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のっぺらぼう

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 もちろん、誰に話すわけでもない。信じてくれないのが関の山である。一人で抱え込むには大きなことであったが、時間が経てば、次第に忘れていくものである。それも「病原菌」の副作用のようなものなのだろう。
 母が絵を描いているなど最初は信じられなかった。どちらかというと不器用で、バランス感覚もない。さらには色彩感覚もどこかずれていた。それでも愛嬌があったからか、欠点を補うのに余りある笑顔があった。
「絵を描くために持っていなければならないものを、どれも持っていないわね」
 と、自分で苦笑いしながら話していたのを思い出していた。
 だが、その絵は紛れもなく母が描いたものだと思う。遠くから見れば様になって見えるが、近くから見れば欠点だらけである。見る人が見れば一蹴されるに違いないが、私はその中でも確かに上手ではないが、丁寧に作られているのを感じた。
――そういえば、母の魅力は、丁寧なところにあったんだよな――
 いまさらながら、母の絵を思い出していた。自画像に見えなくもないその絵は、母がまだ十代の頃ではないだろうか。その時代の自分を描くのが普通なのだと考えると、十代の頃の母は、絵を描いていたことになる。ただ、これが母が自分で想像して描いた絵だとすると、本当は素晴らしい絵の才能を持っていたのかも知れない。
「でも、この絵と日記帳を誰がここに?」
 これが一番の疑問である。死んでしまった母が自分で自分の墓に隠すことなどできるはずがないからだ。
 そこで一つの疑念が湧いてきた。
「実は偶然見つけたような言い方をしていたけど、本当は父が隠し持っていて、どこかで表に出すのを待っていたのかも知れない」
 なぜそんなことをするのだろう。父にとっても、母が自殺だということよりも、交通事故で死んだと思ってもらえる方がいいのではないか。自殺ということになれば、その理由をあれこれ詮索され、警察にだって痛くもない腹を探られることになるだろう。
 実際に警察がやってきた。父も散々聞かれたようだし、私も婦警さんからいろいろ聞かれた。主に、
「家に帰ってきた時にお母さんがいなかったりとかなかった?」
 などと、私には母親が隠れて何かをしていたことの探りを入れていたようだ。
 父に対しての追及はそれほどでもなかった。何かの原因があるとすれば、母が表でしでかしたことが原因と見ているようだった。そのうちに警察の捜査もなくなり落ち着いてくると、母がいない静かな生活が新鮮にさえ感じられるようになっていった。
 この間の私は、そんな母が生き返ってくるのだと信じて疑わなかった。なぜかその時には父の再婚相手である今の母も、気になってきていたはずの妹の影も、まったく感じる様子がなかったのだ。
 再婚してからの父は明らかに変わった。冗談などいうタイプではなかったのに、相変わらずの無口な父がたまに口を開くと、ジョークを飛ばしたりする。真面目一本気な人がたまに冗談をいうと、一瞬その場が固まってしまう。
「何が起こったの?」
 と、誰もがまわりの人に助けを求めるがごとく顔を見合わせる。その表情が面白い。そのおかげで固まった空気が今度は一気に弾けるのだった。
 父が一生懸命にポーズをとっても、面白くもおかしくもない。だが、真面目な顔でフッとジョークを言うことで、場に和みが生まれる。生まれた和みは今までの空気を一変させる。それがまわりに大きな影響を与える。
 父は最初、銀行員だった。真面目な父には天職に見えたが、真面目さ4だけではいけない。機転が利かない父は、時々置き去りにされてしまうことも多かった。そんな父を母が好きになったのは、母には父からひきつけられるものを持っていたようだ、最初に知り合うきっかけが、本当に偶然だったのか、母はしばらく疑問に思っていたようだ。
 結婚生活は決して楽なものではなかったようだが、一番苦しい時に生まれたのが私だと言っていた。
「正直、産んでいいのかどうか、迷ったものよ。道義的には、産まなければいけないんでしょうけど、産んだところでみすみす不幸になるのが分かっていて、育てられるのかが一番の問題だったからね」
 今なら少し分かってきた気がする。金銭問題も一つだが、お金がないという暗い家庭の環境で、果たして捻くれずに育つかどうか、一番の問題だったはずだ。
「あんた、親孝行だよ」
 母は、そう言って私の頭を撫でてくれたのを思い出していた。捻くれずに育っていたからであろう。そういえば、病気もほとんどせずに健康に育った。考えてみれば病院などというところは、何年かに一度行くくらいだった。アルコールの臭いは、年に何回かの予防接種で嗅いでいた。薬品の臭いを感じるのは、病院というよりも予防接種のイメージが強かったかも知れない。
 両親の仲は悪くはなかった。どちらかというと仲睦まじいものではなかったか。お金がない時期はそれほど長くは続かなかった。精神的に余裕が出てくると、両親は私をいろいろなところに連れていってくれた。
 休みの日には遊園地であったり、百貨店であったり、日曜日は家族でどこかに出かけるのが日課になっていたのだ。
 遊園地で入ったお化け屋敷やミラーハウスは今でも怖かったのを覚えている。お化け屋敷など、子供だましであることは分かっていても、分かっているだけに怖がってあげないといけないという思いが働き、余計に力が入ったりした。ミラーハウスの場合は、本当に足が竦んだ。
――子供は怖いものが好きなんだ――
 という思いが頭を掠めたのは、その時だった。
 怖がりな母は決して入ろうとしなかったが、父は結構、ミラーハウスのようなところが好きだった。
「昔は従妹と一緒に入ったものだよ」
 と笑っていたが、格好いいところを見せたいという気持ちがあったのかも知れない。だが、一緒に入ったのは最初だけで、次からは、いつも一人で入っていた。一人でないと、せっかくの醍醐味が味わえないからだ。
 ミラーハウスの思い出は父から聞いた話だけではないような気がする。私がミラーハウスを好きになったのは、以前から家族ぐるみでの付き合いのある友達と一緒に遊園地に行った時だ。友達の母は、父が勤めている会社で事務のパートをしていたのも縁であった。
 父はかなり前に銀行を辞めていた。お金はなかったが、元銀行員ということで、すぐに次の仕事は見つかった。銀行に勤めている時から、誘いをかけてくれる人がいたらしく、転職はすぐに決まった。真面目なところが功を奏したのだ。
 中小企業だが、家族的な雰囲気が父の気持ちを解放したようだ。私もたまに顔を出しても、皆明るく迎えてくれ、事務所の外で飼われている犬と遊ぶことが恒例になっていた。今まで真面目だけだと思っていた父の、まったく違った一面を見たのだった。
 母が亡くなっても、父に再婚の話がすぐに出たのは、そんな性格が幸いしているのかも知れない。もし、再婚が決まらなくても、その後には、途切れることなく話が持ち上がってきたかも知れない。それだけ父の動向には、まわりが気にしていたという証拠ではないだろうか。
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次