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のっぺらぼう

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「あなたはまだここに来てはいけません」
 と言われる人もいるだろう。手術中に市の世界との狭間で行ったり来たりしている話をドラマとかで見たことがあるが、それも死の世界の裁判官のような人が裁定することで、生死が決まってしまうという話もまんざら笑い話で片づけるのは安直すぎる気がして仕方がなかった。
――自分の命は自分のものであって自分のものではない――
 と言われる。
「生まれることは選べないけど、死ぬことくらいは自分で選べる」
 と、戦国モノのドラマで見たセリフを思い出したが、戦国時代など、
「死に場所を得たり」
 などと、格好いい武将のラストシーンも美化されるものの一つとなっているだろう。
 浅間さんの話では、もうすぐ母親がやってくるという。ということは、浅間さんは母に会ったということだろうか。
 浅間さんの顔を見ていると、どこか懐かしさを感じると思ったのは、母に雰囲気が似ているからだった。
 私は母親にはきっと不倫相手がいたのだと思っていた。子供だったのでそれがどれほど悪いことなのか分からなかったが、後ろめたさが他人に与える影響が大きいのは分かっていた。それがいかに悪いことなのかは、自分が同じような態度をされたら嫌だからである。子供にはなるべく後ろめたい雰囲気を出さないようにしていたことだろう。何しろ上下関係に近いのが親子の関係だと思っているからである。
――親にはいつまで経っても子供は逆らえない――
 この思いが母親という存在を形成していたのだ。
――親が隠そうというのなら、子供の俺が余計なことを知らない方がいいんだ――
 身のためだというセリフではない。どれほど他人事であってほしいと思ったか、他人事であれば、手綱がない状態で、遠心力に吹き飛ばされそうな状況になっているようであった。
「この病院には、他に患者さんがどれくらいいるんですか?」
 私に背を向けて掃除をしていた浅間さんの手が初めて止まった。すぐにはこちらを振り向けるという感じではない。それでも意を決したかのように振り向くと、笑顔を向け、
「三十人くらいじゃないですかね。重傷者というのは、それほどいませんからね」
 三十人という人数が多いのか少ないのか分からない。分からないのに聞いたのだ。どんな反応を示すのかということにも興味があったし、人数よりも、どんな病状の人がいるのかの方が気になった。誘導尋問をしたつもりではなかったが、浅間さんは口を滑らせたのだろうか?
 いや、口を滑らせたというよりも、私の聞きたいことを前もって察していて、答えられそうなことだと思って、答えてくれたのかも知れない。
「いやいや、重病人があまりいないというのは何か分かる気がするんですよね。この病院の雰囲気からすればですね」
 と、皮肉めいた言葉を発した。いかにも冷たさそうな言い方だったのかも知れない。浅間さんは、しばらく悲しそうな表情になっていた。
「そんなに悲しそうな表情しないでください。僕も少し意地悪な言い方をしましたね」
「いえ、いいんですよ。あなたが思っていることとたぶん私の悲しそうな表情とは、違う意味だと思いますからね」
 その言葉で、さっきまで親近感を覚えていた浅間さんが急に遠い存在の人に感じられた。まるで住む世界の違う人と一緒にいるような気分だ。元々、この病室も今まで知っている病院の中でも想定外であった。まるで半世紀ほど昔にタイムスリップしたのではないかと思うほどだった。
 そういえば、浅間さんのナース姿もどこか古臭い感じがあった。色がピンクで、浅間さんのあどけなさからナース服に対してのこだわりがなかったこともあったが、私は以前からナース服に対しては、気になるものがあったのだ。
 確かに体調の悪い時に見るナース服は、どこか温かく感じることがあるが、それも紙一重、ナース服を見ると、熱がないにも関わらず、発熱しているような気分がしてくるくらいで、それだけ自分が自己暗示にかかりやすいことを示していた。浅間さんに対してはさほど自己暗示を感じることはない。眠っていた時間が長すぎたことで、現実の世界に戻ってくるまでにしばしの時間が必要だったのだ。だが、自分と住む世界が違うと感じるとなれば話は別であった。
「もうすぐ、先生の回診になりますよ」
 おもむろに腕時計を見た浅間さんが、呟いた。
――おや?
 この部屋には不思議に思えることがいくつかあるのだが、その中でも一番最初に気付くべきものを今になって気が付いたのもおかしな話だった。部屋があまりにも殺風景で、花弁はシミがあったり、必要以上のものが何もないことで、部屋が広いのか狭いのか、ベッドの上からでは想像がつかなった。
 キョロキョロとあたりを見渡しているのをそんな私を見て、浅間さんはにっこりと笑いながら余裕の表情を浮かべている。不安になっている患者の気持ちをまるで楽しんでいるようであった。ナースとしての仕事上の彼女の立場であれば、彼女の笑みは頼もしく感じられる。何も心配などしなくてもいいという証明なのだからである。
 しかし、ナース服に隠された内面は分からない。ひょっとすると、いたずら心満載の女性なのかも知れない。そう思ってみると、見えなくもなかった。部屋の様子から感じるのかも知れないが、妖艶さを含んだ大人の女の笑みである。
 私は患者で、「まな板の上の鯉」状態ということもあり、簡単に逆らえない。しかも、彼女が言うには一週間目が覚めなかったことで、その間、私はまだ一週間前から一歩も進んでいないのだ。その間に何がどれだけ起こっているのか、誰にも詳細な説明などできるはずもない。一人一人の話をうまくつなぎ合わせれば時間を追うこともできるかも知れないが、物理的に不可能なのは分かりきっていることであった。
 この部屋の空気が次第に乾燥してくるのを感じた。少しずつ寒くなってきているので、夕方が近づいているようだ。さらに何とも言えない静寂が支配する世界。風が通り抜ける音が、普段と違ったイメージで聞こえてくるかのようだ。それは、風が空気を押しのけて進もうとする、風の音を普段想像しているよりもさらに重低音であった。
 風の音を、「ビュー」と表現するが、擬音というものは、人によっていかようにも想像がつくものだ。誰か一人が、
「こういう音なんだ」
 と定義づけてしまえば、誰も疑うことなく信じてしまう。だからこそ、音へのイメージはいい加減にしか思えなかった。静かに耳を澄ませていれば、その時にこの部屋の一番最初に感じなければいけない違和感に、今さらながらに気付かされたのであった。
「時計がないんだ」
 本当に今さらである。
 今がどの時間なのかを考えたのは一番最初ではないか。その時に時計を探したという記憶はない、無意識にではあったなら考えていたかも知れないが、それ以上に時計がないことの違和感を、最初に気付くことすらできないほど憔悴していたのかも知れない。
「浅間さん、今何時ですか?」
「今ですか? 今は夕方の四時半になります」
「昼下がりから、夕方にかけてという時間ですね。でも、どうしてこの部屋には時計がないんですか?」
 少し間があって、
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次