短編集61(過去作品)
と思うようになった。
女性というのは、自分が考えているよりも、はるかに現実的で、実際に表に出てきているのも現実的な人なら分かるのだが、
「私はロマンチストなのよ」
と自分の口から話しているような女性ほど曲者であった。もちろん偏見には違いないが、これも高校生の頃に感じたトラウマの一つになってしまっているから始末に悪い。
定岡は中学の頃から絵を描くようになっていた。
絵画のような何かを作ることを小さい頃から好きで、時々イラストなどを描いていたが、如何せん自分で納得の行くようなものはなかなか描けなかった。中学に入れば、何か作ることを目的とするクラブに入るつもりだったが、やはり門を叩いたのは美術部だった。
彫刻にも一旦の興味を示した。形あるものを立体感溢れる形でリアルに一番表現できるのが彫刻だと思ったからだ。
しかし、当時美術部の部長をしていた人の作品を見て。絵画に目覚めた。
イラストを中心に描いている先輩だったのだが、たまに描く油絵の素晴らしいこと。
――絵画なんて所詮キャンバスの上に描かれる平面なんだ。立体感を表わすことなんてできやしないんだ――
と思い込んでいたのが恥ずかしくなるくらいだった。
何とも言えない色彩に、まずは魅了される。まず最初に全体を見渡して、浮かび上がってくるような絵を見ていると、
――彫刻以外でも立体感を出せるんだ――
と思うのは、影のつけ方と、色彩バランスのコントラストが素晴らしいからである。そのことに気付くと、今度は細部まで見るようになる。細かいところを見ていると、全体を見ていては分からない細かいバランスのよさを見つけることができた。
――きっと描いている本人には、そこまでの意識はないんだろうな――
と漠然と考えていたが、きっとそのとおりに違いない。
絵画の魅力に取り付かれたのは、その先輩が人に慕われるような性格の持ち主だったこともある。
――やっぱり、最高の芸術を生み出せる人は、内面から滲み出る素晴らしいものを持っているんだ――
と思うようになり、それが感性であるということに気付いたのは、皮肉にも先輩が卒業してからだった。きっと、その思いを一番受け継いだのは、定岡だったに違いない。
人の性格が生まれながらにあるものと、環境によるもの、それぞれ半々だとしたら、環境という点で、先輩との出会いがターニングポイントとして大きなものであったことに違いない。
先輩の絵は芸術祭で佳作になった。大会としては名が通っているコンクールでの佳作は県が主催するコンクールの大賞に匹敵するものだ。先輩の作品は芸術祭で展示され、それが功を奏して、芸術大学から誘いが来た。いわゆる特待生というやつだ。
先輩もいずれは絵画で身を立てたいという気持ちを持っていたことで、その誘いを好機と見て、入学した。
しかし、さすがに芸術大学ともなれば、その道で自信のある連中の集まりである。自信があるのは大いに結構なのだが、性格的にひねくれている連中も少なくない。却ってまともな性格の人間が疎ましく思われたりしているらしい。
表面に出ない一部の連中のことなので、表から見ていては分からないが、先輩は少し悩んでいたようである。美術部では、人をまとめることにも才能を感じていただけに、
――先輩でもダメなら、僕なんてもっとダメだろうな――
と考えてしまう。
しかし、それはどこに行っても同じこと、自分がしっかりさえしていれば大丈夫ではないだろうか。下手に余計なことを考えすぎて自分のペースを乱すことの方が、よほど大変なことである。
芸術大学を卒業した先輩は、それから教員免許の取得に力を注いでいた。
「やっぱり先輩は、人の上に立つ人ですよね」
「おだてるなよ」
そんな会話を想像して、一人ほくそえみたくなるほど、先輩は想像通りの人だった。
教員免許を取ることは定岡にとっても、将来の選択肢の一つだった。それも優先順位からすればかなり高いところにある。高校時代に出会った一人の先生のおかげかも知れない。
先輩が卒業して芸術大学に入ってから、しばらくボーっとしていた。
美術部にいても、何か張り合いが感じられず、何をしていいか迷っていたのだ。
「君は気持ちがすぐに顔や態度に出るからね」
と先生は話してくれたが、元々そんな意識は定岡にはなかった。
しかし、指摘を受けるとそれまで意識していなかったことがウソのように思える。
「それが君のいいところでもあり、悪いところでもあるんだよ」
「どういうことですか?」
「一途なのはいいことだよ。でも、それが思い込みになると少しタチが悪い。真面目なだけに思い込むとそれ以外が見えなくなるからね」
言われてみればそうである。初めて感じたことのはずなのに、以前から考えていたことのように思えてならない。
先生はまもなくして美術部の顧問になってくれた。学生時代に少なからず絵心があるのは知っていたが、先生も名のあるコンクールに入選した経験があるらしい。そのことは一言も言わないので、誰も知らないだろう。
定岡は先輩から聞いて知っていた。
「先生のプライドもあるだろうから、自分から言い出すまでは知らないことにしておいた方がいいぞ」
と釘を刺された。
もっとも釘を刺されるまでもなく、定岡は誰にも話すつもりはなかった。先輩との秘密を楽しみたいという気持ちが強かったからである。
定岡と先輩と先生、三人三様であるが、性格的には結構似ているところがある。お互いを尊敬しあって、気を遣っているところがあるのは、見ていて分かる。嫌味がないことから、当事者であることが心地よい。
美術をやっていると、時々孤独感に襲われることがある。特に女性には強いようで、ふっとたまらなく寂しくなることがあるようだ。
普段は、
「私は一人で美術をやっているんだ」
と言わんばかりに、虚勢を張っている人に限って、落ち込むと激しいものらしい。
躁鬱症に陥りやすいのは定岡にも分からない感覚ではない。躁鬱症とまではいかないまでも時々自分が分からなくなることがある。
――一体、ここで何を書こうとしているんだろう――
キャンバスを見ながら手に取った絵筆で首筋を掻きながら考え込んでいる自分を何度となく思い浮かべたりしていた。
ロダンの「考える人」という彫刻があるが、
――ロダンという人だけの中にある「考える人」なんだろうな――
としか思えないのは、考える素振りが人それぞれだからである。
――理屈っぽくないかな――
と考えるようになったのは、その頃からかも知れない。
人にないものを持っていると考えて陥る孤独感、孤独感も最初は、まるで自分ではないような感覚に戸惑ってしまい、どうしていいのか分からない時は何も考えていないのだろうが、そんな時期は本当に最初の一瞬に近い。次第に考えるようになる。
考えるようになると、いろいろなことが頭に浮かび、走馬灯のように過去の記憶が駆け巡る。自分が袋小路に入り込んでくるのが分かると、堂々巡りしている自分をまわりから見つめる目を感じるようになる。
その目がもう一人の自分であることに気付くと、
――もうすぐ、この孤独感から抜けられるんだ――
と、感じてくる。
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次