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のっぺらぼう

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 気が付けば、ナース服を着ていて、病院の中にいた。名札を見ると「浅間」と書かれている。気が付いたというより、眠っていた人が目を覚ましたという感覚なのだが、そのわりには眠っていたという感覚ではない。どこか知らない世界から飛び出したというべきなのか、知らない世界が広がっている。
 遠い記憶で、私は確かにナースをしていた記憶があるので、ナース服に違和感もないが、実際に職務に就いて、やっていけるかどうかは疑問だった。
「浅間くん、ちょっと」
「あ、はい」
 初老のドクターが声を掛けてきた。見覚えはあるのだが、自分にどのようにかかわっていた人なのか、すぐには思い出せそうにもない。
「今度来る患者なんだけど、まったく記憶を失っているようなんだ。まだ意識不明なんだけど、君がそばに付き添っていてあげられるかい? 難しいことがあれば、私がいるから心配しなくてもいいんだ」
「私は何をすればいいんですか? 正直申しまして、私も何が何だか分からないところがあるので、何をしていいのか分からないんです」
 正直に答えるしかなかった。できないことをできるような顔をして、後で取り返しのつかないことになってしまうと、これが一番大変だからである。
「君が今、どんな心境なのかということも私には分かっているつもりだよ。でもそれを今いちいち説明していては時間がいくらあっても足りない。それに時間を使ったわりに、君が納得のいくような求めている答えをこの私が出せるとも思えないからね」
「はい、分かりました。私もどこか記憶の欠如しているところがあると思っていいんですね?」
「そうだね。そう思ってもらっていいと思う。君もここでナース服を着て、今できることだけをしていれば、それでいいんだ。君にとっても、治療の一つだと思ってくれればいいからね」
 ドクターの口調はあくまでも優しかった。安心感を与えられ、それ以上の質問は愚門でもある。
「私がつくことになる患者さんってどんな人なのかしら?」
 私も治療の一環なら、難しいことはできない。そばにいてあげて、話を聞いてあげられるかどうかくらいしか思い浮かばないが、薬や注射の投与など、私にできるのだろうか?
 ただ、ナース服に違和感がないことで、以前はナースをしていたのだという思いが頭をもたげる。いつ、どこで、どれくらいの期間していたのかも思い出せないが懐かしさだけは残っているようだ。
「そういえば、私はいくつくらいなんだろう?」
 年齢も分からなければ、名前も憶えていない。「浅間」というネームプレートがついているが、これが私の苗字なのだろうか? 先生は「浅間くん」と呼んでくれている。私が本当は誰であるのか分からないが、ここでは「浅間」で通すしかないのだろう。
「浅間くんは疲れているようだね。ゆっくりと休めばいい。開いているベッドがあるので、そこで仮眠しなさい」
 さっき意識が戻ったばかりだというのに、疲れているというのはどういうことなのだろう? 浅間というナースはここではずっと眠っていないということなのだろうか? 私のこの身体に他の誰かが入っていて、その人を押しのけるようにして、私の意識がこの身体の中で目を覚ましたということなのだろうか?
「分かりました。少し眠らせていただきます」
 疑問とは裏腹に、口から出てくる言葉はドクターの意見に従順な答えだった。それを聞いたドクターも、満面の笑みを浮かべ、満足そうにしている。恵比須顔のドクターを見ていると私も安心感が生まれてきて、あまり余計なことを考えなくてもいいのではないかと思うようになってきたのである。
 それにしても、この病院はお世辞にも綺麗とは言えない。最近はどこの病院も立て直していて、綺麗な病院が多い、特に個人病院は、昔のような自宅兼病院といった感じのところは少なくなってきているように思う。ただ、ここは個人病院ではなさそうだ。相互湯病院というには寂しいが、他にいまだ誰とも会っていないのが不気味である。
 私の記憶がないことで、ドクターは治療だと言ったが、心療内科の類なのだろうか? すると私もナースというよりも患者としての方が強く、ナースは完全に治療の一環だとすれば、本当に深く考える必要はない。深く考えるだけ、治療が遅れるのかも知れないと思うと、ドクターの優しい表情を思い出すようにした方がいいのかも知れない。
 私はそれから、寝てしまったようだ。気が付けば西日が差し込んでいた。ゆっくり眠ったはずなのに、疲れが取れていないように感じたのは、寝ているベッドの上に、まともに西日が当たっているからだった。
 西日がこれほど疲れを誘うなど、今まで知らなかった。だが、感じていると、最初から分かっていたように思えるから不思議だったが、病院で目が覚めた時の疲れは、他のところで目覚めた時の疲れとは違ったものがある。
 私が寝ていた病室は患者が入っていない開いている個室病棟だった。特別室なのか、部屋の中には大きめの冷蔵庫や、トイレ、シャワーまで完備していた。あまり綺麗とは言えない病院の中でも特別に綺麗にされた部屋は、薬品とは違う匂いが籠っていて、私は嫌いではなかった。
 テレビのスイッチが目の前に置かれていて、私は手に取りスイッチを入れた。コマーシャルをやっていたが、懐かしいコマーシャルが流れていた。
「こんなコマーシャル。まだやってるんだ」
 あまりテレビを見たという記憶が残っていない私は、始まった番組を少し見ていた。子供の頃に見たことのある番組で、再放送されているようだったが、思わず見入ってしまったのは、テレビに見入ったというよりも、その番組を実際に見ていた頃の自分を思い出そうとしていたのかも知れない。
 番組を見ていると、思い出せるような気がするのだが、番組に集中していると、今度はなかなか自分のことを思い出せない。自分のことを思い出そうと番組を漠然として見てしまうと、思い出すものも思い出せない気がしてくるのだった。
 私は一つのことに集中すると、他がまったく意識できなくなってしまう性格のようだ。どちらも中途半端だと、すべてが中途半端に終わってしまうようだし、番組を見ることで昔の自分を思い出すのは難しいようだ。
「そのうちに思い出すのかしら?」
 ドクターの笑顔が、また頭をよぎった。
「余計なことは考えない方がいい」
 と、言っているドクターの表情である。
 私もそう思っている。無理することはないのだ。下手に無理をすれば自分が苦しいだけであるし、せっかくのドクターが考えているはずの治療法を邪魔するような気がしてくるからだった。
 テレビを見ている時間がどれくらいだったのか、三十分番組を丸々見たのだが、見ている時間は長く感じられたが、見終わって思い起こすとあっという間だったような気がする。時間が経つにつれて番組を見たことが遠い過去になっていくようなのだ。
「意識が希薄になっている」
 これが記憶のない原因なのかも知れない。
 覚えようとしてもその傍から忘れていっているのだと思えば、なるほど覚えられないのも当たり前のことだ。
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次