短編集61(過去作品)
芸術家がアトリエを持っていたり、作家が作品を仕上げるためにホテルの一室に篭ったりするのは、俗世間から自分を隔離するためである。そうでもしないと、よい作品を生み出すことができない。それがすべて欲に結びついてくるから、
「欲のない人間は大成しないんだ」
と考えるのだろう。
これだって、当たらずとも遠からじで、信憑性がないわけではないが、一般の人間には受け入れられにくいものであることに違いない。
欲という意味では、人間にいくつかの欲があると言われる。物欲、性欲、食欲、他にもあるだろう。しかし、芸術家は、そこに名誉欲を感じているのではないだろうか。名誉欲というのは、出世などの表に表れるものではなく、まずは、自分の感性に対しての自己満足、自己顕示欲にも似たものである。
自己を高めて、自分で納得できるところまで来ると、それを形にしたくなる。コンクールでの入選など完全な名誉であって、名誉を手に入れた人を見れば羨ましいと思う反面、自分に焦りが生まれてくるのも当然である。
――俺には才能ないのかな――
特に定岡は、自己満足の域までは達している。それがなかなか結果としての名誉に結びつかないのだから、自己満足で終わってしまうように思えて恐ろしい。
才能があるかないかを自分で判断するのは難しい。しかし、自分で満足することは簡単である。このギャップが一つの壁ではないだろうか。自己満足に終わってしまうか、結果を出せるかは、その違いを的確に判断できて、自分を見つめなおすことができれば、悩むこともない。
定岡はそのことに気付いたが。気付くまでにかなり時間が掛かった。
二年くらい掛かっただろうか。
それを藤原青年はずっと見てきていた。藤原青年も、定岡の絵画の実力が自分には及ばないまでも、かなりのところにあることは分かっていた。
「そのうちに入選しますよ」
そう話したいくらいだったが、もし自分がそんな慰めを受ければ、屈辱に感じることが分かっているので、そんな声を掛けるわけにはいかない。
考えてみればそんな慰めも、今までだったらしていたかも知れない。自分が相手より上だという考えがあれば、相手に対しての気遣いが薄れてくると考えるからだ。
だが、本当は逆なのである。
相手が自分よりも下であったり、他の部分では優れているが、絵画の面だけは相手が劣っている場合などは特に、細心の注意を払って助言しなければいけないであろう。
定岡は、元々藤原青年を、自分と同等か、それに近い人だと思っていた。もちろん、芸術的な感性が自分よりも強いことが分かっているからで、そんな藤原青年が、自分に対して尊敬の念を抱いてくれていることも分かっていた。
――お互いに切磋琢磨できる相手がいるということは幸せなんだな――
と感じていたのだ。
定岡以外の人から藤原青年を見れば、遊んでいるように見えるだろう。絵画以外ではあまり真剣に生きているように見えないところもあった。理性に欠けるところがあると感じていたからである。
――理性ってなんだろう――
時々、定岡は考える。
自分には理性が備わっているとは思っているが、それはあまり人に対して怒りを持ったりしないことだと最近は考えているが、
――元々の理性の意味とは少し違ってきているように思えてならないな――
と考えるようになった。
元々の理性の意味は、他の人に気を遣っているのに、それを意識しないでできるような人、つまり、気持ちに余裕が持てる人が理性を持った人というのではないだろうか。そういう意味で定岡も、
――自分には理性があるんだ――
と思うようになって、感性とは少し違う位置で見ていた。むしろ、理性と感性は結びつかないものだとさえ思っていた。
しかし、それぞれが表裏一体ではないかと思うようになった。それも藤原青年の存在が大きな影響を及ぼしている。
何とか自分の感性を表に出そうと努力する定岡だが、何かが邪魔しているように思えてならない。それが理性であるということに気付かせてくれたのは、やはり藤原だった。
藤原を見ていて自分と変わりない男性に見えたからで、年下で実際にそんな感情になったことは今までにはなかった。
彼には自分にない感性の素晴らしい部分を持っている。しかし、彼には自分にある部分を合わせ持っていない。
――神は二物を与えず――
というがまさしくその通りである。
藤原がコンクールに入選してから、少し関係がギクシャクしてきた気がしていた。
二人とも変に気を遣うようになって、お互いをけん制しあっているように思える。まわりから見ていて、きっと近寄りがたい雰囲気になっているかも知れない。二人はお互いに暗黙の了解で繋がっていることは、まわりに周知であったからだ。
それほど仲のいい二人だからこそ、ぎこちなくなってくると、まわりからは近寄れない雰囲気を醸し出している。定岡は藤原の自由奔放が羨ましく見え、藤原は定岡のまわりからの信頼が羨ましく見える。いくらコンクールに入選しても、藤原は定岡ほどまわりから信頼されることはない。それが気になるところで、定岡にすれば、入選して一番喜んでいるはずの藤原の自分を見る視線の歪みに不快感があってしかるべきだ。
――やっぱり感性の方がいいんだ――
定岡は考える。一度は感性を自分に感じた定岡である。藤原を見ていて思い出すのも当然である。もし、自分の理性が感性を阻むのであれば、理性などいらないと考えるほどである。
藤原は自分の優柔不断を悩んでいた。なれるものなら定岡のように人から信頼を受ける人間になりたいと感じていた。
だが、それもままならないうちに月日が過ぎて、お互いに年を取っていった。
お互いにそれぞれの思いを封印して気持ちを隠すように過ごしてきたが、
「あなた、そんなに虚勢を張らなくてもいいんですよ。やりたい趣味があれば私に遠慮することはないですよ」
妻の美沙にはお見通しだったようだ。
それが定岡にとっての一番の癒しになったようで、
――無理することはないんだ。感性は気持ちの余裕から生まれるものだった――
これは以前に見つけた自分の答えではなかったか。
藤原は定岡を遠い人間のように見ていた。特に年齢が離れていることもあって、
――年齢は平行線なので、決して近づくことも交わることもない。一度遠いと感じたら、感じたまま、近づくことができないんだ――
その思いがトラウマとなって、自分にないものをねだってしまっていた。
――相手は正確が信条の理性なんだ。自分は性格を表に出すタイプで、完全に定岡さんとは違うんだ――
語呂合わせのように考えることがまるで自分の性格を表しているように思うと、藤原も気が楽になった。
二人は平行線ではない。きっと、表裏一体で、お互いに一番近いところにいることを意識しながら、切磋琢磨することで、お互いのいいところを引き出していくに違いない。
まわりにいる人がそれを分かっていれば、それでいいのだろう。
いつもの喫茶店に定岡が現れた時、坂の向こうに姿を消している藤原がいることは、誰にも分からなかった。
( 完 )
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次