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のっぺらぼう

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 彼は自意識が欠如していた。そんな彼を利用するのは、道徳的にはいけないことであっただろう。しかし、これも医学、そして人間の本質を見抜くための大切なことだと思うと、「自分がやらなければ」
 と思うのだった。
 彼の自意識が欠如したのは、研究の副作用だったのかも知れないが、それは誰にも分からないことだった。
 ドクターは、彼の治療を始めて、私に彼の話をよく聞くようになった。医療に関係のないことで、
「彼の家族ってそんな感じなのかな?」
「恋人はいたのかい?」
 などと、まるで私に彼の素行調査を依頼しているかのようだった。きっと記憶が戻っていく中で、何かの研究結果が得られることを期待しているのだろう。
「彼の記憶喪失は完全なものではなく、すぐに思い出すタイプの記憶喪失なんだよ。でも、彼の記憶には何かロックがかかっていて、何かのキーワードがないと思い出せないようになっているようなんだ」
「それって、催眠術のようなものなんですか?」
「そうかも知れない。だけど、もし催眠術を掛けたとすれば、その理由が分からない。何かの事件に巻き込まれたとか、そういうものもなさそうだしね。私は今考えているのは、彼が彼自身で自分にロックを掛けたんじゃないかって思うんだよ」
「鏡を見ながら、自分に催眠をかけるのって可能なんですか?」
「できないことではないだろうが、可能不可能より、想像を絶する勇気が必要なはずなんだ。絶対に解放されない記憶喪失でしょう? 普通なら、どこかに記憶を戻すための何かを誰かに託しているはずだと思うんだ。だから、彼の家族や恋人というのがそれを知っているんじゃないかなって思っているんだよ」
 なるほど、ドクターの話には一理ある。しかし、彼がそこまで感じて記憶を失ったのだから、ここで他人が掘り起こしていいものなのだろうか? それが許されるのは限られた者だけではないか。人間にその権利があるのかと思うと、かなり難しい選択であることが伺える。
 私はドクターの話を反芻してみた。
――ドクターは彼の記憶を呼び起こそうとしているのかしら? それは職権乱用に当たるように思うけど。もし彼の記憶が戻れば記憶を失っていた時に生じた記憶はどうなるのかしら? 普通の記憶喪失であれば、まず私たちのことは忘れているはず。私はどうしたらいいんだろう?
 ドクターの顔は真面目である。真面目なだけに怖さもある。怖いけど、彼のことを思うと何かしないといけないと思うけど、私も以前の彼を知っていたように思えて不思議な気持ちになってくるのだった。
 彼には時々妹が見舞いに来る。中学に入ったばかりだろうか。思春期に差し掛かっているわりには、小学生といってもいいくらいに性的なことへの興味は皆無なようだ。
 私には女の子を見ると、その人に性的な興味がどれほどあるかが分かるのだった。フェロモンを感じるからで、おそらくほとんど当たっているのではないだろうか。いかにも服装や化粧で着飾っている女性が、さほどでもないことも分かっている。特にフェロモンが必要以上な女性は、女を武器にフェロモンを出しているのではなく、「女の武器」を武器にフェロモンを利用しているのだ。
 目的はカネや名誉。男を利用しようと考えているのだ。
 逆にあどけない女性も分かるようになった。あどけなさの中に妖艶な雰囲気を醸し出している人もいる。それが思春期であれば、「性への目覚め」がフェロモンを吐き出している。彼女の妹には、そんなフェロモンは感じない。
「きっと、お兄ちゃんに恋心を抱いているんだわ」
 思春期に差し掛かり、最初に好きになった相手が、いくら血が繋がっていないとはいえ、兄であるというのは、彼女の気持ちに大きな迷いを生じさせている。迷いは自分の中にしまい込んでしまうのが一番いいのだと自分自身に言い聞かせ、その気持ちが整理できずにいることで、殻に閉じこもった形を作ってしまっているのだろう。
 だから、彼女には思春期のフェロモンを感じない。フェロモンと一口に言っても、武器として使うもの、思春期に醸し出されるもの、さらには更年期に差し掛かってから感じるものと、さまざまである。他の人がフェロモンを感じることができるとして、もしフェロモンの違いに気付いたとしても、
「きっと年齢の違いが生み出す違いで、根本的なものは同じなんだ」
 と感じることだろう。
 しかし、私は違う考えを持っている。
「物事には原因があってプロセスがあり、そして結果がある。それぞれに原因が違っているのだから、プロセスか、結果が違うはずだ。どちらかが違えば、違うものではないだろうか」
 と思っている。
 彼女には、原因は分かっているが、プロセスにまで至っていない。プロセスに至るまでに自分の気持ちを抑えているのだ。中学生の女の子でそこまでできるというのは、すごいことだと思う。小学生のようなあどけなさの中に、芯の強い一本の幹が彼女の中にあるように思えてならない。
 気が強いというべきであろうか。
 兄にはそこまでの気の強さは感じられない。可愛い妹を、今は妹として見ているようだが、もし女性として見てしまったらどうだろう? 妹は兄への気持ちを悟られまいとさらに意固地になるかも知れない。その時に彼がどういう態度を取るというのだろう?
 その時私は一つのことに気が付いた。
「まさかね」
 と、否定してみたが、否定できない何かがあった。
「妹の気持ちに気付いていたのかも知れない」
 それでいて、自分の中で抑えきれない感情が副作用を起し、妹への気持ちを必死で隠そうとしていたのかも知れない。
「本当の妹だったら、どうなんだろう?」
 きっと、諦めがついたかも知れない。どうしようもないことであれば、彼の場合、悩みは深いだろうが、自分でキチンと整理をつけられる気がした。しかし、なまじ血が繋がっていないことで、安易に
「妹は他人なんだ」
 と、割り切ることができない彼に不幸があった。妹への気持ちだけを抑えようとすればするほど、彼は自分自身を追い込んでしまう。一部だけでいいものをすべて抑え込もうとするのは、彼が不器用である証拠だった。
 私は彼の気持ちの中に、不器用を美化するものを感じていた。
「不器用も男であれば許される」
 というよりも、男の可愛らしさではないかという思いである。大きな勘違いなのかも知れないが、思春期にはえてしてあるものなのかも知れない。
 私が彼を以前から知っていたように思えたのは、不器用さを美徳とする男性を意識したことがあったからだ。
「私も何かを思い出してきたのかしら?」
 彼と一緒にいれば楽しかった。何も考えなくてもいいという安心感があった。それは彼が男にしては珍しく、純真無垢で裏表の少ない人だったからだ。
 ただ、不器用さがあった。不器用さをマイナスだとして考えても、彼の人となりを全体から見れば、差し引いても余りありで、不器用さも愛嬌に見えるくらいであった。
 私がこの病院に来る前の記憶を知っている人が必ずどこかにいるような気がした。その人は実に身近な人で、私を暖かく見守ってくれているように思えた。そんな人を考えると、一人しかいない。ドクターだけだった。
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次