夢先継承
「普通の家庭なら、そうかも知れないわね。でも、お母さんも浮気をしていたのなら、お父さんもしていた。そもそもどちらが最初だったのか、私には分からないんだけど、私にはなんとなく浮気をしていたことを分かっていたような気がするの。特にお母さんに関してはね」
「そうなの?」
「ええ、後になって考えるとそう思うんだけど、お母さんが死んでからお父さんだけになると、今度はお父さんも浮気をしていたんじゃないかって思えたのよ。そう思っているうちに新しいお母さんを連れてきた。私はそれほどビックリしなかったような気がするの。ショックなのと、感覚がマヒしてしまうこととは、完全に比例しているわけではないと思うのよ」
「それは、何か前兆のようなものを感じたからなの?」
「前兆というか、初めて見たはずのものを、前にも見たことがあるような気がするという感覚を、その頃頻繁に感じていたの。それをデジャブというというのは知っていたけど、デジャブという言葉にはピンとこなかった。お母さんがそのうちにいなくなるような気がしていたのは最初から分かっていたことだったんだけどね」
と言った。
「でも、不吉な予感というのは当たるってよく言うわよね」
というと、彼女は少し不機嫌な顔になり、
「その通りなのよ。でも私が嫌な気分になったのは、お母さんが死んだことでも、お母さんが浮気をしていたことでもないの」
「どういうことなの?」
「お母さんの浮気相手が即死だったということが、私には許せないのよ」
「えっ?」
「即死だったことで、私もお父さんも、その相手がどんな人で、お母さんがどんな気持ちで浮気をしていたのかということがまったく分からないということが、私には悔しいの。私に直接はお母さんの気持ちが分からなくてもいいんだけど、お父さんには分かってほしいって思うの。分からないから、新しいお母さんをすぐにつれてくるようなマネができるんじゃないかって思うのよね」
友達の発想は、子供の発想を超えていた。思春期のまだ、未成年の女の子の発想ではないような気がした。
しかし、その友達と話をしていて、友達の気持ちが分かってくるような気がしていたのも事実だった。
――私も大人の発想になってきたのかしら?
と感じたが、もし自分が彼女とおなじような境遇に立たされたとしても、同じような発想はできないと思った。
ひょっとすると彼女のようなデジャブな意識は出てくるかも知れないが、そこから浮気相手が即死だったことに対して憤りを感じるようなことはないと思えたのだ。
友達は続けた。
「私ね。あの時から大きな音が怖くなったのよ。大きな音というのは物音などではなく、救急車やパトカーのサイレンの音だったり、バイクの轟音だったりなんだけどね。やっぱり道路に関することには敏感になっているのかも知れないわ」
という友達に、
「でも、あなたはお母さんの惹かれたところを目撃したわけではないんでしょう?」
と、麗美は聞いた。
「ええ、でも、見たわけではないけど、想像はできるの。だから、道を歩いていてサイレンの音やバイクの走り去る音を聞くと、身体が震え始めて、止まらなくなちゃうの」
「想像力がもたらすものなのかも知れないわね」
「想像力というよりも、妄想力なんじゃないかって思うんだけどね」
「そんなものなのかしらね」
「想像力が湧いてくることから、逆の意味で起こったことを事実として遡っていくと、前から予想できていたように感じるというのも、あながち突飛な発想でもないような気がするわ」
と彼女がいうと、
「じゃあ、私が時々感じているデジャブの正体も、想像力を掻き立てるための発想があるからなのかも知れないわ」
と思うと、そこから少し友達との話に共通点が見つかり、話が突飛な方向へ向かったが、話が終わってしまうと、それまでの高揚とした感情がまるでウソのように、会話の内容すら途中から覚えていなかったのだ。
――これも感覚がマヒしている証拠なのかしら?
と感じた。
麗美は、自分もバイクの音だったり、サイレンの音を聞くと、身体がすくんでしまって、歩くこともできなくなるほどだった。後ろから音がしてくれば、後ろを振り向くことすらできず、恐怖で足がすくんでしまうのだ。
そんな時、麗美は何かを考えていた。ただ、何を考えていたのか、身体が動き始めると頭の中からその思いついた考えを思い出すことはできなくなっていた。
「そういえば、サイレンやバイクの音がどうして怖いのか。私最近なんとなくだけど分かってきたような気がするの」
と友達は言った。
麗美も実は頭の片隅では、
――あとちょっとで分かる気がするんだけどな――
と感じていた。
何かのきっかえさえあれば分かることである。
――だから、分かった瞬間に、以前から分かっていたような気がするだなんて感じてしまうのかも知れないわ――
という発想も芽生えていた。
友達が分かったと言っているのに、麗美は敢えて聞かなかった。聞かなくても、彼女は話してくれると思ったのだろうか。
果たして彼女は話し始めた。
「ドップラー効果って知ってる? それがこの感情に影響しているようなのよ」
「ドップラー効果?」
その言葉は聞いたことがあり、何となくだが分かっているように思っていた。
代表的な例として、救急車のサイレンの音が近づいてくる時と、目の前を通り過ぎ、反対に離れていく時とでは、完全に音が違っているという現象である。
ドップラー効果に関しては学校で習ったというよりも、
――どこかで話を聞いたのだけど、どこで聞いたのか覚えていない――
という感覚が強かった。
一度だけではなく何度か聞いたような気がしたが、その話は毎回違ったようだったが、ハッキリと覚えているのが、救急車のサイレンの音が、近づいてくる時と離れていく時とでまったく違っているということだった。
「離れていく時の方が音が籠って聞こえるような気がするの」
とその時麗美は答えたような気がしたが、それを聞いた相手は黙って頷いていたような気がする。
「私はドップラー効果について調べたことがあったんだけど、話を聞いただけだと分からなかったことがどんどん出てくるのよ。そしてそのたびに、まるで目からウロコが落ちたような気がしたの」
と友達は言ったが、麗美も同じ気持ちになっていたようだった。
――覚えていないだけで、何かのきっかけで思い出せるようなそんな浅いところで忘れているように感じているのかも知れない――
と感じた。
麗美が音に対して恐怖を感じ始めたのがいつだったのか定かではないが、意識として一番恐怖を感じるのはバイク音である。そして恐怖は感じるが、その感じた恐怖以上に身体が反応し、萎縮してしまうのが救急車の音である。
病院にいるだけでどこも悪くないのに、身体がだるさを感じたり、熱があるような感覚に陥ることがあるが、それは薬品の臭いを嗅いだからだと思っている。勝手に身体が反応することがあるのは、思い込みによるものであり、デジャブのような現象も、意識よりも先に身体が反応していて、反応したという意識がないままでいることが以前にも感じたことがあるという意識に繋がっているのかも知れない。