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のっぺらぼう

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 お互いに同じ立場なら付き合いもあるだろうが、相手がフリーになってしまえば、自分の立場は微妙である。相手は肩の荷が下りたのだから、立場的には見下ろされると思ったのだろう。母にそのつもりはなくとも、相手の男性からすれば、「裏切り行為」と映っても仕方がない。
 それでも、母の肩の荷が下りたのは間違いない。元々やっていた仕事もそのまま続けていて、仕事的には別に問題ない。一人になったという自覚から、仕事への情熱が増したおかげか、男性を気にすることもなくなった。生きがいを見つけることができたというべきか、生まれ変わったかのようだ。損得の問題ではないのだろうが、母も離婚して、それなりにメリットがあったのだ。
 父親はというと、自暴自棄になった時期があったと聞いたことがある。信じられないが、女性恐怖症になったというが、ひょっとすると、不倫相手から捨てられたのかも知れない。お互いに同じ立場であるからこそ成立する不倫、離婚してしまえば、相手に重荷を背負わせることになるかも知れない。
「君のために、僕は離婚までしたんだ」
 などと言われると、嬉しいと思うよりも、拍子抜けし、我に返るのかも知れない。百年の恋も冷めるというものだ。
 元々が遊びなのかも知れない。どちらかが重たくなればバランスは崩れる。父はしばらねく放心状態に陥り、そのうちに酒に溺れたというが、私には信じられなかった。滅多なことでは取り乱すことはなく、息子の手本になってきた父だったのだ。仕事も真面目で、家に部下を連れてくることもあった。
――部下に慕われる上司――
 それが父だったのだ。
 落ち込んでしまった父を想像もできなかったが、立ち直ったという話を聞いた時、ホッとした気持ちと、どうやって立ち直ったのかが、とても気になった。私と性格的なところが似ている父がいかに立ち直ったのか、今後の参考のために聞いておきたかった。会うことはでき、たまに食事に行くこともあるが、真面目な父親であることには変わりなく、そんな父が不倫をしたという事実だけで、頭が上がらないという気持ちになっているのか、とても、立ち直りのきっかけなど聞ける雰囲気ではない。世間話に花を咲かせている程度であるが、それでも、話しができるだけよかったと思うようにしていた。
「お父さんと、お母さんは、元々大学の美術サークルで知り合ったんだぞ。だからお前も芸術に関しては、秀でたものを持っているかも知れないな」
 私が中学で美術部に入ると話をした時、父が話してくれた。母もその横から、
「何言ってるの。美術部にいたっていうだけで、才能があったかどうか分からないでしょう? そういえば、あなたは賞やコンクールというものには、まったく興味がなかったわね」
 と、母が呆れたように話していたが、それも父らしいと思った。
「賞に出したって、入賞できるわけではない。俺は地道に作品を描き続けることができればそれだけでいいんだ」
 負け惜しみに聞こえなくもないが、父が言うと、それももっともに聞こえてくるから不思議だった。強い口調ではないのに、どこか説得力を持った父の話は、魅力的だった。
 いい加減なところがあるくせに真面目であった。言葉が軽いのに、どこか説得力がある。悪いように見えて、実はいい印象を最後には相手に与えているのが父の特徴で、それが長所なのだろう。私も見習いたいと思うのだが、なかなかできるものではない、意識してしようとすればするほど、わざとらしく感じられるのだった。
 母もそんな父に魅力を感じていたのだろう。私を見ていて、時々、
「本当にお父さんに似ているわね」
 と、溜息交じりで声を掛けてくる。溜息といっても、諦めの態度ではない。一息つくときの溜息だ。深呼吸をしたい気持ちになって私を見ると、自分の若かった頃を思い出すのだという。
 美術部の顧問の先生が、父に雰囲気が似ていた。
「先生って、素敵よね」
 と、母が言っていたが、それは遠まわしに父が素敵だと言っているのだろうと思っていたが、そんなに甘いものではない。母にしてみれば甘い気持ちを抱きながら、離れていった父を忍ばせる気持ちになっているのかも知れない。両親の離婚は夫婦間では、決して悪かったと思っていないだろうが、私を挟んだところでは本当のところどうなのだろう。
「もし、離婚したことを後悔することがあるとすれば、あんたを見ていて思うくらいだろうね」
 これも負け惜しみに聞こえるが、精一杯の虚勢かも知れない。
 最近の私は絵画も描こうと思い始めている。新鮮な気持ちが今はあるのだ。その気持ちを与えてくれたのは、不本意ながら両親の離婚であった。
 世の中何が幸いするか分からないというが、私のこれからを考えると、まだまだ決めてしまうにはもったいない年齢である。これからいくらでも修正もやり直しもきく。やり直しというよりも、道をずれても戻れるだけのパワーがあるということだ。やり直しではない。
 喫茶店でコーヒーを飲んでいると、さまざまなことが頭に浮かんでは消えていく。気持ちに余裕が持てるというべきか、例えば電車の中で漠然として見ている車窓で、右から左に消えていく景色が、電車のスピードが速ければ早いほど小さく見える。遠くに見えると言ってもいいかも知れない。
 電車に乗るのが好きな私はいつも車窓を眺めている。通学電車のように毎日同じ路線に乗っていて、同じ景色を見ているとしても、別に飽きるということはない。逆に同じものが見えていることに安心しているのだ。
 安心感が気持ちに余裕を与える。眩しくても決してブラインドを下ろしたりはしない。下ろしてしまえば。見えているものが見えなくなり、広い世界が急に狭く感じられるのだ。
――狭い世界に、暗い世界――
 まさしく「三大恐怖症」の二つではないか。
 修学旅行の電車の中でも、自分から窓際に座った。きっと通路側だと、気分が悪くなったかも知れない。特に新幹線や特急電車は窓が開かない。普通電車で窓を閉めていても、開くのが分かっているので安心なのだが、新幹線や特急電車のように窓があかず、しかも新幹線のようにトンネルが多いと、恐怖は募るばかりだ。表だって恐怖症を知られないようにしているが、きっと見る人が見れば分かるはずである。
 飛ぶように流れる景色が頭の中をグルグル回る。自分の中では決して同じものだという意識はないのかも知れない。流れる景色を見ていると、遠くで小さく動いているはずの人が止まったように見える。まるで静止画像を見ているかのようだ。昔でいえば蝋人形の館とでもいうべきか。そんな時、
「前にも同じ景色を見たような気がするな」
 と、根拠のない意識が浮かび上がってくるのだった。
 喫茶店で一枚の気になる絵を見たことで、私は絵の世界に入り込んでいく気配を感じた。それはまるで電車の中から見た静止画に懐かしさを感じたからだったのだが、絵の中から誰かが飛び出してきて、そのかわりに私が絵の中に閉じ込められてしまったのだ……。

 虚空にて
  糸の垂れたるほのかなる
   空の合間の傀儡なりけり

「さっきまでどこにいたというのかしら?」
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次