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のっぺらぼう

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「君もここに来てだいぶ経つので、ここが精神疾患を抱えた患者の受け口であることは、すでに分かってくれていると思う。いよいよというと大げさではあるが、今は記憶をなくしているだけで、君も元はナースだったんだ。ある程度勘も取り戻してくれているので、後は経験だけだね。私は君に期待してるよ」
 相手をおだてるのがうまいのだろう。俄然やる気が出てきた。
「はい」
 と元気よく返事をしたのは、ドクターの罠にかかったのかも知れない。
 院長室を出ると、また風が吹いてきた。院長室は閉め切っていたわけではないのに、表の熱さを感じさせないようにしようと、湿気を遮断するかのごとく、風はなかった。
 ドクターは汗かきなのに、よく我慢できるものだ。汗は確かに噴き出していたが、必要以上に汗を掻かない努力だけは怠らない。汗の中に厚さを吸い取る成分が入っていて、院長室は汗が納涼の役目を果たしているかのようだった。
 ドクターの顔を見ていると、安心感を与えられることで、いつも睡魔が襲ってくる。その後に本当に眠ってしまったかどうか定かではないが、妄想が膨らむ隙間があるとすれば、ドクターの顔を見た後が多いのは事実のようだった。
「どんな患者さんなんだろう?」
 同じ睡魔でもいつもと違う波のような睡魔が襲ってきた。普段は静寂の中で眠りに就くのだが、この日は、夜中に何度か目を覚ましてしまいそうな予感があった。きっと長い夜になるに違いない。

 抜けるよな
  空の合間の裂け目から
   見えたる景色絵の世界なり

「おはようございます」
 今日も浅間さんが私の部屋に入ってくる。私の担当だということで、四六時中一緒にいるということだったが、そのわりに部屋にいないことが多いような気がする。確かに私が睡魔に襲われたまま、ずっと目が覚めない時間が長いのかも知れないが、目が覚めた時、必ず浅間さんの顔が私の前にあった。
 表情はさまざまだった。ニッコリと微笑んでくれている時が一番多いのだが、寂しそうな顔だったり、時には覚えた表情の時もある。そんな時、浅間さんになんて声を掛けていいのか分からず黙っている。浅間さんもバツの悪そうな顔になるが、すぐに我に返るのか、笑顔を見せる。ただ、その笑顔は最初からの笑顔の時と明らかに違っている。引きつった笑顔が私にはよく分かるのだった。
 浅間さんは、私の足が気になるようだった。今度手術を受けることになるというが、確か交通事故だということだが、手術なら最初にしてから、後は経過を見るだけではないのだろうか。先生はいつもニコニコしていて、話をしてもはぐらかされそうだ。見舞いに来てくれる家族も、どこか歯にものを着せぬといった感じで、何とも煮え切らない。
 私の家族は、両親と妹が一人だった。本当は姉がほしかったのだが、こればかりはどうしようもない。妹というのも悪くないと思っていたが、自分も妹も思春期に入ってくると、どうにもやりきれないものを感じたりする。特に可愛い系の妹を持つと、クラスメイトからの目が気になってしまう。妹の気を引きたくて私に近づいてくるやつもいるくらいで、自分の妹でなければ自分が付き合いたいくらいだという思いを必死に隠し、誰にも悟られないようにするのは難しい。一番最初に気付くのは誰かと言えば、一番気付かれたくない人だろう。そう、妹本人ではないだろうか。
 妹もきっと私に男を感じるだろう。兄と妹というのが、一番難しい気がするからだ。では姉だったら大丈夫だったと言えるだろうか? いや、同じことで悩むことになるに違いない。
 実は私と妹は血がつながっていない。私の父が再婚で、妹は母の連れ子だった。小学生の頃だったので、母が亡くなって間がないのに、どうして父は簡単に再婚したのか疑問だった。
「お母さんのことを忘れたの?」
 と、正直に聞いてみたが、答えは返ってこなかった。もっとも、返ってくる返事を考えると、返事など返ってこない方がいい。それを思うと、聞きたいのに聞けないことのやるせなさが、苛立ちに変わっていくのを感じていた。
 実際には、親戚などから、かなり言われたらしい。それも私を引き合いに出して、
「あんた、まだ子供も小さいのに、男手ひとつで育てられると思うのかい?」
 と言われていたようだ。それでも、母の実家のことを考えれば、すぐには結婚を控えた方がいいという意見もあった。子供としては、大人たちの勝手な意見で、父が迷っているのが分かっただけに、本当は再婚しなくてもよかったと思っていた。
 それでも、再婚した母にも子供がいて、お互いに同じような立場で、気を遣っても、分かり合えると思ったのだろう。すぐに二人は打ち解けたようだ。子供同士も急に兄妹になったということで戸惑いもあったが、
「私もお兄ちゃんがほしかったんだ」
 と言ってくれたことで、迷いが吹っ切れたような気がしたのだ。
 私が中学三年生になって、妹は中学に入学してきた。今では毎朝一緒に学校に行くのが楽しみだったのだ。
 そんな時に交通事故に遭ってしまった。それも、妹がふとしたことで道にはみ出してしまったのを見て、助けようと飛び出した私がけがをしてしまった。「名誉の負傷」というべきであろうか。意識がなかなか覚めなかったようで、気が付けば、この病院のベッドの上だったのだ。
 交通事故で、頭を打っているということだった。少しの間、集中治療室に入り、いろいろな検査を行った。ただ。その時の私は、かすかだが、意識はあったのだ。それがいつの間にか意識がなくなってしまっていた。そこに何か意図的なものがあったのではないかと思うのは、気が遠くなる時を覚えていて、強烈な臭いを身体が覚えているのだった。
 まるでアンモニアのような臭いだった。小学生の頃、ハチに刺されてつけてもらったアンモニア。小学校での出来事だったので、保健室に運ばれて、保健の先生の治療を受けた。後にも先にもあの臭いは、二度と嗅ぎたくないと思っていただけに、気が遠くなる時に思い出した記憶は、実に最悪だったようだ。
「女王蜂の中でもスズメバチは、一度刺されただけでは死なないけど、二度目に刺されると、一回目に刺された時にできた免疫が副作用を起こして、死んでしまうらしいんだ。一度刺されれば、その後は本当に気を付けないといけないよ」
 私が刺されたのは、小さなハチで、命に関係のあるものではなかったが、その時に聞いた女王蜂の話は印象的だったのだ。
「女王蜂というのは、オスの蜂を踏み台にして成長するっていうけど、専制君主的なんだね」
 難しい話は分からないが、「女王」とつくのはえてして、そんなものである。動物の世界がえてして人間にも影響を及ぼしているのか、それとも人間も動物の一種だというべきか、中学で生物の授業を聞いていて、いろいろ考えさせられることも多かった。
 意識が遠のいたベッドの中で、夢を見ていたのか、夢なら目が覚めるにしたがって忘れていくはずだ。中には覚えているのもあるが、それにしてもここまで鮮明に覚えているのも珍しい。
「浅間さんは、お兄さんとかいるんですか?」
 ちょっと考えていたようだが、
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次