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のっぺらぼう

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「テレビドラマの感動シーンを見ている方が涙を流すかも知れないな」
 と思ったくらい、現実を冷めた目で見ていたのだろう。
「死んだ人を呼んではいけない」
 この思いは、母に対して強くなった。それは母が自殺だったということを知る前からのことで、
――母は普通の死に方ではなかったのではないか?
 と、まさか自殺とまでは思わなかったが、何か引っかかるものがあったのだ。
 祖父と祖母のような関係が一番安心できた。
「おばあさんがそばにいる」
 という不気味なセリフを差し引いても、二人の関係は羨ましいくらいだ。
 祖父の死は、きっと祖母に見守られての大往生だっただろう。仲睦まじさが想像できるが、私は祖母の顔を覚えていない。仏壇の遺影で見たことはあっても、祖母だと言われてもピンとこない。
 遊びに行くと一緒に寝てくれたが、その時には怖い話をしてくれたものだ、それまで祖母の顔が分かっていたのに、怖い話をし始めると、顔が黒い影に覆われる。シルエットが浮かびあがってくるのだが、その時、「のっぺらぼう」ではないかと思うくらい、顔が見えなかった。どうかすると、頬を貫き、耳元まで避けた口が怪しく歪んでいるのを想像してしまう。
 私は妖怪の中でも「のっぺらぼう」が一番怖いと思っている、
「顔がないのに、表情がある」
 これが「のっぺらぼう」というものではあるまいか。
 顔の上に白い覆面をしていて、鼻の高さ、口元の歪み、さらには目の窪みなども見えている。彼らには心というものが存在するのだろうか? 人に悟られたくないから、敢えて顔を出さないようにしていても、実際には表情があって、何かを言いたそうにしている、それだけに不気味で、何が怖いといって見下ろしているのか、見上げているのかが分からないところだ。
 見上げるのと見下ろされるのでは、天と地ほどの違いがある。見上げている相手に見下ろされているのと同じような態度を取るのは勇気がいる。逆も同じである。
 覆面の下の顔を想像すると、浮かんでくるのは自分の顔だった。
――一番身近なのに、一番見ることが困難なもの――
 それが自分の顔である。鏡や水溜まりなどのような媒体がなければ決して見ることができない。しかも何かを介しているために、他の人が直接見るのとでは、かなり違うだろう。
それは顔だけに限ったことではない。声だってそうだ、自分で発した声というのは、自分では低く感じていても、実際に録音して聞くと、少し籠って聞こえたりするものだ。私は録音した声はあまり好きではないが、人によってはいい声だと言ってくれる人もいた。
 私が見る夢で、気持ち悪いと思っているのは、自分が出てくる夢だった。自分の顔なのに、違う人のように思え、「のっぺらぼう」が覆面を剥いだ時が、こんな感じではないかと思うほどだった。
 妖怪にも表情がないものがある、または過激すぎると却って、実はいい妖怪だったりすることもあるくらいで、やはり表情のない妖怪は不気味なものだ。祖母が妖怪の話をしてくれた時、想像したのは、「のっぺらぼう」だったのだ。
 祖母の部屋には、絵がいくつか飾ってあった。和室に油絵というのも、その場を見ずに話を聞いているだけなら、アンバランスに聞こえるだろうが、実際に見た私の感想は、さほど違和感のあるものでもなかった。
 西洋の屋敷のような絵もあれば、深い森の中に、一筋の光が差し込んでくるような絵もあった。一様に一筋の光がテーマになっているようで、祖母の趣味が集めさせたものだろう。
「中にはおじいさんの描いた絵もあるんだよ」
 どの絵も遜色なく見えていただけに、祖父の絵心というのも相当なものなのかも知れない。
「おじいさんは学生の頃結構描いていたんだよ。コンクールにも何度か入選したりしたこともあってね」
 若い頃のおじいさんを想像するのは困難だった。しかも画家をイメージするのは至難の業だが、きっと見方を少し変えれば、いかにも絵描きという雰囲気がそこに広がっているかのようだった。
 ベレー帽をかぶって、ペンを指で立て、片目をつぶって、遠近感を図っている。
 画家というのはそんなことをする商売だというイメージがつよく頭にあり、特に年齢が高い人であればあるほど、そのイメージが高くなってくる。
 だが、一度イメージしてしまうと、それが膨らんでくるから不思議だった。
「おじいさんは画家だった」
 と断言して言われれば、その通りのイメージが浮かんでくる。私には祖父の一部しか今まで見ていなかったのを思い知らされた。
 人の一部しか見えていないのは私だけではないだろう。誰でもすべてが見えてしまうと、世の中面白くない世界になってしまいそうで、一部しか見えないのは仕方がないが、それだからこそ、相手をもっと知りたいと思うのは当然である、
 祖父と祖母が、仲良く寄り添いながら、私を見てくれているのを感じる、
 私を見守ってくれているのを時々感じるが、なるべく感じないようにした方がいいと思う時がある。あっちの世界に呼ばれてしまっては困るからだ。もし祖父や祖母のことを考え続けていたりすると、「病原菌」が入り込んできやすい環境を自ら作ってしまうのかも知れない。それこそ、母親の二の舞にならないとも限らないのだ。
 自殺を促す「病原菌」、私は今でもその存在を信じているのだった。
 いろいろな小説を読んでいると、父の行動が不可思議だったことに気が付いた。母の日記があのタイミングで墓から見つかったのが一番の疑問点で、再婚のタイミングなどを考えると、ほとぼりが冷めたうまいタイミングだったように思う。まわりから促されるように自分から持って行ったと考えると、
「父はしたたかなんだ」
 と思わざるおえない。
「ひょっとすると、父が母を……」
 それ以上は恐ろしくてとても口に出せないが、このことも私の胸だけにしまっておけばいいことであろう。そうやって私はいくつも自分の胸にたくさんのことを抑え込んでしまって、身動きが取れなくなってしまったのかも知れない。
「そういえば、俺も交通事故だって話だったが……」
 母も最初は交通事故ということだった。
 見舞いには義母と妹が来てくれたが、父は一度も来てくれない。
「お父さんはお忙しいのよ。そのうちに来てくれるわ」
 私が、父のことを、
「お父さんは、どうしているの?」
 と聞いただけなのに、父の見舞いがないことを私が気にしていると思ったのか、母の返答は見舞いのことについての返事だった、確かに父は今忙しいのかも知れない。新しい会社に勤め始めて、次第に忙しさが増してきたのは、私が入院する前から分かっていたことだった。まだその状態が続いているようだった。
 父に会うのは、正直今怖いと思っている。見舞いに来てくれたとしても、ほとんど口をきいてくれないような気がするからだ。病状や体調などを心配はしてくれるだろうが、それ以上の話はない。しかも親子ということで、ちょっとしたことがボロを出すことに繋がるかも知れないと思うと、余計なことは話せないだろう。
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次