夢先継承
ショーウインドウがあるわけでもなく、柱にぶら下げられているものや、かごに置かれているというよりも放り込まれているようなものも見ることができた。かなり乱雑なものである。
――民芸品なんて、こんなものなのかしらね――
と感じたが、よくよく考えてみると、これはまだ小さかった頃にかろうじて街のはずれに残っていた駄菓子屋の雰囲気だった。
その駄菓子屋もすぐになくなってしまい、
――こんな喧騒とした雰囲気の店は、もうこの世に存在しないのではないか?
と思わせた。
駄菓子屋は、なくなってしまったことで、麗美にとって、小さかった頃を思い出す時に一番最初に思い出すことになっていた。もちろん、それ以外のことをピンポイントで思い出す時は別だが、何気なく思い出す時の最初は、やはり駄菓子屋であった。
狭い店内には、何がどこに置いてあるのか、何度も行っている人でも分からないほどだった。
――子供相手だからと思って、バカにしているのかしら?
と思っていたくらいだが、なくなってしまうと、その懐かしさが忘れていくどころか、どんどん忘れられない世界に入り込んでいるようで、不思議な感覚だった。
駄菓子屋の店番をしているおばさんは、どこかぶっきらぼうだった、いくら子供相手であっても、いや子供相手だからこそ、もっと愛想を振りまいてもよかったのではないか。
だが、駄菓子屋がなくなってからどこの店に行っても、客に対してぶっきらぼうな人はいない。中にはやる気のなさそうなコンビニ店員などがいたが、
――どうせアルバイトなんだわ――
と思うことで、怒りに繋がることはなかったが、あまり気持ちのいいものではない。
だが、明らかに駄菓子屋のおばさんとは同じぶっきらぼうでも違っている。おばさんには人を惹きつけるなにかがあった。
――ぶっきらぼうでも、面倒くさそうにしていなければ、愛着が感じられるのかも知れないわ――
お土産コーナーの乱雑さを見ていると、おばさんの顔が浮かんでくるかのようだった。
麗美は、奥に入っていろいろと物色してみた。その中で一つ面白いものを見つけた。
それは、一つの箱だった。
手に取ると小物入れとしては少し多く目に感じられたが、それ以上に違和感があったのは、その重さだった。
――重たい――
持って最初に感じた。
明らかに中に何かが入っていることは分かりきっているかのような重さだったが、いったい何が入っているのか、麗美には見当がつかなかった。
すぐに開けてみるのを躊躇していたが、開ける前に少し振ってみたりした。すると、
「カタンコトン」
という音がする。
何かが入っているのは間違いないが、その音が幾重にも重なって聞こえてきたのはどうしたことなのか、麗美には理解できなかった。
――開けていいのかしら?
ひょっとして、解放厳禁の箱だったりしないだろうか?
「パンドラの匣」
という言葉があるが、決して開けてはいけない箱って、本当に存在するのかも知れない。
日本にも玉手箱なる箱が存在する。おとぎ話の中でしか存在しない架空の存在ではあるが、外国の発想であるパンドラの匣と日本独自のおとぎ話に出てくる玉手箱と、それぞれに開けてはいけないものとしての代表例である。
パンドラの匣はまさしく禁断の箱であり、開けてしまうと何が起こるか分からないことを示していた。話の中でパンドラの匣というものがどれほど実在したものなのか定かではないが、たとえ話としてのパンドラの匣の存在は絶対のものであった。
それに比べて玉手箱は、そのお話の中で開けてしまうとどうなるのかということは分かるようになっている。
ただ、開けてしまったことが終焉への序曲になるのだが、開けた瞬間が物語の終わりではない。パンドラの匣の場合は、禁断の箱として君臨しているのだから、その存在が明らかになり、本当に開けてしまったとすれば、お話は必ずそこで完結する。ひょっとすると世界が滅んでしまうものが入っているのかも知れないが、最終であるということの代名詞がパンドラの匣であるとするならば、明らかに玉手箱とは種類の違うものである。
麗美は、最初は開けることを躊躇したが、じっと眺めていると、開けたいという衝動が激しくなってくるのを感じた。開けないことの方が今の自分にロクなことを及ぼさない気がしたからか、麗美の中で箱を開ける覚悟がどんどんできあがっていった。
その間は、本当に一瞬だったのかも知れない。だが、麗美にとってはかなりの時間が経ったように思えた。それは、自分だけが普通に過ごしていて、まわりの時間が凍り付いてしまったような錯覚である。
止まって見えるかも知れないことでも、実際には微妙に動いている。もしピストルの弾が発射されていれば、玉の弾道が肉眼で確認できるかも知れないと思うほどの凍り付いた世界である。
他の人は、時間が遅くなったという感覚はないので、麗美だけがあっという間に時間を飛び越えているという感覚だ。ちょっと動いただけでも他の人からは見えない。つまりは、まったく動いていない麗美しか、他の人には確認できていない。
そうなると、麗美の姿が他の人には部分部分しか見えないのかも知れない。しかも、それも一瞬のことで、見えたと思うとすぐに消えてしまう。
ただ、こんなことは現実では不可能なことだと中学生になった麗美は分かっていた。小さかった頃には分からなかったが、今考えてみると、あの時に感じた疑問は、今ほとんど解決できるような気がしていた。
――まわりに見えないほど、瞬時に行動しているのであれば、身体がその時間の早さに対応できるのだろうか?
と感じたからだ。
人間は、ジェットコースターなどの絶叫マシーンですら、恐怖を覚えるのだ。さらにバンジージャンプのような自然落下でも、かなりの神経を消耗することになる。そう思うと、人に見えないほどのスピードで動くなど、身体が耐えられるはずもないと思っている。
そういう意味で行くと、時間を飛び超えるタイムマシンというのも、マシンの中では現実世界と同じ空気が流れていないと不可能だろう。
麗美は、最近学校で習った、
「慣性の法則」
というものを思い出した。
慣性の法則にもいろいろなパターンがあるが、麗美が一番気になったのは、電車の中と外から見ている電車の中の関係だった。
「電車の中でジャンプしたら、どこに降り立つと思う?」
と、授業中に先生に尋ねられ、最初は誰もが、
――先生は何を言っているんだろう?
と感じたに違いない。
「列車は走行しているんだから、普通に考えれば、ジャンプしての着地は地球上の同じ位置に戻ってこなければいけないはずだろう? だけど電車の中などでジャンプすれば、電車の中の空間の同じ場所に戻ってくる。これが慣性の法則なんだ」
と教えてくれた。
「確かにそうですね、列車が侵攻しているんだから、電車の中の後ろの方に着地するのが普通に考えれば当然のことですよね」