夢先継承
他の人がいうのなら、それほど信憑性を感じないが、留美の言葉であれば、それはそれで大きな重みがある。子供だった麗美にもその重さは感じられ、留美が抱えている重みを、まるで自分も半分抱えているように思えた。それは自分が望む望まないにかかわらず、まるで自分が望んだことであるかのような意識が、頭の中にこびりついているのだった。
アイドルへの距離
宿を出ると、友達はハイテンションだった。何しろ、やっと楽しみにしていた城めぐりができるからである。麗美もそんな彼女の様子を見ていると、まるで自分のことのように楽しくなった。
――こんな気持ちになったこと、前にもあったわ――
またしても、デジャブであったが、今回の感覚は漠然としたものではなく、それがどこの誰と一緒にいる時なのか、ハッキリとしていた。
――あれは留美と一緒にいる時の感覚だわ――
麗美は、普段はあまりう人に気を遣ったりしない。
気を遣うこと自体大嫌いで、自分が気を遣われることも嫌だった。
――何かの反動なのかしら?
麗美には、何かの反動を思わせる感情が結構意識の中に存在していた。
時々自分が誰かのためにしているという感覚を持つことがあったが、そんな自分が嫌で仕方がないことがあった。
――どうせ、相手は自分に何もしてくれないのに、自分の方からしてやることなんかないのに――
と感じるのだ。
見返りを求めて人のためにすることは、綺麗なことではない。麗美はそんなことは嫌だった。それなら、自分から人のためにするなどありえない。
大人になってから、大人の汚い世界を知ってしまってからであれば、そんな感情も分からなくもないが、麗美はまだ大人の世界を知らないはずだ。それなのに、こんな考えを持つということは、それだけ自分の気持ちが凍り付いている証拠ではないか。
そんな時に思い出すのが、たまに感じる、
――空気が凍り付いた瞬間――
であった。
自分だけが普通に動いているのに、他の人はまわりの空気が凍り付いたかのように、微動だにしない。しかし、実際に止まっているわけではなく、微妙に動いているのだ。
それは、その周辺の空気が凍り付いてしまったからで、麗美にはその空気が氷ついた世界が見えていたのだ。
背景はモノクロになっていて、冷たく感じるわけでもないのに、冷たいと思う。偽りの感情のはずなのに、自分で納得できるのだ。
そんな感情を、今回の旅行でも感じた。それは分かっているが、どこで感じたのか、前の日のことなのに、すぐには思い出せなかった。
だが、留美と一緒にいると、なぜか留美に気を遣っている自分がいじらしく感じられる。
――留美のためなら――
という感情が芽生えてくるのだが、それはまるで幼児の頃にぬいぐるみを可愛がっていた時の感覚だった。
ぬいぐるみのように生きているわけではないものを可愛がる。子供の自分が唯一自由にできるものとしての感情が芽生えた。
それを支配欲とでもいうのだろうが、子供の麗美にそんなことが分かるはずもない。
しかも、ぬいぐるみが見返りをしてくれるわけもない。それでもぬいぐるみのためならと思う。
気を遣っているという感覚はなかった。気を遣うという感覚が分かる年でもないからである。
――留美は、私にとっても。幼児の頃のぬいぐるみ?
そんなことはない。
留美はれっきとした人間なのだ。だが、留美を見ていると、どこか儚い思いが滲みだしていた。後で留美の命に限りがあると聞かされた時、
――やっぱり――
と感じたのだが、その思いは自分の勘が当たっていたことに対しての思いであり、麗美に対しての思いとは違っていた。
麗美の命に限りがあると聞かされた時、最初に感じたのは、
――私にはどうすることもできない――
という思いだった。
どうすることもできないのに、これからどう付き合っていけばいいのか、悩んでしまう。だが、考えてみれば、自分が悪いわけではない。それなのに、自分から悩んでしまうというもの理不尽だ。そう思うと、悩むことがバカバカしくもなってきた。自分の我儘だと思える感情が、麗美の中で機械的に発展していく。
留美が不治の病だと聞いた時、留美にどのように対応すればいいのか分からなかった。自分は以前、友達が救急車で運ばれる時、余計なことを口走ったという記憶があるため、人に気を遣ったりすることが、却って相手に対して余計なことになるという意識があるのだ。
それでも、いつの間にか留美と一緒にいることで、自分が留美に何かを与えているような気分になった。それは幼児の頃にb¥ぬいぐるみを可愛がっていた感覚に似ている。
よくよく考えれば、何か危険な感覚ではないかと思えたのだろうが、その頃の麗美は単純に留美に何かを与えているという感覚が嬉しくて、余計なことを考えないようにしていた。
それがよかったのか、麗美は留美との関係において、不都合が生じくことはなかった。
「麗美が一緒にいてくれて、私は嬉しい」
留美の言葉に嘘はないということは分かっていた。だから、麗美は嬉しかったのだ。
その頃の麗美は、自分が嬉しいと思うことが一番だった。それが正義であり、自分を納得させられる正当性だった。
――一人よがりであっても、それを相手が分かってくれれば、それでいいんだ――
と麗美は感じていた。
それからの麗美は、好き嫌いがハッキリとしてきた。
一番ひどく嫌がっていたのは、騒音だった。
近所から聞こえてくる工事の音、あるいは、子供の無神経な叫び声、
――人の迷惑なんて子供には関係ないんだ――
と分かってはいるが、無神経な声を聴くと、自分の神経が逆撫でさせられるのを感じるのだ。
その頃からの麗美は、無神経な人に対して嫌悪感が半端ではなかった。人に気を遣うことをあまり好きではないと思っているくせに、無神経な人を見ると、むかついてくるのだ。それが自分の中で矛盾していることは分かっていたが、近い将来、確実に自分を納得させられる正当性を見つけられると信じていた。その感情はかなりの確率で高いもので、麗美にとってのトラウマの解消に役立つものとなっていった。
子供の頃から感じているトラウマはいくつかあったが。大人になるにつれて、消えていった。
――消えるくらいなら、最初からトラウマなんかじゃなかったんじゃないかしら?
とも思うが、思春期の微妙な感情の中では、ちょっとしたことでもトラウマになりかねない。
それを分かっているだけに、麗美は思春期が終わることには、自分の過去の感情が少しずつ理解できてきたのだった。
理解できないことも少なくなかったが、それでもそれを矛盾として受け入れることができたのは大きかっただろう。ただ理解できないというだけで受け入れることができないのであれば、考えることもしなかっただろうし、結局自分を都合のいい方向からしか見ることがなかったに違いない。
「麗美は、本当に自分に正直なのね」
と、最初に麗美が自分に正直だということを教えてくれたのは留美だった。
「えっ、そんなことはないわ」
と、照れながら答えたが、まんざらでもないと思っていることを、留美は看破していたに違いない。