短編集61(過去作品)
怖いものなどないと思っていた自分だったが、どうしても抜けないものだけは恐ろしい。それからは、何が怖くて怖くないものなのかが分かってくるようになっていった。
それだけ大人の感覚に近づいてきたのかも知れない。決していいことだとは思わなかった。大人だからといって、子供よりも優れているという考えは子供の頃からなかった。案外冷めた考えを持った子供だった。
それだけに冷静な目で見れたのかも知れない。
子供同士で考えていても発想は決して進展しない。子供こそ柔軟な頭脳を持っているくせに、その活用法を知らない。如何せん、それだけ智恵と経験に掛けるのだ。
大人が優れていると思うのは知恵と経験である。だが、羨ましいとは思わなかった。焦ってみても仕方がない。確かに智恵や経験のない人間が、ある人間にはかなわないとは思うが、冷静であることが自分の信条だと思っているので、それほど問題にもしなかった。
山崎も薬の研究をしていた。それはエネルギーを凝縮したような薬である。考えているのは惚れ薬であった。
一見、子供の発想のようだが、人間関係で、しかも個人の中にある欲望の中でも性欲に繋がるエネルギーとして人を愛することに目をつけた。何といっても種の保存に関わる問題である。
歴史も種の保存なくして存在しえるものではない。太古の昔から神秘であって、暗黙の了解で隠すところは隠すという感覚が、どんなに文化が違えども、共通に持たれていることは大いなる神秘ではないだろうか。
人を好きになる感覚は、成長とともに自然と芽生えてくる一種の本能だと山崎は思っている。
本能というものに思い入れを持っている山崎は、小さい頃から本能を意識していた。
――他の人と同じでは面白くない――
と常々考えていたが、これも本能の成せる業ではないだろうか。人が集まるところには敢えて行くことをせす、一人で何かを考えることが多かった。
絶えず何かを考えていた。そんな時は人のことが多かったのは皮肉なものだ。人が自分のことをどう感じているかばかりを考えていた。そんな小学生時代だった。
一人でいることが多いくせに気になるのは他人からの目だった、その理由は小学生の頭では理解できなかった。
小学生だったからではない。まだ成長過程が理解できるまで行っていなかったからだ。理解できるようになるのと、異性に興味を持つのと、どちらが最初だっただろうか。今から考えると分からない。異性を意識するようになっても相変わらず何かを考えていることには変わりなかったが、内容が変わってきた。それまでは、漠然とした幻想を追いかけていたが、異性に興味を持ち始めると、範囲が狭まってきて、あくまでも自分を中心に考えるようになった。
人を好きになることが素晴らしいという思いを実際に持ったのは、異性を意識し始めてすぐではなかった。
最初は、まわりを意識していた。まわりを意識し始めることで異性への興味が湧いてきたと言ってもいい。確かに成長過程の中で自分の中にある感受性への角度が変わることもあるだろう。それは分かっていたつもりでいるが、それは後から考えてから感じたこと。実際には、分かってなどいなかったに違いない。
彼女のいる人といない人では明らかに表情が違っている。彼女のできた連中の表情を見ていると、まるで未来の自分を見ているような錯覚に陥った。実に楽しそうな表情は自分を求めているものと同じだと感じさせられる。
余裕のある表情に思えた。成長期の急激な変化の中で、余裕を持つということは精神的な安定感を与える。余裕を持った表情をまわりが見て、どう思うかを考えるようになっていた。
――自分もそんな表情をしてみたい――
そして、余裕のある表情をまわりに見せることで優越感を感じたい。それが、異性に興味を持った最初だった。
なぜそこまでハッキリと意識できたのだろう。異性に興味を持つ原因にしては、邪道なのかも知れない。だが、これも本能の成せる業、他の人と同じ感覚では嫌だと思っている山崎ならではと言えるのではないだろうか。
人間、時間や精神的に余裕ができると、欲が深まってくるものである。絶えず何かを求めている成長期に、時間的な余裕はあったりする。確かに受験などで余裕のない時間もあったが、余裕がないなら、スッパリと受験に集中することができたのも、他人と同じでは嫌だという気持ちが強かったからだろう。
競争心が湧いてくる。人と競争して少しでも上に行くことを望んでいた。中学時代はまわりを意識しながらの自分との戦いだったのかも知れない。
だが、そんな中学時代が山崎にとって一番記憶が欠如している時期だった。
何を考え、本当に何をしたかったのかということをハッキリと思い出すことができない。成長期で急激な変化が精神的にも肉体的にも訪れた時期だっただけに、ピンポイントの記憶が希薄になっているのかも知れない。
それでも、たまにクラスメイトと話をすると気持ちは従順になっていた。相手の言葉をすぐに信じてしまうくせがあり、あまり人と一緒にいたくないと思ったのも、気持ちと行動が伴わない自分に戸惑っていたからだ。
そんな中で、一人ですることを教えられた。
「ストレスが溜まった時は抜かないとな」
しかも授業中に、後ろの席からヒソヒソと語りかけてくる。
耳元に当たる息は心地よくもあり、授業中というシチュエーションが興奮を煽ってくる。普通に聞いていれば大したこともない話でも、耳元で囁かれれば、宙に浮いたような心地になって、新鮮な気分にさせられる。
――新鮮な気分――
求めているものがそこにあった。
一人ですることの恥ずかしさを感じてはいるが、所詮、一人を望んでいる山崎には誰にも言えない密かな楽しみが似合っていた。
暗い部屋が自分を呼んでいる。朝目が覚めた時間、寝る前と違う感覚がある。同じように暗くして寝たはずの部屋なのに、どこかが違っている。
寝る時は暗さを徐々に感じていたが、起きてからは明るさを感じるようになっていた。カーテンから漏れてくる明るさ、斜光カーテンなのだが、明るさはどこからともなく漏れてきているようだった。
中途半端な明るさは、部屋の中に湿気を感じさせる。
かなり汗を掻いていることもある。そんな時は、寝ている間に夢を見ていたはずだ。夢の内容は覚えていないが、その頃に見た夢は、言葉に出せないような妄想であったはずである。
――言葉にできないような妄想だからこそ、覚えていないのかな――
夢で覚えていないことはたくさんある。
恥ずかしい内容でなくても覚えていないものだ。だが、同じ覚えていないにしても忘れようと思っていないのに覚えていないのは、きっと夢の世界は現実とまったく違う次元だからに違いない。起きている時と寝ている時でまったく同じ時間でありえないと思っていることも次元の違いだと思えば、同じ時間に見ていると考えられないこともない。どうしても研究者としてはそういう発想は大切なのだと、研究所に入るようになって感じるようになった。
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次