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のっぺらぼう

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 だが、私は最初からそうだったのだろうか? 覚えられないことで悩んだりした記憶もない。もしかすると、その記憶すらなくなってしまっているのではないだろうか。
 すべてが夢のような気がする。夢だと割り切ってしまえば気も楽になるが、そこまで楽天的にはなれない。逆にすべてが夢であるならば、ここにいる私は何なのだろう。自分が誰なのか、何の目的でここにいるのか、そして、ここにいなければいけないのかということが分からなければ、頭を整理することなど不可能であった。
「浅間さん、ちょっと」
 ドクターから呼ばれた。
「はい、何でしょう?」
「もうすぐ夕食の時間になるので、患者さんの配膳のお手伝いをしてくれないかな? 君にそんなことをさせるのは気が引けるのだが、まずは慣れてもらうことから始めようと思うんだ」
 ドクターは慣れることから始めようと言った。私が先ほどまで、ここの意識がなかったことを知っているというのだろうか? 私の記憶がないことはドクターは知っていても、私の考えていることまで分かるというのはすごいことだ。それだけ偉大なドクターだということなのか、それとも……。
 ドクターに対して疑念が湧いてきてしまったが、それも仕方がないことなのかも知れない。記憶がないだけ、私はその分、さとくなっているようだ。
 目が見えない人は、耳がよく聞こえたり、鼻が効いたりと、五感の他の部分が発達していたりするものだが、私も記憶がない分、他のところがしっかりしているのかも知れない。そのことをドクターが知っているのかは分からないが、完全に信じることはできなくても、今はドクターを信じるしかないようだ。
 一通りの配膳が終わるまで、約一時間というところだろうか。さっきまで他の入院患者も、病院の人もどこにいるのか分からないと思っていたのが不思議なくらいだ。この落ち時間の間にたくさんの人と出会い、ここが普通の病院と変わりないことを知ったのだ。
――ドクターの意図は、ここにあったのかしら――
 口で言って分かることと分からないこともある。実際に病院を回ってみて、自分のいるところを確かめるのが一番いい、それには、配膳が最善の方法だと思ったに違いなかった。
 一時間というのもあっという間で、さすがに病院ということで賑やかさや活気はなかったが、入院している人の顔を見れただけでもよかったと思っている。やはり病院ということで、老人が多いのと、子供も結構入院しているのが目立った。二十代から四十代くらいまでの人はほとんどいなかったように思う。
 子供は無邪気なものだけど、病気で入院しているのだから、いつも無邪気というわけにはいかない、本当なら学校で友達と遊びたいと思っている子供がほとんどなのだろうが、こんなところで一人でいなければならないと思うと、身につまされる思いを感じるのだった。
 中には、
――この子の中に、無邪気さってあるのかしら?
 と思わせるような子供もいた。そんな子は目の色から違っている。目を見ていると、どこを見ているのか分からないほど、焦点が合っていない。口も半開きになっていて、精神疾患があるのは目に見えている。なるべく目を合わさないようにしようと思っても、見つめられているわけでもないのに気になってしまう。
 その子だけにかまっているわけにはいかないので次に移るが、気持ちがホッとしてしまった自分が少し怖くなったりもした。目を離すと、もうその子は私など見ていない。いったいどこを見ているというのだろう?
 精神疾患を思わせる子は数人いた。それ以外の子供は、傍から見ているとなぜ入院しているか分からない感じなのだが、きっとどこか内臓が悪いに違いない。ドクターの許可なく勝手に聞くわけにはいかないので黙っているが、そのうちにドクターが教えてくれるに違いない。
「ご苦労様」
 配膳担当のおばさんが、頭を下げて、ねぎらってくれる。どこかで見たことのあるような人だったが、きっと家に帰ると、優しいお母さんなのだろうと感じた。病院でも子供たちから、なつかれているように思えてきた。
 配膳を見ると、一つ余っているのに気付いたが、
「これは?」
「いつも一つ多めに作っているんですよ。誰が食べるというわけではないんだけどね」
 そういうと、おばさんは少し影のある表情になった。何か理由があるのだろうが、今敢えて聞くようなことはしなかった。
 おばさんはいろいろなことを知っているようだった。考えてみれば、私が一番何も知らないのではないか。ナースとして仕事をしていく上で、記憶がないことは、何ら問題はないというのか。
 ドクターもいろいろ知っているはずだが、言葉にしない。時々怯えを感じるように見えるのは、うっかり喋ってしまいそうなのが怖いからなのだろうか。どうやらドクターはこの病院の主でもあるようだ。そのわりに威張ったところはどこにもない。人懐っこさが低姿勢を嫌らしくなく見せている。ドクターくらいの威厳のある立場でまわりに低姿勢であれば、いやらしさが見え隠れしていそうだが、あっさりとして見えるのは、それだけ人間らしさを醸し出しているからなのかも知れない。
 ここの病院は、誰も余計なことを喋らない。まわりに気を遣っているという雰囲気もなく、自分の考えで勝手に動いている。余計なことを言うと、相手だけでなく、自分本人のペースを崩してしまうことになる。自分の考えで勝手に動いている世界では、リズムを崩されることを一番嫌う。逆らうものをなるべく排除してしまおうという意識も働いているのかも知れない。
 自分の知らないところで、真面目に排除を企まれていたら、これほど恐ろしいものはない。排除されないようにするには、波に乗るしかないのだが、乗れない人はどうなるのか、私は考えただけでゾッとしてくるのだった。
 おばさんはそんな中でも饒舌だった。言葉を選びながら話していたが、何も喋れなくなるよりもいいと思っているのだろう。思っているよりも肝が据わっているのかも知れない。
「おばさんと話していると、落ち着くんですよ」
 配膳も朝、昼、晩と数日間こなしてくれば、患者さんはともかく、おばさんとの仲は日増しに深まっていく。
「私はね、家に帰っても一人なんだよ」
 本当は、帰る家があるおばさんが羨ましかった。いくら仲が良くなったとはいえ、自分はどこの誰かも分からず、言葉は悪いが、ここで監禁されているようなものである。夕方の配膳が終わる頃の時間になると、なるべく気付かれないようにしようと気を遣ってくれているのだろうが、顔が綻んでいるのが分かる。きっと、この中では私しか分からない表情に違いない。隠そうとしても隠しきれずに表に出てくるのだから、却って厄介だ。私はいったいどんな顔でおばさんと接すればいいというのだ。
 相変わらず、配膳は人数分より一人多めに作られていた。余ったのだったら誰かが食べるわけでもなく、捨てるところを見たわけではない。最初は気にしないようにしようと思ったのだが、次第に気になって仕方がなくなってきた。
 そのうちに我慢できなくなり、おばさんが配膳を持っていく先を後ろからつけてみた。つけられていることを知ってか知らずか、おばさんは地下に続く通路を降りていった。
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次