夢先継承
ループしていると思ったが、気が付けば抜けている。それは留美を思い出すことで分かったのだが、同じループであっても、一度目と二度目では微妙に感じ方が違っている。だからいつの間にかループを抜けてしまっているのだ。まるで遠心分離器にかけられたようなものではないか。
麗美が思ったことを口にすることで損をしたのは数限りない。
――しまった――
と思っても後の祭りである。
この感覚は麗美に限ったことではなく、余計なことを言って損をする人皆に言えることだろう。
そんな人はタイプとしては大きく分かれる。それは、余計なことを言って後悔した姿をまわりに見せて、
――この人は、余計なことを言っちゃう人なんだ――
と他の人に悟らせてしまう場合だ。
しかもその中にも二種類いて、まわりに悟られていることを感じている人と、まったく感じない人だ。どちらの方が多いのか分からなかったが、まわりに悟られていないと思う方がいかにもと思うのは、本当の私感なのかも知れない。
もう一つは、余計なことを言ってまわりの雰囲気を壊しても、それを本人が意識していないとまわりに感じさせる対応である。ただこちらのパターンは、あまりいないような気がする。まわりだけが気付いてしまっても、気付いた人がその人に指摘したりするはずはない。
――それこそ余計なことをして後悔してしまうパターンだ――
と、ミイラ取りがミイラになってしまった感覚になるだろう。
麗美のそんな性格をクラスメイト達は気付いていた。特に男の子たちからよく苛められていたが、その理由は男の子はハッキリとは言わない。
「どうして私を苛めるの?」
と聞いても、
「理由なんかない。お前がお前だからだ」
という訳の分からない理由を言われて、理不尽さを感じるしかなかった。
だが、理由が理解できないということは、却って気が楽でもあった。
――そうか、理由が分からないということは、この人たちだけが嫌がっているだけなんだ――
と感じたからで、他の人は見て見ぬふりをしているだけだと思ったからだ。
だが、そのうちに別の感覚が芽生えてきた。
――苛めている一部の人間の方が、態度がハッキリしている分だけマシなのかも知れない――
と思うようになった。
苛めを受けている麗美を誰も助けようとはしてくれない。確かに苛めを仕掛けてこない人たちには理不尽さは感じないが、苛立ちを感じるようになった。それは自分を助けてくれないからではない。自分に対してまったくの無関心で、存在を消しているわけではないのに、まわりによって自分の存在が否定されているように感じたからだ。
最初のうちは、まわりから陰口を叩かれているように思っていた。
「お前は鬱陶しい。そばに寄ってくるな」
であったり、
「頼むから、こっちを見ないでくれ」
というのを、訴えているように見えたからだ。
そばに寄ってくるなという陰口は、自分が近くに寄った時、相手は反射的に避けているように感じたからだ。
だが、実際には違っていた。誰かの近くに寄った時、無意識に避けているのは麗美の方だった。麗美は腰を引いたりしていたが、まるで磁石の同極が反発しあっているかのようで、自分が相手を避けているわけではないという意識が強いからか、自分が避けられていると勝手に思い込んでいた。
実は麗美に対して苛めている人の中には、そんな麗美の態度に業を煮やしていた人も少なくない。麗美が苛められていたのは、余計なことを言うだけではなく、無意識に人を避けているところからの苛めであった。
無意識に避けられた方は、
――まるで俺が汚いもののようじゃないか――
と思わされたからで、自分が汚いものだという意識がない中で一人だけ自分を避けている人がいれば、その人を排除したいと思うのは無理もないことだろう。
――なんとなく鬱陶しい――
と感じるのはそのためで、苛めをしなければいけないという絶対的な理由にはなっていないが、苛めをしないことで自分にストレスが残ることは否めないと感じているからであろう。
ただ、麗美は実際に露骨な態度に出る相手もいた。
小学生の低学年の頃、クラスの男子生徒の中で、まだおもらしをしている人がいた。皆知っていたのだが、知っていて黙っていた。
担任の先生から父兄に対して通達があったようで、
「○○君に対して余計なことを言っちゃだめよ」
と言われていた。
ほとんどの生徒は、
「はい」
と言って従っていたが、麗美だけは理不尽さが残ってしまって、
――何が余計なことなのかしら?
と、親のいうことが分からなかった。
――余計なこと?
小学生の低学年の生徒に、そんな漠然な言い方をして分かるのだろうか? 麗美は何が余計なことなのか、その時から余計なことという言葉が気になって仕方がなかった。
実際にクラスで麗美はその生徒の席に近かった。冬の寒い時期、教室は密閉されて暖房が入っている。
――うっ、臭い――
ツンという刺激臭が鼻を襲った。
まわりを見ていると、皆顔をしかめていたが、その様子は一種異様だった。誰も何も言わず、声を発することもできない苦痛に耐えていた。
それは麗美も一緒だったが、誰も何も言わないことに、次第に麗美は苛立ちを覚えていた。
頭の中に、
「余計なこと」
という言葉がよみがえってきた。
しかし、麗美はまわりを見れば見るほど、何も言わずに堪えている皆を見るのが耐えられなくなった。この耐えられない状態を自分に与えたのは、臭いのせいではなく、まわりの我慢している状況だと、麗美は判断した。
すると、まわりに対してどのような態度を取っていいのか分からないでいると、何を思ったのか、
「何か臭いわね」
と、口から出ていた。
まわりは凍り付いたように麗美を見た。その表情は先ほどの臭さを耐えている表情ではなく、視線は完全に麗美に寄せられていた。まるで苦虫を噛み潰したような表情だったのだろうが、小学生低学年の生徒にそんなことが分かるはずもなかった。
それでも、
――よかった――
と感じた。
自分に対しての表情に哀れみが含まれていたのだろうが、それも分からなかった。ただよかったと感じただけだった。
だから、麗美は自分の一言が、
「余計なこと」
だとは思っていない。むしろ、
――これでこの場の空気を変えることができた――
と考えたのだ。
なぜなら、さっきまでのいつまで続くか分からない臭さに耐えている表情が、自分に向けた表情に変わってすぐに、皆の顔がいつもの無表情に変わったからである。
さすがにいいことをしたとまでは思わなかったが、自分を犠牲にしたことで、この場が正常に戻ったという感覚が、小学生低学年であるにも関わらずあったのだ。
自分のことをその時から皆が一目置くようになったと麗美は感じていた。決定的に「痛い」と思える勘違いなのだが、そのせいからか、
――自分が余計なことをしている――
とは感じなくなっていた。
あれは三年生の頃だったか、学校から友達五人で下校していた。
一人の友達は持病を持っていた。麗美はそのことを知らなかったが、たまに発作を起こすことがあるという病気だった。