夢先継承
どんなに眩しくても、ブラインドを下ろすことはない。ブラインドを下ろすことで車窓を遮断することの方が恐ろしい。さらに、ブラインドから透けて見える影のようになって蠢いている光景は、麗美にとって気持ち悪さしか与えられない。まわりの人が誰も嫌な気分にならないことを、
――どうして皆何も感じないのかしら?
と考えていた。
麗美は自分が閉所恐怖症だからではないかと思うようになっていたが、それも最近になってからのことで、しかも、その閉所恐怖症が悪いことだとは思っていない。
――恐怖症という言葉があるくらいなのだから、皆が皆、感じていることではないのだろうが、逆にそんな言葉があるということは、その人たちの存在が他の人から見れば異様ではあるのだろうが、存在感があるということの裏返しなのではないか――
と思うようになっていた。
そういう意味で、閉所恐怖症という言葉に恐怖は感じるが、自分がその閉所恐怖症であっても、それは大した問題ではないと思うようになっていた。
この車両の日が当たる方向のブラインドは、ほとんどが下されていた。誰もいない席のブラインドすら降りているので、これほど気持ち悪いと思う空間はなかった。
――さっさと通り抜けないと――
と感じたが、すぐに自分の席に戻ろうという気にもならなかった。
――このまま戻ったら、何しにここに来たのか分からない――
と思ったからだ。
何の意味もないことをしたという意識を持ちたくないという思いが麗美にはあり、それが普段の意思決定に大いに影響しているということを無意識になら分かっているが、ハッキリと意識したことはなかった。
列車の揺れは心地よさを運んできたはずだったが、歩いていると揺れは普通に襲ってくるものだった。そう思うとさっきまで感じていた籠ったようなモーター音も、普通の音に聞こえてきて、頭の中で普段の通学電車の喧騒とした雰囲気が思い出された。
麗美が普段の通学の中で一番嫌だと思っている音は、ヘッドホンから漏れてくる音楽だった。
「ツンツクツンツク」
聞いている人はそのリズムを謳歌しているのだろうが、漏れてくる音を聞かされる方はたまったものではない。不快感があらわになると言っても過言ではない。
自分の世界に入り込むことは麗美にとっては大切なことだと思っている。
誰にでも公平に与えられているのは、数限られているだろうが、その中で絶対的で普遍的なものは、時間ではないかと思っている。その時間をどう感じるかというのはその人の感覚なのだろうが、流れている時間は一つしかない。これ以上の平等などあるだろうか?
麗美はこの車両にも同じ時間が流れているはずなのに、どうも普段の生活の時間との隔たりを感じる。
――まったくの錯覚だと分かりきっていることなのに、どうしてそんな風に思うのか?
いろいろと考えてみたが、自分ではありえないことがその空間にはあると思っていた。たとえばすべて下ろされたブラインドなど、自分が作り出す空間にはありえないことだ。
麗美の感覚が他の人と違っているのか、それとも他の人が麗美の感覚と違っているのか、順番を変えただけだが、そのニュアンスはまったく違っていた。
前者はまるで麗美が外れているかのように聞こえるが、後者は麗美が中心で、他の人が外れているという感覚だ。
集団生活をしていると、後者の考え方は、
「危険だ」
と言われるだろう。
特にちょうどその頃、ニュースなどで世間を騒がせていた事件の中で増えていたのが、
「新興宗教による犯罪」
だったからだ。
宗教団体の教祖は、その力を信者に信じさせ、集団催眠をかけて、意のままにあやつっているというようなニュースだった。
しかもその宗教団体は、自分たちの布教活動を公開していた。白装束の信者が数人出てきて、
「教祖様が私たちをお導きくださる」
と、それぞれに表現は違うが、内容はこのような言葉で言い表せるだろう。
言葉は違っても、
「また同じことしか言わない。ウンザリだわ」
と思わせた。
だが、これは彼らの狙いでもあった。
同じことを何度も何度も言い聞かされて、最初は胡散臭いと思っていても、そのうちに信じ込むように持っていかされる。それが信者の表現に現れている。
しかも、彼らが教祖のことを慕っている姿がマスコミによって公開されると、胡散臭いと思いながらも、興味を持ってしまう人もいる。
そんな人の中には興味を持ってしまうと、行動に移さなければ我慢できない人もいるだろう。そうやって信者が地味ではあるが少しずつ増えていく。
地味だからこそ、世間は少しずつにでも増えている信者に気付かない。
気が付いた時には、すでに遅く、自分のまわりの数人が信者になっていることもあり得なくもない。特にこの宗教を胡散臭いと思い、
「自分だけは、こんな連中に洗脳されるわけはない」
と思っている人ほど、彼らに対して一方方向からしか見ていないことに気付かず、まわりがどうなっているかなど考える余裕もなく、手遅れになってしまうのだ。
麗美はそこまでのからくりを知る由もなかったが、たまに自分が中心の世の中を勝手に妄想していることに気付いていた。
それは起きてから見ている夢のようで、まさに妄想という言葉でしか言い表せないものであろう。
「ああ、嫌だ嫌だ」
せっかくの旅行なのに、どうしてこんな思いに至らなければいけないのか、我に返った麗美は自分が今まで考えていたことを、全否定したくなっていた。
異様な雰囲気の車両を通り過ぎて、隣の車両に移ったが、ここでも感じることは同じだった。
――やはり戻った方がいいんだわ――
と感じ、自分の車両に戻ってきた。
すると、さっきまで感じていた自分の車両の雰囲気と違っていることに気がついた。
――何が違うのかしら?
その違いに気付かなかったが、目の前で眠っている友達の気持ちよさそうな顔に救われたような気がしていた。
――どんな夢を見ているのかしら?
眠っている姿を見ていると、少しずつ表情が変わってくるのを感じた。
いや、表情が変わってくるわけではなく、一瞬違う表情になって、すぐに元に戻っている。それを最初に見た時、
――少しずつ表情が変わってきている――
と感じたのだった。
麗美は、友達の睡眠を邪魔することなく、元の窓際の席に戻った。そして何事もなかったかのように、そのまま眠りに就いていた。
「麗美さん、到着したわよ」
「えっ?」
気が付けば、本当に眠ってしまっていたのか、麗美は友達に身体を揺らすように起こされていた。
身体を揺らさないと起きれないほどに熟睡していたことにビックリした麗美だったが、その時の目覚めは、決して心地よいものではなかった。
頭は重たく、身体にも痺れが感じられた。さらには若干ではあるが、身体に汗を掻いていて、どこか気持ち悪さを醸し出していた。
「私、眠ってしまっていたのね?」
と友達に聞くと、
「ええ、それはそれは熟睡していたわ。起こすのが悪いくらいに感じられて、でも駅に着いたんだから起こさないわけにはいかないでしょう?」
と当たり前のことをいう友達に、
「ええ」
と一言答えた。