夢先継承
麗美はいつも相手のつもりになって考えることが癖になっていた。時々空気を読めずに余計なことを口にしてしまうのは、相手のつもりになって考えることに対しての弊害のようなものだと思うようになっていた。
「晴美はアイドルになりたいから、ダンスを習っていたんじゃないの?」
「ええ、そうよ。でもね、そのせいであんな男が義理の父親になるという原因を作ったのは私がダンスを習いたいと思ったからなのよね。だから私はダンスを辞めた。アイドルになるという夢も、捨てたくなかったけど、私は捨てることにしたの」
晴美は怒っているようだった。
無理もないことである。あれだけアイドルになりたいとまわりに豪語して、その気になっていたのに、たった一人のロクでもない男の出現が、晴美の生活に多大な影響を与え、子供心に抱いた夢を、無残にも打ち砕く結果になってしまうとは、話を聞いているだけで腹が立ってくるというものだ。
確かに子供の頃に抱いた夢をずっと持ち続けるというのは難しいことだろう。麗美がそのことを実感したのは、もっと大人になって高校生になった頃のことだった。
その頃になると、
「彼氏がほしい」
と、まわりの女の子と同じような発想を抱いていて、それが思春期であるせいだということも当然分かっていた。
好きになった男の子もいて、
「お付き合いしてください」
と、自分kら告白して付き合い出したことがあった。
彼もまだ誰とも付き合ったことのない男の子で、麗美は彼を見ていて、彼が誰とも付き合っていなくて、過去に付き合ったことがないということも分かっていた。
その頃の麗美は、一緒にいるだけで、相手のことが分かるような気持ちになることが多かった。
子供の頃から同じような感覚はあったが、結構的中していた。
的中しないまでも、間違っているとは言えないほどの感覚が、麗美の中にあったのだ。
「ああ、いいよ」
彼は、そう言って、快く承諾してくれた。
それから二人の交際が始まったのだが、いざ付き合い始めるということになると、お互いに気を遣ってしまい、気まずい雰囲気になることもしばしばだった。
しかも、彼は猜疑心が強いところがあって、麗美が他の男子と話をしているのを見ただけで、露骨に嫌な顔をするようになった。
最初は、
「二人の関係は、まわりに知られないようにしましょうね」
という麗美の言葉に、
「いいよ」
と、二つ返事で答えていた彼だったが、そのうちに、
「まわりにも知っておいてもらった方がいいんじゃないか?」
と言い出すようになった彼を見て、
「どうしてなの?」
と聞いてみると、
「俺は君を独占しておきたいんだ。二人が付き合っているということを公表しておけば、君に近づいてくる男子はいなくなるんじゃないかと思ってね」
その言葉を聞いて、
「そうね」
と答えたが、これも曖昧な回答だった。
相手に対して曖昧な相槌を打つ時の麗美は、心の奥に反発心が芽生えかけている時であった。その意識はありありで、本当は、
――あなたに私のこの苛立ちを分かってほしいの――
と言いたかった。
いや、分かってほしいのではなく、思い知らせてやりたいという気持ちの方が強いだろう。曖昧の言葉の奥に、怒りを押し殺しているだけに、相手は麗美がそんな感情を持っているなど認めたくないという思いから、理解しようとはしないのではないだろうか。
麗美はその頃になって、やっとあの時の晴美の気持ちが分かってきたように思えた。
あれから晴美は引っ越していったので、晴美があれからどうなったのか分からないが、中学生になるまでは、晴美のことを忘れたことはなかった。
麗美の中に、誰か意識している人がいることを、留美は理解していた。理解はしていたが、それを確かめようとは思わなかった。
確かめたとしても、
「だから?」
と言われてしまうと、会話も続かないし、
――その場に置き去りにされてしまった自分を自覚するだけで、自分にとってロクなことはない――
と、留美は感じたことだろう。
ただ、中学生になって麗美は急にアイドルになりたいという気持ちが芽生えた。
何かれっきとしたきっかけがあったわけではない。ただ、一途にアイドルになりたいと思うと、その気持ちに引っ張られる形で、ずっと以前から思っていたことのように思えてきて、いてもたってもいられなくなるのだ。
――そういえば、晴美がアイドルになりたいと言っていたわね――
と、いまさらながらに思い出した。
いまさらながらに思い出すほど、彼女のアイドルへの憧れが薄かったとは思えない。
むしろ、その気持ちの強さを一番知っていたのが、麗美だったのではないかと思うようになっていた。
それでも麗美が思い出さなかった理由の一番大きなものは、
――彼女の記憶が、かなり昔の記憶に思えてならない――
と感じたからだ。
それだけ遠い存在だったと思っているが、実際には一番近かったように思う。
――近いと思っている中で、その中での一番遠い関係――
それが、架空の感覚を作り出し、その感覚の中に記憶と意識を曖昧にする効果があるのではないか。
つまり曖昧というのを、
――正副、相反するものが互いに打ち消しあう感覚に似ている――
と定義づけていたのだ。
中学生になってから、麗美は留美の病気を意識しないようになっていた。麗美と仲良くなってから四年くらい経ったが、最初の頃に教えられた、
「留美は、重い病気に罹っている」
という話を忘れかけていたのだ。
頭の中には留美が病気だということを意識しているかも知れないが、あまりにも他の人と変わりない態度を取っている留美を見ていると、
――本当に病気なのかしら?
と思えてきた時期があったのを思い出していた。
小学校五年生くらいまでは、留美はいつ死んでもおかしくないとまで思っていたのだが、実際に彼女と一緒にいる時間が一番長いのが自分であると感じる時期が何年も続いていると、少しでも普段と違うと、かなり違っているように思えていた。肉親や彼女の世話をしているヘルパーさん、そしていつも影のように寄り添っている執事以外では、明らかに麗美が留美と一緒にいる時間が長かったのだ。
それでも、留美のことはあの執事よりも自分の方がよく分かっていると思うようになったのは、執事の表情にまったくのブレが感じられないからだった。
――いったい何を考えているんだろう?
と思うと、感情を表に出す自分の方が、本当の留美を分かっているのではないかと思うようになっていた。
小学生の頃までは、どうしても留美に気を遣っていたこともあって、自分が目立ちたいなどとなるべく思わないようにしていた。ただ、その反動か、余計なことを口にしてしまい、他の人に白い目で見られることがあったのは、しょうがないことだと、中学生になってから感じていた。
そんな麗美だったが、留美ばかりを見ていることに正直疲れてきていることに次第に気付くようになっていた。
そう思うと、彼女の病気が進展していないことを不思議に感じるようになり、
――本当に病気なの?
と思ってしまったが、そのことを誰に確認するわけにもいかない。