のっぺらぼう
――いや、そんなことはない。ここで自分を曲げてはせっかくここまで築いてきた彼女との仲も壊してしまいそうな気がする――
と、思った。物事には、何事にも「均衡」というものがあるだろう。いわゆるバランスというものである。喧嘩をしながらでも、離れることなくずっと付き合っていっているのには、それなりに喧嘩を含めたところでの均衡が保たれているからではないだろうか。
「喧嘩するほど仲がいい」
と、夫婦間で言われている言葉があるが、交際期間においても同じことがいえるのではないかと思う。喧嘩をしても、最後は仲直りしているが、仲直りにもパターンがあるだろう。
自分から折れるカップル、相手が必ず折れるカップル、そしてその時々によって折れる相手が変わるカップルである。私たちの場合は最後の、その時々によって折れる相手が変わるカップルなのだろう。
自分から絶対に折れないようにしようと思っていないと、きっと、絶えず自分から折れることになっていたように思う。そうなれば、立場関係は完全に固まってしまうだろう。それはもちろん、相手が必ず折れるカップルにしても同じだ。どちらかが、必ず上位にいて、見下ろしているようなパターンだ。
――俺には無理だな――
絶えず上位にいるというのは、大変なプレッシャーだろう。よほど自分に自信がなければできない。いや、性格的なものなのかも知れないと思う。自分が絶えず前に立って相手を導いていく人間というのは、生まれつきに持っているものがあるはずだ。信じて疑わないものを持っていることで、優位に立てるのだ。それが自信となり、人を導いていくことになるのだろう。
――誰か一人にでも優位に立てれば、不特定多数にも優位に立てる素質があるのかも知れないな――
いや、逆にリーダーになろうとするならば、一人を大切にできる人間でなければ絶対に無理なことなんだと思うようにもなっていた。
私にはとてもリーダーになる素質などあるわけがない。人それぞれ考え方が違い、個性を持っているのだ。その個性が好きなので、一つにまとめようなどというのは、自分の気持ちに逆らうことにもなるのではないだろうか。
その日、彼女から連絡はなかった。電話がダメなら、メールだってあるのだから、メールでもよかった。ただ、喧嘩をした時、彼女はメールを使わない。
「いくら喧嘩中だといっても、メールだけっていうのは失礼に当たるでしょう?」
と、彼女は言うのだが、私もまったくの同意見だった。喧嘩をした時には、メールを使ったことはない。ただ、連絡がない時は、相手が心配しているのではないかという気持ちになったことがあったが、今まで使ったことがないので、今さら使うというのもおかしな気がする。照れ臭いというよりも、今度は他人行儀な感じがして嫌なのだ。
待ち続けるというのは、想像以上に体力を使うものなのか、十時を過ぎると睡魔が襲ってきた。普段は日付が変わるくらいまで起きている。起きていて何をしているというわけではないおだが、テレビを見ている時もあれば、ゲームに熱中している時もある。それでもゲームもたまにするくらいで、我を忘れるほどの熱中することもない。
「ゲームに熱中しすぎて夜更かしし、頭がボーっとしている」
と言っている連中の気が知れないくらいだ。
私は熱中すると言っても我を忘れたことはない。我を忘れて熱中できる連中を、ある時は軽蔑することもあるが、基本的には羨ましいと思っている。夜更かしで頭が冴えないと言っているのを聞くと、バカみたいだと思いながらも、気持ちの奥で、
「そこまで熱中できるなんて……、俺にはできないよな」
と、自問自答を繰り返していた。
睡魔に襲われると、一気に眠ってしまうのも私の特徴だった。普段はなかなか寝付かれないと思っているのに、いつ襲ってくるか分からない睡魔を待っていることもあるくらいだった。
睡魔に襲われて眠りに就くと、必ず夜中に一度目が覚めて、夢を見たことを覚えているものだ。そこからが、今度は一気に眠ることができない。どうしてすぐに眠ってしまいたくなるかというと、夢の続きを見たいからだった。
夢の続きが見たいと言っても、いつもいい夢だとは限らない。嫌な夢であっても、続きが見たいと思うのだ。普段ならきっと続きを見たいなどと思わないはずの夢なのに、たぶんその時、私は一連の夢の中で何かを追い求めているのかも知れない。
その日も夢を見た。決して楽しい夢ではなかった。お約束通り、夜中に目が覚めた。時計は二時過ぎを差している。
「いつもと同じくらいだな」
微妙な違いはこの際関係ない。目を覚ましたことが重要なのだ。夢の内容が気になるのか、やはり、すぐには寝つけようもない。
苛立ちが襲ってくる。眠たいのに眠れない。そんな時は、目を見開かないようにして、再度眠りに就くまでの時間を、ゆっくりとやり過ごそうとするのだった。
気が付けば眠りに就いている。夢の続きが見れたのだが、その時になって、初めて、夢の中に昼間気になった更地になる前の屋敷が鮮明な記憶としてよみがえってくるのを感じた。
「昼間は思い出せなかったのに」
今度は、更地になったというイメージは頭の中にあるのに、夢で見ることができないのだった。
「イメージだけでは、想像を映像としてよみがえらせることはできないんだ」
それが夢の世界であり、現実の世界との一番の違いではないのだろうか。
中学生になった頃も、よく夢を見た。それは小学生の頃の夢で、環境の変化が、ここまで大きな影響を自分の中に植え付けているとは思いもしなかった。思い知らされたと言ってもいい。睡魔に襲われ、一気に眠りに就く。そして、必ず夜中に目が覚め、見ていた夢の続きを見たくてたまらないのに、なかなか寝付けず、いらだちを覚える……。そんな一連の感覚と感情も、環境の変化で感じた影響と、似たような感覚があるのではないかと思わせるのだった。
要塞は、夜の光景だった。一度目覚める前はというと、夕方だったように思う。夢の続きだと感じてはいたが、どこか違和感があったのは、光景の時間帯による違いだったのだ。潜在意識が思わせるのか、
「夢というのは潜在意識が見せるものだ」
と言っていたテレビ番組の偉い先生の話を思い出した。見たいと思っていたわけではないのに、耳に入ってきた話に漠然としてだが、テレビをつけたまま、気持ちは明後日の方向を向いていたくせに、そのセリフだけは、しっかりと頭の中に入っていたのだった。
夢の中の屋敷は、確かに聳えていた、今までに見た西洋の城の雰囲気を醸し出されるようで、とんがり帽子のような屋根が印象的だった。
色は基本的に白が基調で、アクセントに赤が使われている。白は一番高貴な色で、他の色が混じれば混じるほど、高貴さが失われていくように思われた。だが、アクセントで使われている赤い色はコントラストが微妙で、高貴さを失わせるには至らなかった。
囲碁将棋クラブに所属している友達が、
「将棋の手で、一番隙のない布陣というのは、どんな布陣か分かるかい?」
という質問をしてきたことがあったが、私が分からずに首を振ると、彼はしてやったりの表情になり、