のっぺらぼう
「うん、実際のお兄さんはいなかったんだけど、慕っているような人はいたわね。確か中学生の頃だったかしら? 毎年秋になると縁日があるんだけど、その時のことを思い出すとシルエットのようにその人の顔が浮かんできては消えるのよ。一瞬だから、そんな顔だったのかは、ハッキリとしないんだけどね」
「縁日というと、僕も思い出があるんですよ。妹と一緒に行って、はぐれてしまったんだすよね。でも、その時に、一人のお姉さんが通りかかって、妹を一緒に探してくれたんです。無事に見つかって嬉しかったですよ。でも、僕もそのお姉さんを思い出そうとすると、シルエットが掛かったみたいになって、ハッキリとしないんだ」
どうやら、似たような思い出が縁日にはあるようだ。これは二人だけに共通するまったく偶然なのだろうか? それよりも、縁日には魔力のようなものがあり、思い出の中に誰かがいて、その人がシルエットになっているのではないだろうか。誰も信じてくれないと思って口に出さないだけで、誰かがもし話題にすれば、堰を切ったかのように、誰もが話し出すのではないか、それこそ、待ってましたとばかりに、「ヨーイドン」のタイミングである。
浅間さんと話していると、いろいろなことを思い出せそうな気がする。浅間さんが私についてくれたのは偶然なのだろうが、お互いに似ているところを探り合っていけば、私の記憶も戻るのではないだろうか? 浅間さんも私と同じように記憶が欠如しているところがあるようだ。記憶が欠如している者同士、引き合うものがあるに違いない。
ただ、どこまでが本当の記憶なのかと思ってしまう。本当に浅間さんと私の共有した記憶が存在しているのであれば、すごいことだ。どこかで情報操作のようなものが行われていると何を信じていいのか分からなくなる。
急に恐怖を覚えた。あまり浅間さんと深い話をするのが怖くなった。懐かしいと思っていることが違った記憶として埋め込まれてしまったらどうなるというのだろう。何よりも誰が得をするというのか、損得だけの問題ではないのかも知れないが、この病院はどこかおかしい。
それでも、浅間さんに頼ってしまうのは、記憶の問題ではなく、精神的な心細さを解消したいがためだ。記憶と心細さはきっと違うものなのだろう。
浅間さんは気が強そうに見えるが、シャイなところがありそうだ。自分から意見をいうことで、自分の中に確固たる何かを持っているように思わせているが、実は何もない。見つけようとしているが、なかなか見つからないことで苛立ちを覚え、ストレスに繋がっている。記憶を失う原因がそのあたりにあるのかも知れない。
――自分のことは棚に上げて、人のことなら結構分かるんだな――
思わず苦笑してしまう。分かるというよりも、相手が発信した電波に同調しているような感覚だ。今までの私にそんな能力があったとは思えない。この病院に入ったことで身についたことなのだろう。
ただそれが操作されたものなのかは分からない。元々潜在意識としてあったものが、ここにいることで引き出されただけのことなのかも知れない。今までの環境では決して見ることのできない能力を、ここでなら垣間見ることができたのではないだろうか。
不思議な感覚はいつまで続くというのだろう。身体の方は、順調に回復しているようだ。今すぐにでも退院してもよさそうだが、そんな雰囲気は微塵もない。
「浅間さんは、ここ長いんですか?」
これにも返答に困っていた。
「いいえ、最近なんです。患者さんを持つのも、あなたが初めてなんですよ」
そういえば、ぎこちなさを感じていた。浅間さんの考えていることを垣間見ることはできそうだが、彼女をとりまく環境までは分からない。
私はここで何度か目覚めたような気がする。目覚めたというのは、以前の記憶と繋がっていないところで目覚めたということである。
浅間さんがその時にもいた。母親が後から来ると言われて、
「お母さんは、確か死んだんだ」
というところまでの記憶があったのだ。その後に父が再婚して、妹ができた記憶が飛んでいる。今から思うと、新しい母の存在よりも妹の方が存在が大きいのだろうが、浅間さんが「お母さん」と口にした瞬間、死んだ母親を思い出してしまったのだろう。
母の死は突然だった。最初までは、母は交通事故で死んだと聞かされていた。なぜ母が自殺だったのを知ったかというと、母が大切にしていた絵が見つかったことで分かったんのだ。
その絵は、母のお墓のところにあった。一緒に日記帳が埋まっていたのだが、それを見つけたのは父で、最近まで誰にも言わずに黙っていた。車に飛び込んでの自殺だったが、かなりの裂傷があったことだろう。事故と自殺では、裂傷があったことを知っても、感じ方が違っていることだろう。母は、結婚前に好きな人がいて、その人と偶然再会した。その時はもうすでに母の中では割り切っていたのに、相手の男は割り切れないでいた。結婚後、それなりの生活ができている母と比べ、相手の男は自暴自棄になり、生活も荒れていたという。そんな生活を知らずに、懐かしさから話を弾ませてしまった母も悪かったのだと、墓の中から見つかった日記帳には書いてあった。
だが、母に非はないはずである。別れ方がぎこちなかったわけでもないというし、それならどうして母は自分を責めるのだろう? 何事も人と比べてしまい少しでも自分がよかった場合、人は二つの考え方を持つ。
一つは自分が頑張ったからだという考えと、相手が劣っているという考えだ。母の場合は、相手を知っているだけに、劣っていると思いながら同情してしまったことで、相手に劣等感を与えてしまったのかも知れない。
「劣等感なんて、どうして抱くのかしらね」
母は劣等感を抱いたことはないというが、本当だろうか。確かに楽天的で天真爛漫なところがある母に劣等感は似合わない。劣等感を持つような相手と付き合っていないというのも大きな理由かも知れなかった。
死ぬことで楽になれるという発想がなければ自殺など考えないのではないだろうか。それとも、自殺をするのには、何か病原菌のようなものがあり、いわゆる自殺の原因となる精神的な疾患が、大好物なのかも知れない。病原菌に犯されてしまうと、いつの間にか自分がこの世から消えていると自覚している。それは自殺する前なのか、それとも後なのか、それともその瞬間ということもありうるであろう。後であれば、周りから見て、
「あの人、どうして自殺なんかしたのかね。理由がどこにも見当たらないのに」
という人もいる、その時は、病原菌は、死んだ人間の中から気持ちを食べる。死んだ後でも、犯された精神は、生き続けているのかも知れない。
人間を死に至らしめる病原菌には、その人の死そのものは関係ない。ただ、自分が食するものが得られればそれでいいのだ。そう考えると、自殺に追い込む病原菌の存在など、認めたくない。そういえば、母が死んですぐの頃、違和感のある見えない何かの存在を感じたような気がした。