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短編集61(過去作品)

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 という考え方があるが、まさしく定岡はその考えに等しかった。そのせいで、夢で見たものには必ず因果関係があるのではないかという考えを持っている。
 定岡の友達の中には、前世を信じているやつもいて、彼からいつも夢と前世の因果関係について聞かされていた。
「夢で見るものは、必ず潜在意識があって、その潜在意識は現世だけではなく、前世にも影響しているんだ。ひょっとして後世にまで影響しているのかも知れないぞ」
 と話していたが、さすがに後世までは信じられなかった。
――今があってこそ未来がある――
 という考えなので、現在がすべて運命で決まっているものだとはどうしても考えられなかった。そのため、未来も進んでみないことには分からないという考えである。
「タイムマシンを作るなんて、絶対に不可能なんだ」
 と言ってる友達がいたが、その意見には定岡も賛成である。
「過去がダメなのか、未来がダメなのか?」
 と聞かれて、
「まず過去がダメだろう。過去に行ってもし、自分の未来に影響のあることをしてしまったら、自分の未来が変わってしまって、過去に行くことができない。まるで堂々巡りのような解釈だね」
 というと、
「そう、その通りなんだ。もし過去にいけるとすれば、今現在の人の中に未来から来た人の存在があるはずなんだ。それがないということは、未来永劫、過去に行くことが不可能であることを示している。未来だって、同じさ。そもそも見えなかったり分からなかったりするものに触れようなんてことは、自然界の倫理に反しているんじゃないのかな?」
 まさしくその通りである。
 過去や未来の話をしながら歴史を頭で考えていると、歴史も立体感を帯びて考えられるようになる。どちらかというとロマンチストではないと思っていた定岡が自分にもロマンチックなところがあると思ったのは、過去に思いを馳せている時であった。
 絵を描く時の被写体は、ほとんどが動かないものである。しかし長時間にわたって見続けていると、動くはずのないものが、動いて見えることがある。
 場所が少しずつ移動していたり、まわりが変化していたりと、一定していないのを感じる。
――日の当たり方で違うんだろうな――
 影のつけ方にも工夫が必要だ。特に定岡の場合は、最初に時間を掛けて全体を見渡してから絵を描くようにしている。
「俺だけじゃないんだろうけどな」
 と独り言を言いながら見つめていることが多かった。
 二人が知り合ってそろそろ十年が経とうとしていた。その間に定岡は美沙と結婚し、生活が変わったが、二人の間の関係は変わることがなかった。
 今度は藤原が結婚する時期になった。定岡は今でも藤原のことを、「青年」と呼んでいるが、そこには嫌味はない。いつも若々しい青年の藤原が目の前にいるような気がして仕方がなかった。
 いつも藤原が青年でいてくれることは、裏を返せば、自分がいつまでも若いままにいられそうに思うからである。
 定岡にとって、藤原はかなり若いつもりでいたが、最近になって、年齢が少しずつ近づいてきたように思えていた。年齢が近づいてくるはずなどないのに、そんな風に考えるということは、それだけ自分が歳を取った証拠であろう。それを認めたくなかったのだ。
 藤原青年は、いつまで経っても定岡との年齢差を同じものだと思っている。
 若い者から見れば年上は、少しくらいの差であっても、かなり違うように思える。しかも尊敬している目上の相手であればなおさらで、藤原青年にとって定岡が、
「雲の上の存在」
 のように思うことがしばしばあった。
 そのくせ、いつも自分の意見を正当化して話そうとしている。それもなるべく定岡に自分を分かってもらいたいと思う気持ちの表れであろう。
 しかし、そんな気遣いは無用だった。定岡には藤原青年の気持ちが痛いほど分かっている。目上というだけで、話していて対等に感じることもあるくらいだが、それはあくまで話の内容、表情や雰囲気はどうしても年下としか思えなかった。
 藤原青年にはバイタリティがあった。定岡は自分にバイタリティがないとは思えないが、藤原青年ほど強いものを持っているわけではない。どこか子供っぽいところがある藤原青年を見ていると、たいていのわがままは許されるのではないかという錯覚に陥ってしまいそうになる。
 藤原青年は、自分がいい加減な人間であるという意識はあったが、それも自分の中にある感性を生かすためなので仕方がないと思っていた。理性と感性を天秤に掛ければ感性が重たいと思っていたのだ。
 その考えは基本的には変わっていない。だが、あくまで自分が感性に生きる人間だと思っている。そこがいい加減なところがあると自分で考えるところで、そこを何とか抑えるには、理性のキッチリとした人間がそばにいないといけないと考えるようになっていた。
 そこで知り合ったのが定岡だった。
 定岡には理性がキッチリとしているのはもちろんのこと、感性も備わっている。感性に関しては、いつでも自分が一番だと思っていたいところがあって、控えめな定岡よりは自分に感性は強いものを感じることから安心できる相手であった。
――感性は積極的にならないと、滲み出ないものだ――
 というのが藤原青年の感性に対しての考え方だった。
 しかし、本当にそこまで積極的になる必要があるのかということを、定岡と出会って考えるようになった。
「気持ちに余裕さえあれば、それでいいんじゃないかな?」
 自己アピールは時として押し付けになってしまう。それではせっかくの感性も色褪せてしまうのではないか。押し付けにならずに、相手に分かってもらうには、滲み出るようなものにしなければならない。
「気持ちと感性が一体になればそれでいいのさ」
 定岡はそういっていたが、すぐには理解できなかった。
「どれを分かるようになるまでに、少し時間が掛かるかも知れませんね」
 というと、
「いいんだよ。時間が掛かっても、むしろ時間が掛かる方が、自分を納得させるんだから当然のことだと思うんだよね。中途半端なことだと、また結局元の考えに戻ってしまうんじゃないかな?」
 いちいちもっともな話である。
 藤原青年は、定岡の前ではいつまで経っても青年である。まるでお釈迦様の手の平の上で遊ばされている孫悟空の心境であるが、あれもそれぞれの立場を分かって見ているから、修行と考えられるのである。
 まずは自分を知って、相手を知る。これが、大切なことではないだろうか。
 藤原青年は、定岡と知り合ってしばらくして、絵画コンクールで入選した。
 定岡にとって少しショックであったことは事実である。
――俺のまわりの人は皆才能があるのに、俺はいくらやってもダメなんだな――
 焦りに似たものがあった。だが、彼らを恨めしいと思う気持ちが不思議と湧いて来ない。
――欲がなさすぎるのかな――
 芸術家は感性や個性といういいものを持っている反面、欲が強すぎるところもある。
 それだけにまわりに対して自分をオブラートに包んでしまい、まわりから隔離してしまうことも往々にしてあるのだろう。
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次