夢先継承
この際、病名はどうでもいいが、もちろん命に関わるような大きな妙気ではない。だから親も言わなかったのだろう。
ただ、他の三人は知っているようだった。
学校を出てから少し行ったところで、その友達は発作を起こした。何も知らない麗美はビックリして、何もできないでいたが、他の友達は冷静で、携帯を使って学校に連絡したようで、学校から数人の先生が急いでやってきた。
「君たち、ありがとう。救急車は呼んであるのですぐに来ると思うから、心配しなくてもいいよ」
と言った。
その言葉を聞いて、緊張で張りつめていた空気が少し和らいだことで、何が起こったのか分からずに固まっていた麗美は落ち着きを取り戻した。今まで痺れていたと思っていた指先に感覚が戻ってきて、凍り付いたように冷たかった指に暖かさが感じられるようになっていた。
「先生、彼女、大丈夫なんですか?」
と、何も知らない麗美は聞いてみた。
「ああ、大丈夫だよ。発作が起こっただけなので、救急車がもうすぐ来るので、あとは任さればいい」
と言って、救急車が来るのを待っていた。
「ピーポーピーポー」
救急車が到着する。
その時の麗美は、
――本当にピーポーピーポーっていうんだ――
と感じた。
今までにも救急車の音を聞いたことがないわけではなかったはずなのに、いまさらながら初めて聞いたような気がしたのは、それだけ自分に関係のないことは左耳から入って右耳に抜けるという感覚だったのだろう。
先生は救急隊員に的確に説明していた。その場が緊迫した場面であればあるほど、麗美には自分がまるでその場で取り残されているのだということを思い知らされたような気がしていた。
――やばい――
という思いが頭をよぎった。
何がやばいのか、分かっていないのに感じたやばさは、
――ここで目立たなければいけない――
という思いに駆られた。
救急隊員がせわしなく動いている姿には、テキパキとした正確さがあった。それだけに事の重大さを感じた麗美だったが、その重大さの正体が分かっていないだけに、余計に取り残されたことへの焦りが強くなってきた。
――何かを言わないと――
と考えていた。
救急隊員が、
「先生、同行願えますか?」
と言われて、
「はい、分かりました」
と言って、先生は救急車に乗っていくことになった。
そこに残されたのは、最初の生徒五人のうちの発作を起こした生徒以外の四人であった。
「ピーポーピーポー」
先ほどよりも重低音で救急車が走り去っていく。
ドップラー効果など知る由もないので、その音にビックリしながら、走り去る救急車に向かって、
「ちゃんと医者に診てもらうんだよ」
と、叫んでいた。
それを聞いた一人が、
「麗美、余計なことを言わないで、救急車で運ばれている今の状況、分かるでしょう?」
と言われた。
それは、悪意に満ちた言葉に聞こえ、今まで何も言わなかったまわりの雰囲気を気まずいものに変えた。
「ごめんなさい」
と言って、麗美は萎縮したが、麗美は自分がどうして萎縮しなければいけないのか、訳が分からなかった。
むしろ、自分だけを置いてけぼりにしていたまわりに対し、
「あなたたちのせいよ」
と心の中で叫んでいた。
遠ざかっていく救急車の音が、本当であれば小さくなっていくはずなのに、麗美にはさらに大きく聞こえてくるようだった。
――戻ってきているのかしら?
と思えたほどで、そのうちにどこから聞こえてくるのかすら分からなくなっているようだった。
見えなくなるまでには結構早かった。道がカーブしていて、そのためにすぐにマンションの影になって救急車は見えなくなった。ちょうどその頃から音が響いているように感じたのだ。
その日は綺麗に晴れていたのに、マンションの影に救急車が隠れたのを見た時、まるで霧がかかっているように思えたのは錯覚だったのだろうか? 湿気で身体に気持ち悪いものがへばりついているようで、音が籠って聞こえたのも、そのせいではなかったか。
対象物が見えなくなると、音が響いていても、それがどこから聞こえてくるのか、ハッキリしないようになったのはその頃からだった。ハッキリとカーブを曲がって行く救急車を見ていたはずなのに、どこかハッキリと自信が持てない自分が不思議で、そのため、大きな音を後ろから追いかける時、恐怖を感じるようになっていた。
この救急車での経験が、留美と出会った時とどっちが先だったのか、麗美には思い出せない。ただ一つ言えることは、留美が発作を起こし、救急車を呼んだ時は、その友達の事件の後だったように思う。急に麗美が苦しみだし、どうしていいのか戸惑っていると、執事が飛んできて、冷静にテキパキと救急車を呼んだりして、すぐに騒ぎは収まった。それでもまだ胸の鼓動が収まらない麗美に対して、
「大丈夫ですか? お嬢様は時々こういうことがございますが、私やまわりでお世話をしております人は皆承知しているので、冷静に対応ができます。麗美様も落ち着かれても構いませんよ」
と、執事に言われ、
「分かりました」
と、言葉だけで答えたつもりだったが、答え終わると不思議なことに、自分が落ち着いてきているのが分かった。
どうやら、ここの執事は自分の発する言葉が相手を落ち着かせる何かがあると自覚しているのかも知れない。少し落ち着いたことでビックリしている麗美を見て、まるですべてをお見通しのごとく微笑んでいたのは、麗美が落ち着いているのを看破したからだったに違いない。
麗美は目立たない子ではあったが、アイドルに憧れていた。
その頃のアイドルは、歌がうまいだけではなく、いろいろなエンターテイメント性が豊かでないと、生き残っていけない世界だった。
母親に、
「ダンスを習いたい」
と言って、習わせてもらったが、目立って上手なわけでもなく、アイドルになるには程遠かった。
クラスメイトの中には、アイドルになれそうな女の子もいて、実際にスカウトされたと言って、小学四年生の頃から、本格的にダンスを習うようになり、あっという間に麗美は追い越されてしまった。
「やはり、彼女には敵わないわ」
と思って諦めた。
その友達とはしばらく仲が良かった。名前は河村晴美と言ったが、晴美は留美とも知り合いだった。
そのことを教えてくれたのは留美だった。
「麗美ちゃんは、晴美ちゃんとお友達なの?」
「ええ、同じクラスなのよ」
「そうなんだ。私は幼稚園の頃から、晴美ちゃんと一緒だったんだけど、私が病気になって、学校を休みがちになった時も、よく家に遊びに来てくれていたわ。いつも明るくて元気で、私はそれが羨ましかった」
とそう言って、少し悲しそうな顔になった。
留美としてみれば、自分は病気で元気に立ち回ることができないのに、晴美の元気で明るい姿を見ると、羨ましく感じるのも仕方のないことだった。
麗美はその時の留美の表情を、そう解釈したが、実際にはそうではなかった。