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短編集61(過去作品)

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 ホラーというと、表紙のインパクトでイメージが分かるが、同じホラーでも藤原青年の読んでいる本は、ブラックユーモアに近いものだった。
 普通の人が気がつかない間に迷い込むアンバランスなゾーンを主題にした作家や、深層心理を巧妙に描くのを得意とした作家の本が多い。
 小説にはいくつかのパターンがあり、売れる作品は必ずそのどれかに属していることだろう。
 藤原青年の読んでいる作家には共通点があった。それぞれにパターンを持っているのだが、必ずそのパターンを最初に書き始めた作家の本が多い。いわゆる先駆者と呼ばれる人たちで、そういう意味で、定岡には藤原青年が気になった。
――ひょっとして話をすると気が合うかも知れないな――
 と思うようになっていたが、なかなか話をする機会に恵まれない。せっかく本を読んでいる貴重な時間を壊したくないという思いが定岡自身にあり、それは相手も当然であることが分かっているからだ。
 本を読むことは学生時代から嫌いではなかったが、あまり学生時代には読んだ経験がない。
――飽きっぽいのかな――
 と最初は思ったが、読んでいくうちに内容に嵌りこんでしまって、途中までの内容を忘れてしまったり、先を読み進めないといけないという気持ちが強いあまり、読みながら余計なことを考えてしまう。忘れてしまう原因もそのあたりにあるに違いない。
 社会人になって本を読むようになった。いや、この喫茶店に立ち寄るようになって本を読むようになったといっても過言ではない。余裕を持ちたいと常々思っている中で、喫茶店でゆっくりしながら本を読むと言うシチュエーションはまさにぴったりではないだろうか。
 文庫本を片手にやってくる姿を思い浮かべる。窓際のテーブルに座って、表を見ていると、まるで今から店に入ってくる自分の姿を思い浮かべられそうにさえ感じる。
 冬と夏とでは、喫茶店の雰囲気もかなり趣が違っている。
――夏より冬の方が好きかな――
 夏には少し湿気を帯びた空気が朝もやとなって立ち込めていることが多い。身体にベタベタする感覚もあって、まだ涼しい時間だからいいのだが、日が高くなってくると、汗となって滲み出るのが気持ち悪い。
 最初にこの喫茶店に立ち寄ったのは、そんな夏の時期だった。
 梅雨も明けて、そろそろ暑くなり始めるという七月の後半くらいだっただろうか。その年は長雨が続いたこともあって、朝もやは日常茶飯事のようになっていた。
 朝もやが嫌いというわけではない。むしろ好きな方であろう。湿気を感じる朝もやを歩いていると、足が重たくなってくる。それが嫌なのだ。
 朝もやの中で文庫本を読んでいると、遠くから走ってくる一人の男性を見かけた。どうやらボクシングか何か、格闘技の選手らしく、頭からフードを被せて小気味く飛び跳ねるように走っている。朝もやに吐く息が白く浮かび上がっていた。
 その光景を見慣れた頃だっただろうか、男性が走り去ってすぐに現れるのが藤原青年だった。
 スポーツマンの雰囲気ではないが、同じように白い息を吐いているのを見ると、当たっている照明のせいか、身体が大きく見える。だが、実際に扉を開いて入ってくる藤原青年はどちらかというと華奢で小柄であった。
「文学青年のようだね」
 というと、
「いえいえ、そんなことはないですよ。でも、何か芸術をしたいとは思っているんですがね」
 といって笑っている。
 定岡が、自分は絵画が好きだというと、
「私も美術館に行ったりするのが好きなんですよ。でもなかなか自分から絵を描こうとは思えないところがありまして」
「どうしてだい? 好きならやってみればいいんだ」
 と話すと、
「そうですね、今度教えてください」
 という会話になって、半分冗談であろうと思っていたが、何と次の週になって、
「この間、文具店で、絵画セットを買ったんですよ。まあ、最初から大げさなことはしたくないと思っていますが、道具を揃えると、一生懸命にやりたくなるだろうと思ってですね」
「形から入るという人もいるからね。その気持ちは悪くないと思うよ。それよりも一生懸命にやってみたいと思う気持ちが大切なんだよ」
 説教っぽくならないように、さりげなく話していたが、藤原青年の目は、まだいろいろなことを吸収したいと訴えているようで、あどけなさの残った表情を見ていると、黙っておけなくなってしまう。
「僕って、いつもいい加減で、何かに興味を持ってもすぐにやめちゃったりすることが多いんですよ。でも、誰かに教えてもらいながらだったら、心地よい緊張感を保ったまま頑張れるんじゃないですか」
「そうだね。人から教わるという気持ちは大切だよね。謙虚にならないと一生懸命になれないという人もいるみたいだからね」
 意外と定岡のまわりにはそういう人が多かった。だからこそ、教えたがりなところがある定岡のまわりに人が集まってきた時期があった。教える方も、相手が真剣に覚えたいと思っていれば先生になったようで、自信がついてくるというものである。人との会話の中でも自信に満ち溢れている自分を感じることがあるくらいだ。
 その日から藤原青年は、定岡と友達になった。定岡自身では友達のつもりでいるが、藤原青年は、定岡を先生のようにあがめていた。もちろん絵画の上でもそうだが、人生の先輩としても尊敬に値する人間だと思っていた。
 定岡は歴史に精通していた。
「ただ、学生の頃に好きだっただけだよ」
 と謙遜しているが、歴史の知識に関しては他の友達も同じ意見だった。最初はそれほどでもなかったのだが、次第に歴史に詳しいことを自分でも自覚するようになり、まわりから尊敬の念を抱かれることが普通に思えるようになっていた。
「歴史って、勉強すればするほど楽しいよな。過去があって現代がある。現代があるから未来が存在しえるんだよ」
 定岡は当たり前のことのように話していて、それを藤原青年は頷きながら聞いているが、一体どこまで分かっているのだろう。怪しいものではあるが、定岡自身、自分に酔って話しているふしがなくもない。
「定岡さんは、結構現実主義者かと思っていたんですが、ロマンチストでもあるんですね」
 と藤原青年が言う。
「どういうことだい?」
「定岡さんの絵にはどこか現実的な描写があることには気付いていましたが、歴史の話をしている時に見せる目が、絵を描いている時に時々見せる表情に思えてならないんですよ。遠い過去に思いを馳せながら見つめているんだと思いました」
 そういえば、絵画というのは遠近感が大切である。ずっと遠いものを見つめて描いていると、時々何を考えているか分からなくなってくることがある。特に風景画などを描いていると、
――この景色、前にも見たことがあるな――
 という錯覚に陥ってしまう。本当に見たことがあるかどうかは定かではないが、いつの記憶と混同しているか、自分で分かっていない。それが自分の意識の中にだけある過去で、実際に見たものではないとすると、夢の中だけで見たものだったりする可能性もある。
「夢というのは潜在意識が見せるもの」
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次