった。暑さに負けることもなく、公園で野球をしたりしていた。柏木にはマネのできないことで、遊んでいる連中を椅子に座って見ているだけでも辛かった。
「一緒にやらないか」
 と誘われても、
作品名:短編集62(過去作品) 作家名:森本晃次