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短編集61(過去作品)

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 今までに取材した田舎のことを思い出しているうちに、気がつけばK村に着いていた。
「着きましたよ。気をつけていってらしてくださいね」
「ご親切にありがとうございます」
 頭を下げながら、視線だけを相手の顔に向けると、少しにやけた表情をしているのが気になってしまった。普段であれば、頭を下げた相手を見上げてみたりすることもないのに、気になるところがあったからに違いない。
 K村に着いたのは、昼を少し回った時間だった。食事は、電車の中で弁当を食べたので、お腹は満足していた。村に着くと、暑くもなく寒くもない。心地よい風が吹き抜けている。
 日差しは適度に暖かく、お腹が満たされていることもあって、睡魔が襲ってきそうなのを必死に堪えていた。こんな時ほど、日差しが眩しく感じられるのかも知れない。
 最初に感じた日差しよりも気になったのが、足元から伸びている影だった。
 昼過ぎの日が一番高い位置にいるはずの時間帯なのに、足元から伸びている影は、かなり細長く見えている。しかも完全に黒くなっていて、くっきりとしているのだ。
――まるで影に見つめられているようだ――
 と思えるような気持ち悪いもので、いやが上にも足元を意識しないわけにはいかなかった。
――おや――
 影を見つめていると、少し自分の動きよりも遅いのを感じた。だが、この感覚は今までにもなかったものではない。
――いつのことだったのだろう――
 田舎に来て、初めて降り立った場所でゆっくりと思い出すのも乙なものだった。これがこの村での最初の自分なりのコンタクトになるからだ。
 あれは、まだ小さい頃だった。
 学校から帰ってきて、友達と近くの公園で遊んでいた。夏の時期だったので、日が沈むのが遅く、結構な時間遊ぶことができる。
 子供というのは疲れ知らずと言われるが、それだけ集中しているのだろう。加減を知らないとも言えるのだが、遊び始めると、時間の感覚が麻痺してしまう。
 時間の感覚が麻痺してくると、自分の世界に入り込む。遊びながら相手を気にしているつもりでも、時間は自分だけのものだった。
 ろうそくの火も、燃え尽きる前が一番激しく燃えるという話を、その頃に知っていたのかどうか思い出せないが、夕日も沈む前が一番意識してしまい、色も鮮やかに感じられた。
 夕焼けも何度か見たことがあるが、鮮やか色ではあるが、完全な原色ではない。オレンジ色だと意識してしまうと、さらに赤い色を感じ、赤だと感じてしまうと、さらに黄色っぽさが浮き出てくる。明るさを知っている色が制御できないのかも知れない。
 夕焼けが肌に痛いものだということを子供心に感じていた。
――汗が光って見える――
 と感じてから、汗を掻いている腕に夕日が当たって痛く感じている。
 汗を掻くと、当たった日差しが汗を蒸発させてくれようとするのだろうが、如何せん、日差しが強いわりには、気温がそれに伴わない。却って肌寒さを感じるほどだ。そのアンバランスが、腕に痛みを与えるのかも知れない。あくまでも子供の頃に感じた他愛もない妄想である。
 だが、妄想ではあったが、今から考えると、当たらずとも遠からじで、なかなか的を得た考えだったように思う。文章を書く仕事に身を置くようになったのも、その時の自分の感性が生きているのではないかと感じているほどだ。
 その時に、足元から伸びる影を見た。歪な形の影だったが、よく見ると、日差しが当たっている部分との切れ目が思ったよりもハッキリしている。
――それにしても、何と長い影なんだろう――
 西日なので、当然角度がある。それだけ長いのは分かっているが、影とはいえ、自分がこれほど大きいものなのかと感動したほどだった。
 遊び終わって帰る時、影を見ながら歩いていると、ビルの壁に自分の影が角度を変えて写っているのが見える。
 それがどうかすると自分の身長と同じくらいの長さになることもあるくらいで、理屈から考えればありえないことなのだが、なぜか納得してしまう自分がいる。
 影を見つめていると、何かを語りかけてくるようにさえ思えた。一瞬立ち止まって嗅げと正対することもあったくらいだ。
 しかし、すぐに歩き始めると、そこから先は、影の動きが鈍くなっているように感じられた。
――この影、生きてるんじゃないか――
 と、子供心にバカバカしいと思いながらも恐怖感は否めない。こちらの動きを見ながら、相手の真似を必死にしているように思える。
 見つめている影が自分ではないという考えがどれほど恐ろしいものか、その時は実感として湧かなかった。
 ではいつ湧いてくるようになったのか?
 それがライターという職についてからであり、その経験があるから、ライターとしての発想が豊かになったのか、それとも元々発想が豊かでライターになったことで、以前の感覚を思い出して理論付けられるようになったのかは、定かではない。本人としては、前者だと思っている。
 影への思い入れを想像していると、いつも頭痛がしてくる。見つめている意識があるからだった。
 長い影に見つめられながら歩いていると、なかなか前を見て歩くのが難しい。どうしても歩くスピードがゆっくりになってしまって、思うように歩けない。
 それでも何とか歩いていると、前から一人の女性が歩いてくるのが見えた。田舎というと、年寄りばかりをイメージしていたので、何とも意外な気がしたが、目の前にいる女性は、女の子といってもいいほど幼さの残った雰囲気だった。
 化粧が施されているわけでもなく、服装もピンクのワンピースと、実に質素な雰囲気だ。まったく想像もしていなかった雰囲気でないことだけが、彼女を後ろの風景の中で浮き上がらせることのないものだった。
 表情はどことなくキョトンとしていて、江角を見つめる目は少し大きく見えた。
――あまり目がよくないのかな――
 と感じたほどで、
「こんにちは」
 と声を掛けると、
「こんにちは」
 と返してくれる。
 その時にやっと笑顔が溢れたが、その表情も都会の女の子からは信じられないほど満面な笑みである。
――もう少し警戒心があってもいいのに――
 もし、自分でなければひどい目に遭ってしまうぞとばかりに、彼女を見ていると、少なくとも自分だけは紳士的な男であることを訴えたかった。
 しかし、実際の江角はそれほど聖人君子ではない。それどころか、取材旅行ともなれば、お金が許す範囲で、旅先の風俗に手を出したりしたものだ。
 だが、江角は悪びれた気持ちはない。
 その街それぞれにいろいろな風俗習慣があるが、温泉地などでは「裏風俗」なるものが存在したりする。宿で温泉に入って食事をした後に、女の子のサービスというのも実際に存在したりする。
 彼女たちがどうしてそういうことになったのか、詳しく聞くわけにはいかないが、
「旅の恥は掻き捨て」
 という言葉もあるではないか、別に恥ではないのだろうが、それだけ精神的に開放感を味わえるというものだ。サラリーマンなどは、いつもまわりに気を遣って生活しているので、たまには気を遣ってもらう生活に憧れる。
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次