短編集61(過去作品)
理性と感性の狭間で
理性と感性の狭間で
定岡は、今年で四十歳になる。不惑の年と言われ、中年の仲間入りをする年齢だという意識があったが、実際に四十歳になったからといって、何かが変わったわけではない。一年のうちの一日でしかないのだ。
子供の頃の一年は、今から考えると果てしなく長く感じられた。今の一年など、あっという間で、一年前のことがまるで昨日のことのように思えることすらある。
「だけど、小さい頃って、一日があっという間だったよな」
二十歳代の頃の友達と話して、
「そうそう、もっともだよな」
と相槌を打っていたものだった。それからさらに二十年も年を重ねたなど、信じられないくらいである。
あっという間だった一日なのに、一年になると、果てしなく遠く感じるのは、それだけ一日一日で成長してきた証拠だろう。意識はなくとも成長は身体が覚えている。身体の成長に意識がついていっていないのだ。
定岡は三十歳で結婚して、子供が一人、今年小学生になる男の子である。子供ができるまでに数年掛かったのだが、別に結婚したからといって、すぐに子供がほしいという気持ちではなかったからではないだろうか。どちらかというと子供がほしいと望んでいたのは妻の方、定岡はそれほどでもなかった。
しかし、実際に子供ができると、定岡は子煩悩だった。結婚してからも、時々同僚と呑んで帰ることもあった定岡だったが、子供ができてからは、ほとんどまっすぐ家に帰っている。幸いそれほど忙しい仕事でもない。転勤もないことから、ささやかな幸せを堪能できていた。
妻の美沙は、そんな定岡を慕っていた。仕事ばかりで夫がかまってくれないと愚痴をこぼしている近所の主婦たちを横目に見ながら、
「私の亭主は、家族のことを一番に感じているのよ」
内心ほくそえんでいた。無表情を装っている時の美沙の表情はあどけなさがあり、誰が見ても邪な気持ちを抱いている人には見えない。それが彼女の魅力でもあった。
美沙は自分でそのことを意識していた。実は定岡にも分かっていた。
――他愛のない可愛らしさだ――
痘痕もえくぼと言われるが、好きになったら、相手のことは何でもよく見えてくる。せっかく洞察力の鋭さを自分の長所だと思っているくせに、そこに感情が入り込んでくる。意外と似た者夫婦なのかも知れない。
美沙は定岡よりも四つ年下である。結婚当初は、四つ年下ということで、自分がかなり年上なので、引っ張っていってあげないといけないと感じていた。しかし、実際に結婚してみると、彼女は思ったよりしっかりしていた。
結婚前は、何事も定岡に任せるタイプで、余計なことは一切口にしない。会社の同僚に紹介しても、
「まるでお人形さんのような彼女だな」
嫌味ではないことは分かっていて、羨ましい気持ちは大いにあるだろう。それだけに自分でも誇らしく感じ、人に紹介したくなるのだ。
妻の美沙は恥ずかしがり屋だった。
「そんな、お友達に紹介するなんて、私は引っ込み思案だから」
と言っていた。実際に友達に会っても自分から話すこともなく、自分を肴にして話している夫と友達を見ながら、恥ずかしそうに俯いているだけだった。
――でも、まんざらでもないはずなんだよな――
俯いているが、表情は楽しそうである。
学生時代は女子高に通っていて、あまり男性と話をすることがなかったので、免疫ができていなかったらしいが、女子高というと、両極端なのかも知れない。
女子ばかりなので、男性がいないのをいいことに、かなり露骨なグループがいるようだが、美沙はそんなグループには属していない。
かといって、女性ばかりが固まっている艶やかなグループに属していたわけでもない。いつも一人でいて、友達も少なかったようだ。それでもそれぞれのグループから一目置かれていたのも事実のようで、成績も優秀で、お嬢様タイプだったわりには嫌味なところのないことが、一目置かれる理由だったようだ。
定岡は、男子校だった。
どのグループに属さないのは美沙に似ているが、定岡の場合は、それぞれのグループな中に必ず一人は友達がいた。
どのグループにも属していないのに、苛められないで済んだのは、友達の力が大きかったのかも知れない。
そんな二人が出会ったのも何かの縁には違いないが、出会いの元々はそれぞれの友達が知り合いだったことから端を発している。
「世の中って、どこでつながりができるか分からないものだね」
と定岡がいうと、
「そうね。でも、二人は出会うべくして出会ったのよ。そう思いましょう」
美沙が楽天的な女性に見えた瞬間であった。
いい加減な女性ではない。楽天的なところはポジティブな性格として一定の評価ができた。
定岡自身、そこまで楽天的になれない。物事には必ず何かの理由があるはずで、それを突き止めることが、大切だと思っているところがある。
「お前は理屈っぽいからな」
と親しい友人に言われることもあるが、彼には理屈っぽいという言葉の裏に、いい加減なことを許さない正義感のようなものが定岡にあることを知っている。定岡もそれが分かっているから、言われてもまんざらでもない表情をしている。まわりから見れば、きっと一種異様な光景に見えるに違いない。
定岡の正義感は尋常ではない。
例えばマナーに関しては人一倍厳しい。
タバコを吸わない定岡は、路上での咥えタバコを嫌悪している。確かに最近は路上での咥えタバコも減っては来たが、まだ完全に法律的に禁止というわけではない。
しかし危険なことには変わりがない。マナーアップのポスターなど、電車やバスの中吊り広告でよく見かけるが、広告を真剣に見ていれば、咥えタバコがどれほど危険なものか、普通に理性があれば分かるはずである。
テレビCMでも広告機構が宣伝している。実によくできたCMで、それでも分からないというのは、理性を疑いたくなる。
――やつらは、分かっていて、自分には関係ないんだとしか思っていないんだ――
いわゆる確信犯である。
確信犯は許せない。それが定岡の理論である。
マナーということであれば、電車の中の携帯電話の通話。確かに減ってきているが、減ってきているだけに通話している人を見ると目立つ。どんなに他では人間ができていても、それだけで人間性を疑いたくなる。
実際には、マナーを守れないやつは、他のところでもろくでもないやつが多い。まず間違いないだろう。思い込みかも知れないが、少なくとも定岡のまわりにいる人たちには当たらずとも遠からじであった。
「本当に定岡さんは細かいわね」
女性に言われると、さすがに堪える。女性の言葉には結構嫌味なところがあるからだ。それが男性であれば、ある程度彼の性格を分かって話している場合があるので問題ないのだが、女性は性格がいまいち分からないだけに、信用できないところがある。
高校生の時にまともに女性の言葉を信じてひどい目にあったことがあった。元々、人の言葉は信じやすい性格だったのだが、それがあってから自分の中でトラウマとして残ってしまっていたことが、美沙の出現によってかなり解消された。
――純真無垢というのは、彼女のようなことを言うんだ――
作品名:短編集61(過去作品) 作家名:森本晃次