夢先継承
視線というものが一度確立してしまうと、なかなか抜けないのが人間である。それは他の動物にもあるもので、むしろ人間が一番鈍いものなのかも知れない。
それは本能と呼ばれるものであろう。さらに身体だけの視点からいうと、それは条件反射と呼ばれるものになってしまう。
条件反射に感情や感覚が宿ると、そこに本能という言葉が生まれてくる。自分の意思でどうすることもできないのが条件反射。そして抗うことのできない状況には違いないが、条件反射ほど限られた範囲ではなく、ある程度気持ちに余裕があるのが、本能というものではないだろうか。
麗美は、さっき見えていたはっぴを着た人たちが、思ったよりも小さく見えていたことに気付いていた。それでも視線を切る時に感じた大きさは、最初に見た時に感じた小ささに比べれば、かなり大きく感じたように思えた。
――遠近感がマヒしてしまうと感じるのは、被写体の大きさではない――
と思っていただけに、何かキツネにつままれたような曖昧な感覚が頭に残った。
麗美と友達は、天守を下りていた。最初に上った時にはさほど感じなかった階段の勾配が、下る時にはかなりの角度に感じられたのは、上る時と意識が変わってしまったからだろうか?
もし意識を変える何かがあったとすれば、さっき見た天守の屋根にあった真っ黒い穴ではないだろうか。まるで底なし沼にでも吸い込まれそうな感覚に、さっきまでの明るさから急に真っ暗な天守の中に入った時に感じる明暗の差が、さらに先ほどの穴の中にあるものを想像したができなかったことに感じた錯覚を深く抉ったかのように感じられたのである。
会談を上った時よりも倍ほどの時間をかけて下りると、外は晴れあがっていた。遠くの方で歓声が聞こえたかと思うと、いよいよアイドルの登場だった。
「やめようよ」
という友達を制して、麗美は会場に向かった。
そこには仮説と言ってっもいいくらいのステージが作られていて、お世辞にもアイドルのイベントというには程遠さが感じられた。
友達の顔を見ると、さぞや嫌悪に満ちた顔をしているかと思ったが、その表情には哀れみが感じられ、それは蔑むような表情でなかったのだけは、すぐに麗美にも分かった。
「本当に大変なんだ」
という友達の声は少し引きつっているように聞こえた。
麗美はそれを聞きながら、無言で頷いたが、麗美としては、
――見たくなかった――
と感じる光景でもあったのだ。
麗美が見たくなかったと思ったのは、ミーハーを毛嫌いしている友達にまで同情されるほどのアイドルが、本当に自分が憧れているアイドルと同じものなのか、その距離感に疑問を感じたのだ。
――距離感?
それはさっきの遠近感をマヒさせた光景と、感覚的に似ているのではないだろうか?
麗美はアイドルとの距離感を今まで手の届かない存在として感じていたのだが、こうやって屋外でのイベントを見ていると、
――こんなに近いんだ――
と感じた。
しかし、ステージ上の彼女たちの躍動感から感じるものは、
――やっぱり私のような中途半端な考えではなれるものではないのかも知れないわ――
華やかなステージばかりをイメージしてきたが、このような下積みを知らずにアイドルに憧れるのは、彼女たちへの冒涜に思えた。それでも、彼女たちを見ていると、
――自分もあそこに立ってみたい――
という感情に駆られてきて、アイドルをミーハーとして一刀両断にはできないものだと改めて感じる麗美だった。
麗美は自分がステージに集中していることに気が付いた。音楽に合わせて一糸乱れぬダンスに、目は奪われてしまっていたのだ。
思わずステップしてしまいそうになる自分を制しながら、
「そんなに動いて大丈夫なの?」
と友達に言われて、
「えっ? 何が?」
と友達の方を振り向くと、その顔には真剣さが滲んでいた。
――何をそんなに心配しているんだろう?
麗美は自分が熱中しすぎて、途中で気分が悪くなってしまったりしたこともなかったし、誰かに迷惑を掛けたという意識もなかった。
それなのに友達の表情には何かのっぴきならないものが感じられたのだ。
麗美はその時、留美を思い出していた。
留美は不治の病と言われながらも、頑張って生きている。
そういえば、留美が荒れた時期があったのを麗美は思い出していた。
あれは、麗美が中学生の頃くらいであっただろうか。留美は、
「小学生を卒業できるか分からないらしい」
と言われていて、本人も、
「私は制服を着ることができないんだわ」
と言っていた。
その表情は悲しそうというよりも寂しそうに見えた。死ぬのが悲しいというよりも制服を着ることができないことの方に寂しさを感じたのだろう。そう思うと、
――留美は死ぬのが怖くないのかしら?
と感じていた。
しかも、小学生の頃の留美は、死を目の前にしているというわりには、取り乱したりすることはなかった。いかにも優等生を演じているようで、それはそれで虚しさを感じられた。
不謹慎なのかも知れないが、その態度にはわざとらしさが感じられるほどで、本人はそんなことなどあるはずもないのにどうしてなのか、麗美には分からなかった。
それでも取り乱さないことはそれだけで素晴らしいことだった。何が素晴らしいといって、自分にマネのできることではないという思いがあるからだった。
――小学生なのに――
という思いが先に立って留美を見ていたからだろうか。留美の潔さがそのまま凛々しさに繋がっているように見えたのだ。
留美が自分の見ていないところで苦しんでいるということは分かっていた。あそこまで潔くしておきながら、白々しさまで感じさせるということは、それだけ苦しみが背中合わせである証拠である。逆に白々しさが感じられなければ、留美が苦しんでいるという思いを抱くこともなかっただろう。
だから留美に対して感じた白々しさは感じたとしても、それを後ろめたく感じることなどないのだ。
留美の小学生時代は、限られた、いや、決められた運命を忠実に生きただけなのだ。苦しみが伝わってこないのが、ある意味苛立ちに思うほどで、その思いが白々しさを醸し出したのかも知れない。
留美は、そのまま死ぬこともなく中学時代を無事に迎えた。さぞや留美の両親はホッとしたことだろう。
だが、留美を中心とした当事者にとっては、拍子抜けしたという思いが強いのも仕方のないことだろう。何しろ、死を宣告されていたのだから、
「生涯をまっとうさせてあげたい」
という思いと、
「寿命の限り、一生懸命に生きる」
という思いが強ければ強いほど、タイムリミットと思っていた時間を通り過ぎると、そこには虚しさは漂う惰性のような時間が横たわっているのだ。
最初から決まっていなかった時間を与えられると、どう生きていいのか分からないだろう。
親もどう接していいのか分からないし、本人も、本来であれば死んでいるはずの世界にまだとどまっているという思いと、ここから先はいつ死んでもしょうがないという思いとが交差して、情緒も不安定になるに違いない。
医者はそこまで考えていなかった。