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短編集62(過去作品)

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 だが、逆に考えればその彼女を射止めた一人の男がいた場合、自分なら彼女への思いは一気に萎えてしまうだろう。相手の男が転勤になったからといって、この時とばかりに彼女に言い寄っても、それは「火事場泥棒」でしかない。プライドのある男性なら、そんなことはしないだろう。
 特に彼女のように甘えん坊だと、最初はいいが、きっと飽きが来るに違いない。赤い色は目立つが、一番飽きが来る色だともいうではないか。それを総合して彼女を見た時、ネガティブな面しか出てこない。それなのに彼女への思いが膨らんでくるのは、どこか魅力があるからなのか、それとも、付き合っていた男の存在だけは知っているが、どんな男か実際のところ知らないことが大きく影響しているように思えてならない。
 そんな時に思い出したのが松本と義母だった。
 二人のことは高校時代から後は知らない。どうなったのか気にはなっているが、最近では忘れていた。それを思い出させてくれたのが詩織だった。詩織の存在は私自身にとっても大きなものだが、忘れていたものは記憶の奥に封印されていただけであって、思い出してしまったからには、妄想の世界へ誘う結果になるかも知れない。
 詩織と付き合うことになるとは、最初から思っていなかった。だから告白してダメだった時にもそれほど落胆はない。
「付き合ってくれませんか?」
 営業の時とは違った緊張感がある。しかし、告白という気持ちの中にはダメだった時のことも頭に入っていた。
「今は誰ともお付き合いする気分にはなれないんです」
 当たり障りのない断り方だった。自分が知っている詩織から考えれば少しイメージが違っているように思い拍子抜けしてしまったが、告白したことに後悔はなかった。むしろ、ハッキリと断ってくれてスッキリしたというものである。
 だが、詩織とはそれからも今までどおりに会っていた。まるで恋人同士のような付き合いで、何と大人の関係にまで発展していた。
「私、今日寂しいの」
 呑みに行って酔っ払ってしまったのかしな垂れかかる詩織から香水の香りがする。大人の香りを感じた私は、酔いも手伝ってか、詩織を抱きしめる。
「大丈夫かい?」
「ええ、二人きりになりたいわ」
 ドキッとした。付き合っているわけでもないのに、誘われているのだ。友達の関係でも身体を重ねることもあるだろう。そのまま恋人になることだってある。まさかそこまで頭が回っていたわけではないが、しいて言えば、香水の香りに魔力があったという言い訳しかないだろう。
「今日という日、本当は大切にしたいんだけど、あなたには忘れてほしいの」
 何とも自分勝手な言い分である。ホテルの部屋で、詩織はトロンとした視線で私を見上げる。近づいてくる唇をよけることは、すでにできなくなっていた。無骨だか、しっかり抱きしめている詩織の身体は、縦横無尽に腕の中からすり抜けるヘビのようだった。さっきまで真っ赤だった首筋も真っ白くなり、身体全体で白ヘビのように妖艶に私にしな垂れかかる。
「忘れるものか」
 力強くそう言って詩織の唇を奪う。
「お願い、忘れて……」
 懇願しているが、その言葉にはすでに力はなかった。
 主導権は完全に私にあった。詩織はされるがままで、ヘビのように身体をくねらせるだけだった。触れるか触れないかの微妙なタッチ、詩織の身体は大げさにのけぞっている。
 すべてが終わった後、
「本当に忘れてね」
 というが、お願いしている雰囲気ではない。まるで恥ずかしさを忘れてほしいという女性特有の甘えで、その言葉の裏には正反対の気持ちが含まれている気がした。
――これが彼女の魅力なのか――
 男に本音を言わないのも女の甘え、微妙に男心をくすぐる女のテクニック、そんなことを考えていたが、どちらにしても、その日を忘れることなど、できるはずもなかった。
 夢のような一夜だった。詩織のことを気になり始めた矢先だったからだ。
――どこが気になり始めたのだろう――
 彼が転勤になって、寂しさを紛らわすために私に抱かれたのだろうか? それにしても、
「今日という日、本当は大切にしたいんだけど、あなたには忘れてほしいの」
 とはどういうことだろう? 自分が大切にしたいのであれば、相手にも大切にしてほしいと思って当然のようだが……。
 その答えはしばらくして分かった。詩織が近く結婚するという話を聞いたからだ。
 相手は親の知り合いの社長の息子、見合いによる結婚だそうだ。詩織の父親は中小企業の社長をしていると言っていたっけ。絵に描いたような政略結婚ではないか。
――今の時代にそんなのがあるんだ――
 今の時代だからこそ、あるのかも知れない。大企業同士がプライドを捨て、存続のために合併を繰り返す時代。会社が生き残るためにリストラされる社員も減らず、結婚が企業の生き残りのために利用されても仕方がないのかも知れない。
 またしても、松本の義母の顔が浮かんできた。彼女もまだ若いではないか。堅物の漫画家に嫁いだ女性がどれだけ苦労しているかも考えると胸が痛む。彼女の魅力はそんな雰囲気から醸し出されているのかも知れない。
 松本の父親のペンネームは橋上哲郎である。橋上の描く漫画は、ジャンルが決まっているが、その時々でテーマは共通していない。それだけにインパクトは薄いが、長く漫画家でいられる秘訣なのかも知れない。
 そんな橋上哲郎が、
「これは私の経験から描いた」
 と話す漫画を見たことがあった。
 内容は、少し少年漫画にしては重たい内容だった。少年雑誌ではなく、ヤング雑誌に掲載されたもので、少年雑誌専門だった端が見哲郎が、
「初めてヤング雑誌に連載した」
 として話題になったものだった。
「これは私の経験から描いた」
 という内容に、周囲は冷静で、
「本を売りたいからの狂言じゃないか?」
 という噂も流れたくらいだ。橋上哲郎という人物を知らない人たちの言葉だろうが、私はあながちそうだとは言えないと感じた。
 橋上哲郎の経験から描いたという作品、それは、一人の女性との恋愛ものだった。ベッドシーンもあったが、さすがに露骨なシーンは少なかったので、
「やはり、少年誌専門の橋上氏には、ヤング雑誌への進出は難しいか?」
 という噂が飛び、作品は不評だった。だが、その中のセリフで、
「今日という日、本当は大切にしたいんだけど、あなたには忘れてほしいの」
 というのがあった。一字一句詩織が私に語った言葉と同じではないか。
 最初に詩織からそのセリフを聞いた時に、すぐに橋上哲郎の漫画を思い出した。
――どんな内容だったかな――
 と内容を思い出そうとしたが、それは無理だった。その時自分の腕の中にいたのは詩織である。詩織のことだけに集中していたいと思う私がいたのだ。
 だが、翌日その話を読んでみると、橋上哲郎が自分の妻に対しての思いが綴られていた。
 橋本哲郎の前妻、つまり本当の松本の母親から逃げられたわけではないはずなのに、主人公は完全に妻から逃げられた。しかも、本人が悪いわけではなく、妻が夫に愛想をつかしているにも関わらず、自分は若い男を作って逃げたのだ。
作品名:短編集62(過去作品) 作家名:森本晃次