短編集61(過去作品)
情景が浮かんでくるのである。しかもブームが起こってテレビドラマ化されたことで、イメージも湧いてくる。しかし、テレビ化された内容は、本を読んで感じたものよりもはるかに面白くなかった。ビジュアル化されると、面白みが半減するというものである。
ただ、その作家のミステリーには、歴史がいつも絡んでいた。史実を元に発想を展開させ、フィクションなのに、どこかリアルな感じを抱かせてくれる。
江角は小説が好きだった。ノンフィクションやエッセイはあまり好きではなかったが、歴史が絡む話になると、面白く感じた。
だが、今では少し違ってきている。小説は完全にフィクションでないと面白くないし、歴史だけは史実に基づいたものでないと我慢できない。
江角の好きな時代は、まちまちであった。誰もが好きだと思う戦国時代や、幕末にも造詣が深いが、明治時代から戦争への時代も好きである。学生時代に興味を持ったのは源平の合戦で、古典の時間に先生が独自の教科書として、平家物語を使った授業をしていた。
古典の教科書は、いろいろな古典作品の中から抜粋して、いろいろな時代の文学に触れるもので、それはそれで悪くないのだが、一つの物語を集中して勉強するのも実に楽しいものだった。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり……」
それを琵琶法師が語っていたというのも神秘的である。怪談めいた話の一つ二つ、当然のごとく沸き起こってくるものである。
琵琶の音、実に悲しげな旋律を奏でている。琵琶の音色の後ろから、武者たちの血気盛んな声が聞こえてきて、それがさらなる悲壮感を漂わせる。背筋に冷ややかな汗が滲んだことが何度となくあった。
平家物語といえば、威勢のいい武者の集まりである。威勢がいいだけに漂う悲壮感は、琵琶の旋律に合うのだが、同じ時代をまったく違う視線で生きている人物もいる。
名前を源頼朝といい、武家社会で初めて武家による社会を前面に押し出した人物として有名である。武家の政権の代名詞でもある「幕府」の創始者であり、封建制度と呼ばれる土地を媒体にした主従関係の確立をした功績もある。
時代の主人公でありながら、物語にはさほど登場することもなく、いつも冷静沈着で、足場を固めることに神経を遣う男。彼にとっての時代は、自分を必要とされていると十分に分かってからの行動のように思えてならない。
父親を平清盛との戦いで失い、兄弟もろとも処刑される運命にあったものを女の情けで助けられ、いまや助けた相手に反旗を翻している。そのことに対していかに感じていたことか。
以後の歴史においても、敗者の家系は根絶やしにするという暗黙の了解のようなものが痛切となるが、それは清盛と頼朝の間のいきさつから起こったことであることは、あまりにも有名である。
――頼朝にとっての社会とは何だったのだろう――
支配する力を得ながら、絶えずまわりとのジレンマに押しつぶされそうになっているというイメージを江角は持っていた。だが、歴史番組や本では、得てして頼朝という人物は、平家討伐の一番の功労者である弟の義経に嫉妬して、迫害をするというとんでもない兄だとも言われている。
だが、果たしてそうだろうか?
公家寄りになってしまったことで、弱体化してしまった平家を見て、さらにうちわに取り込もうとする天皇家による暴力が渦巻く中で、勝手に位や褒美を受けてしまう弟に、兄としてというよりも「武士の長」としての立場が、どうしても弟の勝手な振る舞いを許せなかったのではないだろうか・少なくとも江角はそう感じていた。
K村というところは、そんな源頼朝像が昔から伝わっているということで、それに対しての取材だったのだ。
K村は落ち武者伝説があるS村とは山一つ隔てたところにある。
S村はすでに町になっているが、山一つ隔てただけで、かなり文化違うということで、いまだに村のままである。
K村出身者が都会に出てくるということもなく、閉鎖された村の情報はまったく入ってこない。そのうちに誰も気にしなくなり、完全に孤立した村になっていた。
実際に誰も村から出てくることもなく、村を訪れる人もいないとなると、どんな風俗習慣になっているかはまったくの未知数である。取材に値するかどうかも分からず、そんな事情もあって、出版社がフリーの江角に依頼したのだろう。
江角は分かっていた。フリーというのは下請けのようなものである。交通費をもらえるだけ紳士的だった。
K村はS町の山一つ向こうということだが、だからといって山奥というわけではない。S町自体が海に面しているので、K村も山一つ超えさえすれば、海に出ることができる。
海岸線を走るローカル列車に乗り込み、S町に隣接した駅で降りる。そこからバスがあるわけでもないので、タクシーになってしまうが、
「K村までやってほしいんだが」
タクシーに乗り込んで行き先を告げると、運転手が一瞬怪訝な表情になった。
「お客さん、K村へ行かれるんですか?」
と言って、わざわざ後ろを振り返り、興味津々の表情になっていた。しかし、カメラを持っていたりして出で立ちから取材に行くことは分かるはずなので、すぐに前を向き直って、車を走らせた。
「お客さん、そこにうちの電話番号が書いてますので、それをお持ちください。電話していただければ、伺いますからね」
親切な運転手だった。
江角が黙っていると、少しにやけた表情になり、ミラーでこちらを見つめている。少し気持ち悪いくらいである。
田舎というところは、すぐに都会から来た人に興味を持つ。閉鎖的な面を持っているくせに、興味を持つので、
――田舎の人は皆純朴なんだ――
と思っていると、ひどい目に遭ってしまう。
今までにもいくつか田舎で取材をしたことはあった。風俗習慣を調べるということで、村に行って、そこで仲良くなった人のところにしばらく滞在するというものである。
タクシーの運転手が会社の電話番号をくれた理由も分かっている。田舎の村に宿などあるはずもなく、仲良くなる人がいなければ、また戻ってこなくてはならないからである。
今までにも仲良くなれる人がすぐに見つからなくて戻ってきたこともあった。これが田舎の村を取材する時に一番最初に感じる不安要素だった。
今まで取材した田舎では、大体想像していたような取材が行えた。中には都会からの人ということで露骨に警戒された村もあったが、それでも一人で地道に取材を続けていると、それなりの原稿にはなるものだ。
たまに原稿を捏造することもあった。村人の話を聞けたわけでもないのに、さも村人から聞いてきたような話を載せたのだ。
――自分が取材を受ければ、こう答えるだろうな――
という思いを込めてである。
それでも見る人が見れば、
「これ、お前じゃないのか? どうも客観的にしか見えないぞ」
と言われかねない。
だが、そこまで言う人はいなかった。真剣に原稿を読んでいなかったのか、それとも、田舎で取材しているうちに、田舎での生活が身についてしまって、自然に田舎の人になったような原稿を書いていたのかも知れない。後者の方が後から考えてもしっくりくるように感じるのは、贔屓目に見てしまっているからだろうか。
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次